ソロデビューした渡辺俊美氏にインタビュー。
2012.06.18
TOKYO No.1 SOUL SETで活躍し、2011年末には猪苗代湖ズで紅白歌合戦にも出場した渡辺俊美氏が、待望のソロデビュー。なぜ、このタイミングでソロ活動をスタートさせ、自身のプロジェクトTHE ZOOT16との違いは何か? など、気になることをインタビューするとともに、彼のファッション観やライフスタイルなどについても訊いてきました。
Photo_Yuya Wada
Edit_Ryutaro Yanaka
- 待望のソロデビューということですが、なぜ今のタイミングで「ソロ」でデビューすることを決断したのですか?
渡辺俊美(敬称略/以下俊美): THE ZOOT16の『ヒズミカル』を作ってたときに「次はソロやりたいな」って。もう、大統領もオバマに変わったし、いろんな意味で反グローバル的な要素もなくなりつつあるし、正直「ヒトのことはどうでもいいかな」って、今後はちゃんと自分のことを歌いたいなと思ったんです。
それで震災があって、後に取材を受けた際には「来年の3月11日にはソロで出したい」と応えていたから、ほぼ予定通りです。
- 震災の影響もあったんですか?
俊美:
ん~、逆に震災で再度考えさせられました。TOKYO No.1 SOUL SETのアルバムを出すのは決まっていたのですが、それが延びたから、ずれ込んだって感じですね。
10代、20代とかはストレスの発散をヒトのせいにしたり、親や学校のせいにしたりしてたんですけど、30代でzootをやり始めてから具体的に「何が悪いのか」を考えるつれて、自分が悪かったんじゃないかって気付き始めて。40歳過ぎると「やっぱりオレが悪かったんだ」って(笑)、自分が歩んだ道だったと自覚して、その感じを歌いたかったっていうのはありますね。自分は何が好きなんだとかも。
- あらためて見直した自分について歌ったわけですね。
俊美: そうですね。震災の前後で変わったのは、もし起こってなかったら「今」のことを歌っていたと思うんです。震災後には「未来」のこと、「子ども」のこととか、そういうのも含めて、希望は歌いたいな、と思いました。
- タイトルを「としみはとしみ」と題した理由は?
俊美: フェリシティ(felicity)の櫻木さんって方が、デモの段階で「俊美くんは何やっても俊美くんだね」って仮の文章を入れていて、まさにそうだなって思って、いただきました。あと漠然と平仮名にしたかったのは、今まで充分にカッコつけてきたから、今度はもうちょっと自分のダサい部分っていうのを全面的に押し出していこうと。でも、意外とそれが個性だったりするし、それでイイんじゃないかなという思いがありました。
- ソロでいうとTHE ZOOT16とは、曲も歌詞も随分違った雰囲気ですが、ちなみにどういったプロセスで作り始めたんですか?
俊美: 音が先ですね。
- 音を作って、歌詞をはめていく。
俊美: 意外とzootやソウルセットと変わらないんですが、夜のイメージだったりとか、昼のイメージだったりとかで、まずメロディーを考えて。歌詞は自分に対しての歌だったり、息子に向けてや彼女に向けた歌だったり、ある意味で福島だったり。まぁ「福島=自分」ではありますけど。「僕は今後どうしていくのか」というところを震災から1年経った時点で振り返って、いろいろな思いが確信になってから書き始めていった感じですね。2曲目の『僕はここにいる』が1番最初に出来て、1曲目の『安らぎの場所』が1番最後に出来ました。
- どちらも心に響く曲ですよね。
俊美: 結局「誰のせいにもしない」。楽なんですけどね、ヒトのせいにしてしまえば。向き合わなければいけない自分の立場もあるので、きちんと向き合っていこうと。あと最後に書いた『安らぎの場所』には、やっぱり自分の夢はここにあって、こうあるべきというのを歌いたいなと。これは震災のずっと前から思い続けていて、ソロをやるときにはこんな歌を歌いたいなって思っていたんです。
- ネガティブな出来事を乗り越えていくような歌詞が多い気がしますが。
俊美: 落ち込んでいたらキリがない、だから希望を自分でみつけないといけない。ヒトは何もしてくれないってことが分かったんで。もし僕が福島県出身でなかったら、もしかしたら海外に行ってたかもしれないし、それこそ沖縄に移住してるかもしれない。自分はそういった立場の中で光を見出せないと、アーティストをやってる意味がないと思うので。
- 福島で育ったことも影響していると。
俊美: それの対話がずっと続いたんでね。実際自分では、加害者的というか、小さいときからその近くで過ごして、周りにも関わってる方はたくさんいましたし、だから全部を受け入れていた自分もいるし。やっとですよ、東京出てきてチェルノブイリがあって、ブルーハーツやタイマーズが歌ったことで気付かされた。もうすでに遅しというか、敢えてそのときは歌えなかったというか、自分はそこで生まれてきたし。そういうのも「上の世代が作ってきただけだよ」というのでもないし、ギャグでかわすくらいしか出来なかったですね。
- そういった思いも込められているのですね。
俊美: そういった意味で被害者と加害者の関係とか、あとまだ終わっていないという、放射能が出てるという事実もあるので。だから歌詞の内容は考えましたね。