RECORDING, SOUNDS and ENVIRONMENT
オノ セイゲン
空間デザイナー/ミュージシャン
録音エンジニアとして、82年の「坂本龍一/戦場のメリークリスマス」にはじまり、多数のアー ティストのプロジェクトに参加。87年に川久保玲から「洋服が奇麗に見えるような音楽を」という依頼により作曲、制作した『COMME des GARCONS / SEIGEN ONO』ほか多数のアルバムを発表。
Photo by Lieko Shiga
『バ−・デル・マタトイオ(屠殺場酒場)/オノ セイゲン』
2011.09.09
このアルバムは、改めて私の中で、いろいろな意味で、特別なものである。初めて会う方になにか1枚というときにはこれ。もしくは続けて作ることになった『モントルー93/94』である。レコーディングしている期間には、全体を見渡せていなくて、自分のアルバムを客観的に楽しめるようになるには10年かかる。全盛期のスタジオボイスの編集長だった松山晋也がMUSIC MAGAZINE に紹介してくれたのが、すごく名誉で嬉しかった。当時まだ日本ではあまり知られていなかったあこがれのカエターノ・ヴェローゾが、アンティブでジルベルト・ベルと二人だけで廻っているときに頼んだら、本当にFAXでライナーノートを送ってきてくれたのには歓喜した。ようやく今になり、このアルバムを妥協なくいい音質で商業配信に載せることができた。ああ作ってよかったと実感している。マーケットの問題だが、DSDプレーヤーが普及してないから、そんなに多くの人には聞いてもらえないのだが。
すみずみにまで神経と熱情が行き届いた、手織りの絨毯のようなアルバムが2枚。
オノ セイゲン氏は、元ミキシング・エンジニアとして世界的に名を馳せてきた人だが、ここ数年は作・編曲家としての活躍の方が目立っており、コム・デ・ギャルソンのショウの為の自作・自演曲を集めた2枚のアルバムなどは、1部で熱心なファンを獲得している。また、ブラジルやニューヨークを行き来しつつ、彼の地のミュージシャンたちと密にコラボレイトするフットワークの軽さも、昨今のアグレッシヴな日本人若手ミュージシャンたちの良き先例になってきたことだろう。
そのオノが、世界的なネットワークと微密なスタジオ・ワークの経験をフルに活かし、88年から94年という長い録音期間をかけてじっくり制作したのが『バ−・デル・マタトイオ(屠殺場酒場)』だ。録音場所はニューヨークやリオ・デ・ジャネイロ、ミラノ等5ヶ所。参加者もジョン・ゾーン、マーク・リボー、アルト・リンゼイ、アルフレッド・ベデルネーラ他、計47名。
そうした諸条件も反映しているのだろう。全13曲はそれぞれが、小粋な短編小説がイメイジ・ヴィデオを思わせる、浅くフラッシュバックするような小品ばかりで、全体的に、いい意味で弛緩した心地よさに覆われている。ダイナミックなスピード感や強い求心力はないが、不自然な継ぎ接ぎ感や粗雑な肌触りも全くなく、一貫して、ゆるやかで甘いグルーヴが身を包み込んでくれる。見事なくらいひとつのカラーで統一されているのだ。それは言い換えれば、ノスタルジーと官能性だ。例えばフェリーニや若い頃のベルトルッチの映画に横溢しているような。ミラノの石畳の舗道を歩く音やバイーアの波音、あるいはニューヨークのダウンタウンの喧騒のファンタジー・ワールドがここにはある。
こうしたオノのコスモポリタン・サウンドが、モントルーのジャズ・フェスティヴァルで喝采を浴びた記憶が『モントルー93/94』だ。
『居殺場酒場』の参加メンバーに、ピーター・シェラーや三宅純なども加わった多国籍アンサンブルは、ここでも夢の中をたゆたうように、精微かつ肉体的かつフレキシブルな即興技を披露する。願わくは、もう少しライヴならではの即決で直裁的なダイナミズムがほしいところだが。
2枚とも、過剰な繊細さが場合に酔って退屈さと取り違えられそうな気配もなきにしもあらずだが、こういう、流行とは無縁の、独自のヴィジョンを持った作品は、短時間での大量消費にばかり目が向きがちなメイジャー・レイベルでは、とても作れないだろう。ココロザシの高さが、気持ちいい。/松山晋也(MUSIC MAGAZINE/Feb 1995より)
Bar del Mattatoio
Seigen Ono
All compositions written and produced by Seigen Ono
Recorded in New York, Tokyo, São Paulo, Rio de Janeiro, Paris and Milan,1988-1994
DSD Mastered by Seigen Ono at Saidera Mastering, July 2011
1 Bar del Mattatoio (5'13)
2 I Am a Good Fish (4'25)
3 Monica Tornera Domenica Sera (4'06)
4 Suzuki-Sensei-Sansei (2'37)
5 Fernando de Noronha (3'33)
6 I Do Love You a Little (5'19)
7 Gol de Placa (3'49)
8 Reached Moon Tower (2'34)
9 Nick & Kiriko (4'31)
10 Genova (8'05)
11 It's So Far to Go (8'05)
12 Covenant of the Rainbow (2'12)
13 Vida Boa (7'55)
「バ−・デル・マタトイオ(屠殺場酒場)」を聴くこと、それはユニ−クな体験だ。セイゲン・オノはただちに私たちを人間的でまた地理的な風景の中へ運んでくれる。官能と甘さとメランコリ−のあふれる風景へ。生活の強烈な楽しさと、生活をうまくまとめていけないことがわかったときのあいまいな悲しみ、そのふたつのブレンド - - - ブラジル人ならたぶんわかるだろうが - - - がここでは稀にみる詩的な力で捉えられている。
フェリ−ニの映画にありそうなセンチメンタルなメロディ−は、聴かれるというより思い出される。このメロディ−は海から現れ、砂浜やアスファルトや歩道に広がる群衆を通り抜け、リオ・デ・ジャネイロの街のために太陽がもえている青空へと抜けてゆく。しかしここで大切なのはさまざまな声のサウンド、波、ここで述べたことから沸き上がってきた視覚的な印象ではない。フレ−ズやノイズはあたかも見えない映像でできた映画のサントラであるかのようには聞こえてこない。私たちを驚かせるのはサウンドのパワ−の理解である。
物売りの声、電話の会話、波の極めて微妙なミックスは完全にアコ−ディオン、サックス、ヴァイオリンの音色の選択に力を貸している。ひとつのテ−マが何度も繰り返され - - - キュ−バのボレロとブラジル北東部のトア−ダ(民謡)- そのセンチメンタルな変奏はアルバム全体を通してちりばめられた甘いアイロニ−をかもしだす。そのために少しあとで、ゆかいなチュ−バがベ−スになって、おどけ者のヴァイオリンとふざけあうときに、私たちがただちにそのすべてが懐かしさ - - - 何に対する懐かしさなのかはわからないのだが - - - のフィルタ−を通して聞こえてくるように感じるのだ。音楽とこうしたサウンドは世界や娯楽や音楽の概念を通して私たちのもとへやってくるのだ。音楽はつねに聞こえてくる構成物を越えたもの、ほかの場所にあるものなのだ。二−ノ・ロ−タや小津映画のサントラのことを考えればよい。
そのあと、コンガ、ベ−ス、ファンキ−なホ−ンの曲では、ギタ−とサックスの即興が聞こえてくるのだが、ありきたりのジャズ・フュ−ジョンを聞いているような感じはしない。そうではなく、ジャズ・フェスティバルをやっている最中のヨ−ロッパの小さな町のホテルにいて、広場でやっているバンドが聞こえてくる、そんな自分を簡単に想像できるだろう。ヴァイオリンはただコメントと気持ちの喚起がここでは一番大事なことなんだと確認するにすぎない。
私たちにこのような印象を与えるのは単にミックスや演奏のせいではない。スタイルの「モンタ−ジュ」のテクニックが、時にたった一節の中にさえコントラストを与えるのだ。そして批判的な考えを生み出したり、実際には聞こえていないがそこに実在してもよいようなほかの音楽やサウンドへの記憶へと私たちを導いたりする。
ほかの曲ではフランスの子どもたちの話声や歌声がノイズから立ち現れ音楽となる。そして優美なリズムとほぼメロディ−の話声が互いに絡み合ってひとつのメッセ−ジ(レコ−ドのすべての登場人物と妄想のメッセ−ジ)が生まれる。そのメッセンジャ−は子どもたちなのだ。
たぶんもうひとつのメッセ−ジはタンゴにある。実はこれはサンバであり実はこれは私たちをあれやこれやの思いにいたらせる悲しみと幸せを運ぶ遊びなのだ。
別の曲にあるバイ−アの街の通りのパ−カッションのサウンドは他の曲とは異なる。とても離れているのに、理性と純粋な心のまじりあった処理をされている。たぶんこの調和はこのアルバム全体を説明しているかもしれない。
理性の洗練と心の純粋性。すべては - - - ブラジルがあふれているにもかかわらず- - - が日本のタッチだ。シロフォン、ヴィブラフォンとピアノのコンビネ−ション、甘すぎるキャンディ−のように西洋的でもある旋律の合間に現れる東洋的な音程。無邪気なようにみえる知識。真実の無垢。不思議なしとやかさと不思議な大胆さ。「バ−・デル・マタトイオ」は独創的なオブジェだ。
1994年10月、リオ・デ・ジャネイロ カエタノ・ヴェロ−ゾ(和訳:細川周平)
SDSD-1003
(C)(P) 2011 Seigen Ono/Saidera Records