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Extreme対談 vol. 2 フランク・リーダー×リュウ・イタダニ(前編)

2012.03.05

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とてもニッチなアプローチですけど、そのニッチを形にできると思ったんです。

―なぜドイツにいることがフランクさんにとってそれほど重要なんですか? 縫製の質や素材の面でしょうか?

フランク:まず自国にいると情報を得易いんですよ。文化的情報も、クリエイティブな情報も、製造者に関する情報も。それを生かすには、やはりその国で製造することが最も理にかなっている。確かに、ベルリンからだったらポーランドに行って製造してもらうことも簡単ですし、ずっと安価です。利益率もずっと高いでしょう(笑)。でも、僕がやりたいのはそういうことではないんです。経済的にものを作ることよりもっと、何というか、「ソウル」が大事なんですよ。服に命を与えてくれるものです。そのソウルは、ドイツで作られることによって吹き込まれる。僕自身、どういうものを求めているかきちんと言葉で説明できて、それを理解した上で作ってくれる人たちがいることが重要なんです。とても小規模な製造業者、30年も40年も経験があるような、その筋のエキスパートたちと共に作り上げたい。そういう人たちこそが、僕が作りたいと思うものに命を与えてくれる。

―そういう考えは、ドイツで育ちながら芽生えたものなんですか? それとも、ロンドンという外国の街で過ごした体験が、自国の文化を評価するきっかけになったのでしょうか。

フランク:間違いなく、ロンドンに行ったことがきっかけですね。ドイツに居たときは、近すぎて見えなかったことでした。恐らく、ドイツでファッションを学んだドイツ人デザイナーには共感しにくい部分だろうと思います。ロンドンに行ったことと、そして再び戻って来たことで、「他の誰もやっていないことができるかもしれない」と気づきました。とてもニッチなアプローチですけど、そのニッチを形にできると思ったんです。例えば、日本の人々はドイツのもの作りや文化にとても関心が高いですが、日本の人が同じことをやろうとしてもなかなか難しい。アクセスする術がないからです。でもドイツ人の僕なら、とても深いところまで掘り下げて、まだ誰も発見していない宝(のようなもの、製造者)を探すことができます。僕は、服を通して人とコミュニケーションしたいんですよ。

―では実際に、生産者や製造者の方たちを訪ねて行くんですね? それはドイツ全国なんでしょうか、それとも主にベルリン近郊に集まっているんですか?

フランク:ドイツ全土です。それだけでなく、オーストリアに行くこともあります。今はもうほとんど決まった人たちと仕事をすることが多いですが、新しい人との出会いはいつでも嬉しいものです。リュウを一度連れて行ったことがあったよね、ウールを生産している牧場に。

リュウ:ありましたね。

フランク:いわゆる「羊飼い」という人たちですよ。かなり田舎の方で、羊を育てて羊毛を生産している方がいるんです。

リュウ:そこでご馳走になったスープが美味しかった。覚えているのは食べ物のことばかりで(笑)。

フランク:ははは。でも、そうやって生産者の方たちと関係を築けるのは素敵なことです。ただそこで作られたものを買うだけでなく、どうやってそれが作られているのかを知ることができる。もちろんわざわざ行く必要はないんですが、行くことでグッと理解が深まります。そこに物語が生まれ、コミュニケーションが生まれる。こういったことが僕自身の仕事に、プラスに作用するんです。

当時は、ベルリンにそれほど魅力を感じなかったかもしれないですね。
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―なるほど。ちょっとフランクさんの話が続いてしまったので、リュウさんにもお聞きしたいのですが、リュウさんは2003年に卒業されて、すぐ東京に戻られたんですよね?

リュウ:そうですね。

―初めてベルリンを訪れたのは2001年だったということですが、そのときの印象は?

リュウ:大学の休暇中で...春だったかな? 覚えているのは、建設中の建物がとても多かったことですね。確か、ソニー・センターの辺りに連れて行ってもらったんですが、クレーンなんかがいっぱいあった。まだ出来かけの、新しい街という印象を受けました。

フランク:あまりそのときのことは覚えてないですね。何をしたっけ? レンタカーを借りて田舎に行ってみたのはあのときかな?

リュウ:ああそうだ、田舎の方のレストランに行くためにレンタカーを借りました。覚えているのは、途中でスーパーマーケットに寄った際に、「恐らくこの人たちが日本人を見るのは初めてだと思うよ」と言っていたこと。ポーランドとの国境付近で、それくらい都市部からは離れたところでしたね。

フランク:まだ東の方の人たちが外国人に触れる機会が少なかった頃です。僕の妻は日本人なんですが、98年くらいに一度東側を妻と一緒にリサーチを兼ねてドライブをしたことがあって、写真を撮ったりしていたんですが、かなり怪訝な感じで周りに見られたことを覚えていますよ。「ドイツ人の男が、アジア人の女の子と二人で何をやっているんだ?」という感じでね、すごく怪しまれた(笑)。

リュウ:特に悪い印象は受けなかったですけどね。

―特に良い印象もなかったんですか?

リュウ:当時はロンドンでの生活をとても楽しんでいたので、ベルリンにはそれほど魅力を感じなかったかもしれないですね。

―では後に自分が引っ越してくることになるなんて想像していませんでしたか?

リュウ:思わなかったですね。でも、2007年に再度ベルリンに来たんです。フランクと「ドクメンタ」を見に行こうということになって。そのときに、ベルリンが完成した街になったように思えて。さらにフランクの住居、今はアトリエになっているこの場所を見たときに、すごくいいところだなと思ったんです。内装なども素敵でしたしね、ベルリンに来たらこんなところに住めるのかなと思って(笑)。

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