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Lawrence Jenkin × 荒岡俊行 伝説の眼鏡デザイナー、 ローレンス・ジェンキンが復活! 積年の想いを荒岡俊行が激白。

2014.07.18

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「僕にとってはとにかく憧れの人なんです」

-ローレンスが一旦引退した96年というのは、彼は50代ですか?

荒岡: 今71歳なので、そうですね。〈アングロ アメリカン アイウエア〉はローレンスが引退した後も続いたんです。元々1882年に誕生した、本当に古い歴史を持つブランドなんですが、ローレンスのお父さんが40年代に会社を譲ってもらって、その後ローレンスの弟が引き継ぎ、〈アングロ アメリカン オプティカル〉という名前で今も続いています。

-ローレンスは辞めた後、何をしていたんですか?

荒岡: 「Adaptive Eyecare」というところで、イギリスの医学博士と組んで、ボランティアの仕事を始めたんです。自分は長年眼鏡の世界にお世話になったので、恩返しをしたいという気持ちがあったようなんです。ところで、「アドレンズ」を知っていますか?

-度数をアレンジできるレンズのことですよね?

荒岡: はい、ユーザー自身が度数を調整できるレンズのことです。フレームの脇についたダイヤルを回すことで、液体のオイルが圧縮され、レンズの形状が変わり、度数が調節できるというものなんですが、この仕組みを医学博士と一緒に作ったのがローレンスです。この方式が一番コストがかからないということで、眼鏡を買いたくても買えないような、貧困層の人たちにも無償で配ったりできるようになったんです。

-終わりのない壮大なプロジェクトですね。

荒岡: そうですね。ローレンスは私財を投じて、このプロジェクトを推進していました。発展途上国の子供というのは、一度視力が悪くなってそのまま眼鏡がかけられないと、十分な学問を積めないままに大人になってしまいます。その結果、経済がなかなか発展していかないという悪いスパイラルに陥ってしまう。そんな状況から脱却するための一つの施策でした。結局、ローレンスと一緒にプロジェクトを進めていた医学博士の教え子が、アメリカで投資会社と組んで今の「アドレンズ」を開発したんです。

-ちなみに荒岡さんが、初めてローレンスに会ったのはいつ頃なんですか?

荒岡: 2005年なので、9年前ですね。僕はとにかく〈アングロ アメリカン アイウェア〉のヴィンテージのファンだったんです。デザイナーのローレンスは引退こそしたものの、まだ健在だという話を聞いていたので、ずっと会いたいなと思っていました。それであるときたまたまロンドンに行く機会があって、共通の友人を介して、ナイツブリッジで会ったんです。それが2005年の7月21日でした。

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Sirmont:上リムと下リムの太さのギャップを楽しむのがサーモントの醍醐味であるが、あえてギャップを少し縮めた遊び心のある美しさに目を奪われます。¥42,000+税
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Panto:全体的に丸みを帯び、ボテッと野暮ったいデザインと少し大きく中途半端なサイズ感など、予想していなかったアンバランスさが新鮮です。¥42,000+税

-念願の邂逅ですね。

荒岡: はい。とにかく僕にとっては憧れの人だったので。その時に色々な話を聞きました。自分はもう引退しているし、〈アングロ アメリカン オプティカル〉はすでに自分の弟に権利を譲っているということなどなど。なのですが、自分としては「もう未練はないのか?」とか「また眼鏡を作ってみないか?」とか色々な方向からプッシュしてみたんです。

-初めから口説く気満々だったんですね。

荒岡: 最初は終始「もう引退したので...」という感じだったんですが、話をしていくうちにまたやってみてもいいかなという感じになってきたんです。そんな話をピザ屋さんでしてたんですが、そんなときにロンドンで2回目のテロが起きたんです。いわゆる「ロンドン同時爆破テロ」です。

-それで日付をはっきり覚えてるんですね。

荒岡: はい。それで、もうこんな話をしている場合じゃない、ということでそのまま別れてしまったんです。それから日本に帰ってきた後も、ずっと気になっていました。でも、お店が忙しかったりして、なかなか実際にロンドンに行くこともかなわずという状態がずっと続いていたんです。ただ、ローレンスは年齢も年齢なので、もう一回眼鏡を作ってもらうなら、早くしなくてはと思っていました。なぜか妙な使命感のようなものがありましたね。ローレンスは本当に素晴らしいデザイナーなので、若い世代に彼の魅力を伝えなくてはという。僕がやらなきゃ誰がやる?という感じでした。

-そこからどのようにコラボレーションまでこぎ着けたんですか?

荒岡: それから何年か経ってから、人づてにローレンスが動き出したという情報をキャッチしたんです。なんでも眼鏡を作るための機械を買い集めていると。そもそもイギリスは産業としての眼鏡作りはもうだいぶ衰退してしまっているんです。まず工場がないですからね。やはり眼鏡を作るなら、日本かイタリア、もしくはフランスなんです。

-確かにイギリス産の眼鏡ってあんまり聞かないですね。

荒岡: ただ、ローレンスはあくまでイギリス製というのにこだわっていて、中古で眼鏡の機械を集めていたんです。彼自身はデザイナーなんですが、昔プロトタイプを作った経験もあるしということで、実際に手を動かして眼鏡を作り始めた。そんな話を聞いたのでこれは!と思い、また会いに行きました。

-感慨深いですね。ローレンスも当時のことは憶えていたんですか?

荒岡: はい。「あのときはごめんね」というような話をしながら、今度こそということで、改めて眼鏡作りを依頼したんです。ブランドネームに関しては、先程も言いましたが〈アングロ アメリカン オプティカル〉という名前は使えないので、さてどうしようかと。色々考えた結果、自分の"ローレンス・ジェンキン"という名前は昔ほど知られていないし、今一度この名前を世に知らしめたいということで、〈ローレンス ジェンキン スペクタクル メーカー(Lawrence Jenkin Spectacle Maker )〉というブランドネームとなりました。

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-ある意味直球ですね。

荒岡: はい。あとはローレンスには娘もいるんですが、後々彼女にブランドを引き継いでもらいたいという想いもあるみたいです。今は少しずつ手探りで勉強させている最中みたいですね。

-お話を聞いていると、本当に大切に進めているブランドだということがよくわかります。ただ、量産にはあまり向いていないかもしれませんね。

荒岡: そう、そこが問題でもあるんです。なにしろ今は、伝説のデザイナー自らが機械を操って眼鏡を作っているような状態なので。でもこれは本当にすごい話なんです。〈カトラーアンドグロス〉のカトラー氏でも眼鏡を実際には作らないと思うんですよね。

-確かに。

荒岡: ただ、これがいつまで続くかはまだわからないんです。今、娘さんのほかにも若いデザイナーを育てているところなので、彼らが引き継ぐのか、もしくは量産的な体制に移行してしまうのか。その辺をきちっと決めずに見切り発車的にスタートしたところはありますね。

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