新連載WEB小説「東京は午前四時」
川村由紀
作詞家/作家/DJ/しぶや花魁プロデューサー
2001年に「灼熱」でCDデビュー後、DJとして国内外の多くのフェスティバルやファッションショーの音楽演出を担当。2007年に「アスファルトの帰り道」(ソニーマガジンズ)で作家デビュー。以降、作詞家としてSony Music Publishingの専属作家となり韓流からアニメまで多くの作品に関わる。現在、渋谷道玄坂にて近代日本的飲食音空館/ウォームアップバー「しぶや花魁」を運営中。
第四章「俺のDJミックスが完成!」
2012.07.30
北村先輩との出会い、そして交流はシュンにとって今、夢中になるべきことの100パーセントとなった。眠る時間すらも惜しんでクラブミュージックに没頭。放課後は北村先輩の家にお邪魔して、ターンテーブルとCDJでDJの練習をさせてもらう日々。
ピッチの合わせ方や選曲のコツなど、北村先輩の教えてくれるDJにとって必要なスキルは、シュンにとって何よりも興味深く、簡単に習得することは難しいものだった。
もっともっとDJがうまくなりたい。もっともっとダンスミュージックに詳しくなりたい。レーベル、アーティスト、クラブ・カルチャー、それだけに留まらずインターネットやクラブ雑誌の中で飛び交う様々な用語の多さに唖然とするばかり。
だが、詳しくなれば詳しくなるほど、自分が特別な存在になれたような、カッコイイ大人の気分で胸いっぱいになる。
時に北村先輩は自分で作ったミックスCDをCD-Rに焼いて、シュンに渡してくれる。曲の繋ぎ方も多種多様なバリエーションがあって、シュン自身もDJの練習をするようになってからは、DJミックスの聞き方も今までとは違い、つなぎ目を解剖するように聞く癖がついた。
スムーズに繋ぐだけではなく、突然に次の曲へと切り替わりハッとさせられるようなカットイン、二曲で一曲に聴こえるよう絶妙なロングミックスが施されているかと思えば、一曲の上に不思議な効果音やS,E(サウンドエフェクト)が入っている事もある。
他人の曲を選曲して繋いでいるだけなのだが、北村先輩らしい独特の世界観で統一されていた。
その独特の感触を言葉で表現するのは本当に難しい。それは先輩の暮らす洗練された部屋の雰囲気そのものというか、どこか硬質でクール、そして繊細でカッコイイ。
勿論、北村先輩が使っているPIONEERのDJミキサーに内蔵されているエフェクターの使い方にも、一貫した何かがあるようで気になって仕方がない。
DJミキサーやCDJに触れる前は、ただ単に音楽を聴いていただけだった。しかし、DJの練習を始めてからは、街でかかっているサウンドやテレビから聴こえてくる音楽でさえも、BPMを気にしたり、どんな風に繋ごうとか、この音にエフェクトをかけたらもしも?とか頭の片隅で延々と考えてしまう。
シュンの脳味噌の一部がビートに支配されてしまったのかもしれない。
それは光栄なことだ。
「なぁ、シュン、お前もそろそろミックスを録音してみないか?」
「マジですか?自信ないです...」
「でも...頑張ります!」
シュンは北村先輩からの突然のお誘いに恐れおののいたが、こんなチャンスは滅多にないと思い、挑戦させてもらう事にした。
「じゃあ、来週の木曜に録音しよう。そうすれば日曜日のパーティで、有名なDJに渡すことが出来るかもしれないからな」
北村先輩からの更なる追い打ちに、シュンは言葉を失った。
シュンにも北村先輩のような自分らしさをDJミックスの中に描くことが出来るだろうか...
「お前には独特の何かがあるよ...俺にはないものを持ってる...」
不安を口にするシュンをたしなめながらも、最後に真顔で北村先輩が言った一言が頭の中でループしていた。
「俺にしかない何か...」
シュンは紙とペンを持ち歩き、今持っている曲の中で好きなもの、そしてその好きな曲たちをどのように繋いでゆくかを思いついた時にすぐメモをするようにと心がけた。
好きな曲という概念の中で、すべてを繋いで唯一無二のストーリーを創る。
この曲で盛り上げたいという曲、その曲に辿り着くまでのグルーヴをどう繋いでゆくか...盛り上げたい曲ばかりで繋いでいても全然面白くない。
そこに到達するまでの過程を産み出すのが楽しい。
「グルーヴだよ、グルーヴ」
北村先輩の口癖の中にも、多くのヒントが潜んでいる気がした。
グルーヴとは何だろう?人の体にリズムを宿す。果たして自分にそんな事ができるだろうか?
雑誌やインターネットで観る有名なDJ達は、大勢の人たちの体を捉え踊らせている。
指先ひとつで歓声を産み出したり、クールダウンさせたり、自由自在に音楽で景色を作り人々の動きをコントロールしている...簡単なように見えて、とても難しい事であるのは一目瞭然。
リズムばかりが問題ではない。
旋律が感情を支配する事もあるだろう。
例えば父親が聴いているジャズやボサノヴァのメロディ、その数々は非常に情景的だ。
シュンはかつてないほどに、音楽と音楽を繋ぐという行為の奥深さを実感している。
自分だけのアイディアで、自分らしい繋ぎ方で1時間のドラマを作ろう。
シュンはノートに自分のDJミックスに使おうと思っている曲のBPMや特徴、何分の所で次の曲の何分の場所に繋ぐかなどを克明に綴っては消しを繰り返した。
お気に入りの曲を箇条書きにするだけでも多くの時間を使う。
その中から繋ぐ事ができて、ひとつの世界観の中に落とし込める楽曲を選ぶ事は難しい。
「先ずは自分の感覚を信じて、自由にやってみろ。DJは自転車を漕ぐのと同じでコツを掴めば楽しんでやれるさ...」
北村先輩は簡単にどんな音も繋いでしまう。
尊敬する先輩のスキルはハンパない。
「さぁ!録ってみるか?」
北村先輩は家の扉をあけるなり、シュンに告げた。
「ちょ...ちょっと練習させてください!」
「何、緊張してんだよ!」
先輩は悪戯っぽく笑う。
とりあえずDJブースの前に立ち、そっと深呼吸した。そしてノートを傍らに置き、ミックスをする順番にCDを並べる。
「ほぉ~」先輩はノートとCDを覗き込み頷いた。
「まぁ、気楽に音出してみようぜ」
先輩の一言で張りつめていた気持ちが少しだけ和らぐ。
幻想的なイントロから、ビートに入り、そして二曲目を繋いでみる。ヘッドホンでモニターしながら、次の曲のつなぎ目の頭出しをして、タイミングを慎重に待つ。
ガタッガタッ...
なかなか合わない。
「なぁシュン、リズムをコントロールするんだ。ビートの裏側に自分自身が入り込んで、ただ単純にあわせるだけではなく、新しい一曲を作るつもりで...」
「DJミックスにルールはない。だが、セオリーは自分で見つけろ...」
先輩のアドバイス。
「今日、録音出来なくてもいいから、好きなだけ繋げるまで練習するんだな」
そう告げると先輩は部屋を出て行ってしまった。
ひとりになったシュンはとりあえずは落ち着こうと、ミネラルウォーターをがぶ飲みする。
「ビートの裏側...」
ドッチッ...ドッチッ...
耳を澄まして心を研ぎすませて、先輩の言葉の意味を探ってみた。
暫く失敗を繰り返しながらも、ビートの裏側という概念に集中してゆくうちに、だんだんとどの場所が裏側なのかが漠然とだけど判り始めてきたような気がする。
ドッチッ...カッカッ...カカカッカッ...トントン...
ただ単にBPMという事を気にして二曲を結合させるというのではなく、自然というわけでもなく、新しい別の音楽に生まれ変わったような瞬間を掴んだ。
「これだ!きっとこれだ!」
シュンは初めて繋げられたことに感動した。
何だろうこの感覚は...テストで100点を取った時以上の喜びというには陳腐すぎる、唯一無二の爽快感。
自分の好きな曲を二曲繋げた瞬間に空間を支配したマジック。
俺は魔法使いか...
「ハッハッハッ」
大きな笑い声と共に部屋の扉が開き、北村先輩が入ってきた。
「外で聴いていたよ...出来たじゃないか!なかなかユニークなミックスだったぜ」
「シュン...お前にしか持っていない何かがあるよ」
先輩がどうして未熟なシュンを誉めてくれるのか...意味が全く判らなかった。
その言葉を信じて練習を重ねるしか進むべき道はないという事も感づいてはいる。
「出来れば、シュンもピアノを習うといいな。ビートだけじゃなく旋律やコード感も踏まえて曲を繋げられたら、もっとミックスの幅も広がると思う」
「ピアノ...」
思いがけないアドバイスだった。
DJとピアノなんて真逆の世界と思っていた。しかし今のシュンには、先輩から告げられるアドバイスのすべてを崇拝するしかない。
何度か録りなおしを繰り返しながら、先輩はMacintoshで音楽ソフト「Logic」を使ってシュンのミックスを録音してくれた。
先輩による簡単な手直しを加えて、晴れてシュンの初DJミックス音源は完成した。
「おめでとう」
先輩はCD-Rに音源を焼いて、シュンに手渡した。
「ありがとうございます!」
シュンは余りにも嬉し過ぎて、その一言を何度も何度も繰り返した。
「良かったな...」
「日曜は楽しもう」
先輩はシュンへとクールに告げた。
「ハイ!」
これからはシュンも自分自身を「DJ」と名乗れる気がして、誇らしく感じる気持ちでいっぱいになった。