小西康陽×坂本慎太郎 対談"音楽のはなし"--前編
2013.01.09
ー今現在、ソロ活動を始めてからバンド活動を振り返ったとして、当時では気づかなかったことってありますか? そもそも、お二人にとってバンドとは何だったのか。
坂本:バンドってけっこう大変なんですよ。人間関係とか体力いりますし。
小西:まったく同じ意見です。
坂本:だからこそ面白いんですけどね。自分にないものを持ってる人間と一緒にやることで、思ってもみないものが生まれたり、グルーヴが出たりとかっていうのがバンドの醍醐味だと思うんですよ。ひとりだと楽な部分と、そういうことをやろうと思ってもできないという面が両方ありますけどね。
小西:だからこじんまりしちゃうんでしょうけど。
坂本:予想外のものは生まれないですよね。わざとそういう手法を取らない限り、なかなか事態は起きづらいですね。
ー小西さんと坂本さんがソロ・アルバムをリリースされた2011年というのは、やはり震災があった年として記憶に刻まれているわけですが、その2枚のアルバムには震災以後の日本の空気を感じ取るような、何か独特な気配があるような気がしています。その気配に対しては、互いに自覚的だったりするのでしょうか?
坂本:僕、小西さんのインタヴューけっこう読んでるんですよ。雑誌とかで見つけたら。僕の中で「インタヴューが面白い人」っていう位置づけでして。それで、なんのインタヴューかも忘れたし、それが震災の前か後かも分からないんですけど、ある時を境にモードが変わったような気がしたんですよね。上手く言えないんですけど、すごく死を意識したような、そういうモードになりましたよね? ソロ・アルバムを聴いて、その時も同じことを思ったんですけど。
小西:5年前に大きな病気になったからじゃないですかね?
坂本:それは死にかけるくらいのですか?
小西:くも膜下出血になって。痛かったのは1日だけでしたけど、気づいたら集中治療室だったので。それからは一切お酒を飲まなくなったし、家でずっと独りでレコードを聴いてる時間が長くなっちゃって。
坂本:僕の友達で小西さんのラジオ番組(NHK-FM「小西康陽 これからの人生」)の大ファンがいて、その人に「とにかく良いから聴いてくれて」って言われてて聴いたんですよ。その後に、番組のホームページで小西さんが文章を書かれてるの見たりして、それを読んでそんな風に思っちゃったんですよね。上手く言えないんですけど、"ガンガン行く"みたいな感じじゃなくりましたよね? "もう一人でいい"感じというか。
小西:うん、そうですね。僕にとって震災は、浮かれたりはしゃいでたりしてた時に目上の人に突然怒られた、そういう感覚だったんです。
坂本:でも、小西さんのソロ・アルバムは震災前に作ったんですよね?
小西:そうなんですよ。
坂本:じつは、僕もレコーディングこそ震災直後なんですけど、アルバムのすべての曲は震災前に作っていて。で、それをそのまま録ったので、特に震災前と後で変わったということはないはずなんですよね。
小西:でも実際、音楽家なんてずっと自分のことばかり考えてる人間じゃないですか?「このコップの水を見ても、ジャーナリストは世界のことを考える。世界のニュースを読んでも、芸術家は自分のことだけを考える」っていう有名な言葉があって、去年の震災で思ったのはまさにそういうことなんです。震災が起こった時に一番最初に思ったのが、今作っているアルバムは出せるのかなあ、ということ。もし出したとしても、ゆっくり聴いたり、評価してくれたりする人がいるのかどうか、ということまで考えた。結局は、自分のことばかり考えていました。
坂本:そういう意味で言うと、僕もレコーディングの作業を最後までやるっていうのに集中したかもしれないですね。4月からレコーディングを始めたんですけど、スタジオにいても色んなニュースが入ってくるし、エンジニアの人とかとの会話もそういう風になるんですけど、とりあえずは今取りかかっているやつは完成させるって無理矢理に思ってたとこはあるかもしれないですね。それで、自然にバランス取ったというか。
小西:では、"幽霊"とか"幻"とか"ファントム"っていう言葉は、最初に曲を作った時からあったんですか?
坂本:歌詞は震災をまたいでるんですよ。「幽霊の気分で」だけは最初から歌詞がありましたが。
小西:え、そうなんですか?
坂本:あのアルバムを作った時は、バンドが解散して放心状態というか、何もやる気がしなくて、そういう状態の方が何か影響があると思って作り始めたんです。そこに突然震災がきて、それにプラスしてプライヴェイトなことや、(気分的に)落ちることがいっぱい重なった中で、レコーディングや一人で延々部屋に籠ってデモテープを作っていたんですけど、その作業に向かうことで無理矢理バランスを取ってやってましたね。