vol.11
青野賢一[後編]
アート、音楽、ファッション...
全てにリンクする青野賢一の活動 [後編]
ビームスの名物プレスとしてだけでなく、最近では多岐に渡る分野で伸び伸びと活動する青野氏。今回は深淵なる氏の世界観の一端を探ってみました。前編はコチラでご確認を。
隙間を糸で繋げることでリンクさせている
―芸術関係の話題に触れていきたいと思います。青野さんの中ではどんな刺激を求めてアートに興味を持たれているのでしょうか?
青野:日常でハッと気付かされる事柄って刺激的だと思うんです。前述の文章を書くこともプレスも隙間というのがキーワードになっていて、それらを糸のようなもので繋いでリンクさせることで、新たな驚きのようなものが生まれますよね? それってアートに出会った時と同じだという感覚なんです。繋いで新しい価値観を生み出すのはDJのそれと似ているように思えますし。
―そうなってくると、冒頭でこちらが伺ったアートへの入り口云々というのは愚問でした。青野さんの中ではそういった要素は線引きされてないという感じなんですね。
青野:コラージュやサンプリングも含めて、自分なりの意見や手を加えることで新しい価値観や芸術が生まれると思うんです。友達のアーティストで、ミュージアムショップなどで売っている有名作品のポストカードに手を加えた作品を作った人がいるんです。貴婦人の顔がスカルになっているという。これって新しい芸術作業って呼べるんじゃないかなと。芸術というと高尚なものと捉えがちですが、それは一側面でしかないんです。その友人の作品もエレガントでありながら死という対照的なものを連想させるという、発見が隠れているんですよね。ハッと気付くことと先ほど言いましたが、まさにそのケースだと言えると思います。堅苦しく考えずに、ジャンルレスに感じることが必要なのではないでしょうか。
―普段の生活の中で、そういった気づきの瞬間みたいなものは頻繁にあったりします?
青野:これを話すとよく意外だと言われることが多いんですが、僕は今でいうiPodとか、かつてのウォークマンといったポータブルプレイヤーを持ったことがないんです。音楽は大好きなんですけどね。
―それはまたどういった理由で?
青野:その時々に入ってくる情報というものを大事にしたいからです。例えば移動中の時間などに音楽を聴く方は多いと思うんですけど、その時間って取り戻せないじゃないですか。その時、その場所でしか得られない様々な情報がそこにはあると思うんです。少なくとも聴覚を遮断してしまうというのが勿体ない気がするんです。何気なくいるときに、自分の意識に飛び込んでくるものを信じたいという感覚ですね。それでなくとも今は情報過多な時代ですし。
―確かに、虫の声や風の音など普段は気に掛けないような様々な情報が溢れているともいえますね。
青野:情報が多い分、リテラシーは個々にとって重要になってきます。例えばマニュアルめいたものって非常に便利なツールなんですけど、頼りすぎるとアドリブが効かなくなるだけでなく、思考停止に陥ってしまう恐れもあると思います。僕はテレビなんてほとんど見ませんし。
―どこからか一方的に発信される情報だけを鵜呑みにしていると危険だなっていうのはありますよね。バナナがダイエットにいいとテレビでやったらスーパーから売り切れちゃうみたいな扇動されっぷりって、オイルショックの頃から変わらないことなのかも知れませんけど。
青野:そうなってくると、結局はパイの大きいものしか勝てなくなってきちゃうんですよね。思考停止に陥って遠のいてしまう前に、そこら中に素敵な事柄は転がっていることに気付くのが必要になってくるのかも知れません。でも、そろそろそういった傾向もリセットされていくような気はします。今後はよりパーソナルなものが注目されるというか、ツールとして浸透していくんじゃないでしょうか。
―ブログやツイッターなんかはそういったものの1つかもしれませんね。
青野:芸術の分野でも、所謂アートバブル的なものが瓦解して、また裾野に放たれたのが今だという機運は感じます。なんちゃってな活動じゃなくて、ちゃんとやってる人たちが増えてきているのも楽しみですし。個人で始めた活動が徐々に広がってムーブメントや運動になります。若いアーティストはどんどん台頭してきてますし、今後もどんどんイントロデュースしていきたいと思っています。
前編とは異なる角度で本棚をシューティング。
こちらは斎藤さんの作品。青野さんの私物です。