80年代に多感な時期を過ごしたことが影響している。
―音楽関係以外にも青野さんはアートにも造詣が深いので、これから芸術関係に興味を持つような人に「これは通っておけ」というような入り口を教えていただきたいです。
青野:一口にアートといっても間口はとても広いですからね。同時にとてもパーソナルな要素が関わってくるので、一概にコレというのはないのではないでしょうか。でも、本当に入り口はいっぱいあると思います。少しでも興味があるとしたら、自分から近寄っていかないと向こうからは来てくれないものですしね。
―ご自身が元々の興味を持ったきっかけというのは何だったのでしょう?
青野:ファッションや芸術、音楽などが1回全て野に放たれた時代に10代の全てを送ってきたのが大きいですね。80年代です。70年代のパンクなどを経て、「○○でなければならない」とか「○○であるべき」といったものが取り払われた時期だったんです。全ての要素が何でもアリのようになった分、自分でジャッジするのが大事になってきてましたから、スポンジのように様々なカルチャーを吸収していきました。当時はクラブへ遊びに行ってもオールナイトで同じジャンルがかかることなんてなかったですからね。格好いい先輩達も大勢いて、感受性の豊かな人に囲まれてレンジが広がっていった側面もあります。
―最も影響度の大きかったアーティストやムーブメントを挙げるとどこらへんになりますか?
青野:やっぱりYMOがルーツですね。こんなにファッショナブルにドラムを叩く人がいるんだと驚きました。音楽的にも世界を相手にした斬新なものでしたし。今でも高橋幸宏さんは心の師です。
―ファッション的な興味もその時代が皮切りになったのでしょうか?
青野:いえ。僕の家は母がファッションに携わる仕事でしたので、幼少期から親和性は高かったと思います。小さい頃からそういったものに触れる機会が少なくなかったということもありますし、活字からも様々な影響を受けたと思います。幻想文学というと語弊があるかも知れませんが澁澤龍彦や種村季弘の著作など、所謂小説というよりは学術書であったり、評論のような内容を好んで読んでいました。
―CDのライナーや書評など、文筆業もされていますよね。
青野:自分の考えや思いというものを表現するにはスキルが必要になってきますから、楽しみながらですけど勉強はしていかないとですよね。ですので、本はたくさん読んできましたし読むようにもしています。書く行為というのはとてもやりがいがありますし、これからもやっていきたいと考えています。
―そういった文章表現やファッションなどでご自身を表現するという行動は昔から意図的にされてきたのでしょうか?
青野:基本的に自分なりに楽しくやりたいだけですから、特に意識してというのはないと思います。世代がそうなのかも知れないですけど、涼しくしているのが良しというか......。中身は熱いんですがそれを見せない美意識みたいなものは染みついているのかも知れないです。押しつけがましいのとか苦手ですし、無類のアピール下手なので。
オフィシャルウェブサイトもしっかりと舵取り。ビームスの世界観を伝える大切なセクションです。
青野さんの本棚を公開。興味深い文献が並んでいるのが実によく分かります。