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FEATURE|ティモシー・カーティス。 ストリートで生まれた、描くことへの情熱。

ティモシー・カーティス。 ストリートで生まれた、描くことへの情熱。

Interview with Timothy Curtis

ティモシー・カーティス。 ストリートで生まれた、描くことへの情熱。

フィラデルフィアのグラフィティカルチャーにおいてアーティストとしてのキャリアを歩みはじめ、現在はNY、ブルックリンを拠点に活動するティモシー・カーティス(Timothy Curtis)。この度、彼にとって初となる個展「Laugh Now, Laugh Later: Painted Drawings」が、村上隆氏のKaikai Kikiが運営する、中野ブロードウェイ内のギャラリー「Hidari Zingaro」にて開催されました。現在の作風こそポップではあるものの、彼の描くラインには、スタジオアーティストのそれとは違った独特の力強さが内在しています。そんなティモシーに、独学でストリートアートを学んできたというアートとグラフィティの関係性について聞いてきました。

  • Photo_ Kyle Dorosz(TOP), Haruki Matsui(in Japan)
  • Text_Maruro Yamashita
  • Edit_Jun Nakada
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Timothy Curtis(ティモシー・カーティス)

独学で美術を習得したグラフィティーアティスト。1991年(9歳)の時に、フィラデルフィアのストリートでアーティストとしてのキャリアをスタート。13歳になる頃にはカリグラフィをペイントしたり書いたりするようになり、シンプルでありながらどこまでも変わり続ける線への情熱が形成されることになる。現在は、コミュニティの発展やティーンの創造性をサポートしたいという思いから、ブルックリン公立図書館(2017)や同じくブルックリンにあるクララ・バートン高校(〜現在)ともコラボレーションしている。
timothycurtis.com

ルーツはタギングとカリグラフィー。

ー雑誌『JUXTAPOZ』でのインタビューで、9歳の頃に街でタギングをはじめたと語っていましたが、そもそもどのようなキッカケではじめたのですか?

ティモシー:その当時、友達が皆グラフィティをやっていたんだ。実際に街で描いていなかった奴でさえ自分のタギング用の名前は持っていたくらいでさ。僕もタギングを真剣にやりはじめる前から自分のタグネームは持ってたよ。最初のグラフィティライターとしての名前は、9歳の時につけた「Pipe」っていう名前で、その後「AGUA」っていう名前で描くようになったんだ。

ー当時(1991年頃)のフィラデルフィアのグラフィティシーンはどういう状況だったんですか?

ティモシー:その頃はまさにピークの時期だったんじゃないかな。フィラデルフィアの中でもベストなライターたちはその頃はもういなかったんだけど。それに、街中のグラフィティがバフされる(消される)一年前のことだったから、グラフィティはいたるところにあったし、10年以上も残っていた古いグラフィティもあったんだ。現在のフィラデルフィアは、とてもクリーンな街になっていて、昔はグラフィティに埋め尽くされていた壁なんかも、それ以外のものに取って代わってる。けど、それでも長い伝統のあるタギングの文化はいまでも残っているよ。

ー子供の頃はどんなカルチャーに興味を持っていたんですか? ロールモデルのような人はいましたか?

ティモシー:僕はグラフィティカルチャーに深くのめり込んでいたよ。あとは、身の回りにあったスケートボードやピストのメッセンジャー、ラップミュージック、オルタナティブやパンクロック、MTVなんかのストリートで生まれたクールなものから影響を受けていた人たちに。大きくなってからは特にロールモデルみたいな人はいなかったかな。変わらずストリートにいた人たちからは影響を受けていたけどね。友達にイケてる奴が多かったから、自然とそういう物事は把握していたと思う。

ーあなたのいまのスタイルである、”キャラクター”と”顔”は、いつ確立されたものなんですか? それらもやはりタギングがルーツになっているのでしょうか?

ティモシー:自分のスタイルを確立できているかどうかは分からないな。毎日製作していて、何かを掴めたと思ってもその翌日にはその感覚はなくなってしまって、また探し求めるとことの繰り返しだよ。”顔”をタグの隣に描きはじめたのは、まだ僕が若い時で、”顔”は僕のタグと長い間セットになっていたんだ。そもそも、”顔”をタグの隣に描くっていうのは、70年代から続いているフィラデルフィアのグラフィティカルチャーの伝統なんだよ。主に笑っている顔だね。自分のタグをどんどん色々なスタイルで描くようになるにつれて、同じようにたくさんの”顔”を描くようになったんだ。2003年前後に、自分がたくさんの異なる”顔”を描いていることに改めて気づいて、それらをまとめてスケッチブックに記録しはじめたんだ。いまでは10,000以上の”顔”が描いているよ。そういう僕のスタイルのルーツは、タギングとカリグラフィーさ。

ーあなたはストリートカルチャーや、グラフィティの歴史の中から現れたアーティストですが、同時に”アート”というより大きな枠組みの中の一部でもありますよね? その辺りのことについてどのようにお考えですか?

ティモシー:そうだね。僕自身はストリートやフィラデルフィアの、とても長く根が深い歴史の中から出て来た。けれど、アートの歴史を学び、それがいかに昔から続いているかということを理解したとき、これまで以上に、自分自身が人類の歴史にコネクトした様に感じたんだ。アートというのは神秘的なものであり、この世界自体と同じだけの歴史がある。人類は自分たちの目が開いたその時から、記録を残し、イメージを描き、何かをつくり続けている。僕の人生において、朝から晩まで毎日アートを製作することは、アートの歴史の連鎖の輪に組み込まれ、自分自身をより大きな人間としての領域に置くことになるんだ。つまり、アートを製作することで、自分自身がより大きな何かと繋がるような感覚が生まれるということかな。

ー今回の展示は、あなたにとって初のギャラリーでの展示ですよね。展示のタイトルである、”Laugh Now, Laugh Later(いま笑い、後でも笑う)”にはどのようなメッセージが込められているのですか?

ティモシー:展示のタイトルを決める前に、一年前に描いた自分のタグの写真を見ていたんだ。その写真にはタグの隣に”いま笑って、後で泣く”って描いていたんだよね。その時はそういう風に考えていたと思うけど、いまの僕には泣くことが何もなかったから、”いま笑い、後でも笑う”っていう風にフレーズを変えたんだ。この展示タイトルには自分の幸福さを表現したかったんだ。僕はいま笑っているし、この先もきっと笑い続けていられると思っているからね。

グラフィティは芸術と胸を張って言えるようなものじゃない。 芸術とはまったく別のもの。どちらも偉大なんだ。

ー今回の展示はどのような経緯で開催されたのですか?

ティモシー:今年の4月にBrooklyn Museumで行われた「Brooklyn Artists Ball」の翌日、朝早くに起きたら、ガールフレンドのDanaがKaikai kikiからメールが来てるって言って来たんだけど、村上隆が僕の作品を気に入っていて、彼の持っている「Hidari Zingaro」でエキシビションをやらないか? っていう内容だったんだ。僕は笑って彼女に、だから言ったろ? って答えたんだ。というのも、その数週間前に、僕は村上隆からInstagramでフォローされたんだ。だからDanaに、きっと村上隆は僕に何かチャンスをくれるよって冗談で話していたんだよ。そしたら彼女は、きっと村上さんはきっとArtist Ballでの私のドレスアップ姿を見て感動して連絡してきたのよ、なんていう風にジョークで返してきてさ(笑)。

まぁ、そんな冗談は置いておいて、僕は、村上隆がそんな風に言ってくれたことや、彼とペインティングに関して遠慮なく話すことが出来たのが最高に嬉しかったのさ。その後、彼はNYのブルックリンにある僕のスタジオまで訪ねて来てくれたんだ。嘘みたいな体験だったよ。僕はずっと彼のファンだったし、尊敬していたからね。彼はアメリカの文化に深い造詣を持っているし、僕は彼の作品や仕事は、20年以上に渡ってポップカルチャーとアートが近づいて来た結果のひとつだと思っている。芸術的にも文化的にも商業的にも交差したアーティストと出会えるのはとても光栄なこと。偉大な目を持っているアーティストである彼に、僕の作品を評価してもらえたのは、本当に光栄なことだよ。

ー村上隆氏やKaikai kikiについては、どのような印象を持たれていましたか?

ティモシー:村上隆とKaikai Kikiのことはすごく前から認識していたけど、彼からコンタクトをもらってから、より一層”スーパーフラット”や、Kaikai Kikiについて興味を持つようになったよ。そして、ここ数ヶ月は村上隆についてたくさん学び、彼やKaikai Kikiが手がけて来た作品やプロジェクトがどれだけ深いコンセプトを持ったものだったかということを知った。すべての作品やプロジェクトは、確固たる基礎の上に築き上げられていて、素晴らしい形でアウトプットされているんだ。そして、村上隆が他の若いアーティストたちにさまざまなチャンスを与えているのは、とても素晴らしく思いやりのある行為だと思う。ほとんどのアーティストは、自分の世界に没頭していてそんなことは出来ないからね。

ーあなたはグラフィティとアートを別のものとして考えていますか? 日本では、街で活動することにこだわるグラフィティライターも多いですが、それはアメリカでも同じですか?

ティモシー:まったくその通りだね。グラフィティはグラフィティだし、イリーガルなものだよ。それはアメリカも日本も変わらない。これまでと同様に。グラフィティライターとしての信念を持っている日本のライターたちに敬意を示したいね。グラフィティっていうのはスタジオの中では存在出来ないんだよ。それはあくまで別の何かになるんだ。僕がスタジオで製作する作品も、間違いなく自分自身や僕がストリートで学んだものの延長線ではあるけど、まったく同じではない。グラフィティっていうのは、若い男の子たちのゲームで、それはストリートのものさ。それ以外の場所では意味がないんだ。本物のグラフィティライターはその違いを分かっているはずだよ。ストリートで活動して来て、その活動をスタジオに移したり、別名義でキャリアを築いたグラフィティライターはたくさんいる。もちろんそれは名誉なことだけど、ストリートもリアルなグラフィティライターも、誰が本物かっていうことは分かっているんだ。

ーでは、グラフィティとアートの関係性について、あなたの意見を伺わせてください。

ティモシー:グラフィティもアートのひとつだよ。ゲットーやスラム街に住む人たちにとってのアートなんだ。そこにはちゃんと歴史があって礎があるからね。僕が知っているだけでも、フィラデルフィアでは50年近くもスタイルや描く技術がリビルドされ続けているし。それは世代から世代に受け継がれていくもので、ヤバいタグを描くっていうのは、まさしくアート的な行為だと思うよ。ただ、グラフィティもアートも理解するには膨大な時間がかかる。でも、時間をかけて何かを学ばなくても、つくりたいと思った瞬間からつくり出すことができるのは一緒だよね。だから、どちらかが優れているということじゃないし、そもそも誰かの許しが必要なものではなくて、それ自体で成り立っているものなんだ。とくにグラフィティは、いまも多くのスタジオアーティストたちがインスピレーションを得ようとしている。そう意味でグラフィティは、偉大な貸し手みたいなものさ。グラフィティは王様で、アートは永遠だよ。

ーあなたの作品に描かれたラインの力強さや、ラインのフローはあなたのバックグラウンドであるグラフィティの影響を感じさせます。現在でも、あなたが作品を描くということはグラフィティと繋がっている、という自覚はありますか?

ティモシー:もちろんさ。グラフィティは僕の身体を形づくるようなものだし、僕の描く線は僕がこれまでにグラフィティを描くことやカリグラフィーに費やしたすべての時間を幹として形づくられているんだ。つまり、僕がどういう人間で、どこからやって来たかっていうのが、作品に直接的にリンクするのさ。そこは絶対に間違いないよ。

ーでは、現在注目していることはありますか?

ティモシー:すべてにさ! 僕は人生と地球の生徒みたいなものだからね。いつでも何かを見ているし学んでいる。僕は日本のカルチャーやアートも大好きだよ。もちろん、日本のグラフィティもね。

ー最後に、この先のプランを教えてください。

ティモシー:コーヒーを飲んで、エッグ&チーズを乗せたベーグルを食べて、身体にペインティングでもして、面倒な厄介ごとから距離を置いて、携帯でもダラダラ見てようかな。元々服のブランドでも働いていたことがあるから、アパレル世界にも戻ってみたいな。僕のアートを服に乗せたりしてね。前を見据えて進んでいくつもりさ。ありがとう!

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