たまたま入ったのがビームスだった。

―貫してビームスの顔として最前線にいらっしゃいますが、元々のいきさつはどのような動議だったんですか?

青野:僕は高校・大学と付属校だったんです。高校時代は帰宅部でバンドなんかをやってましたが、母親から大学に入った頃に『そろそろアルバイトをやりなさい』と言われてしまい、何か働かないとなぁと。そんな折、ある日原宿を歩いていたらビームスのウィンドウにスタッフ募集の張り紙があったんですよ。前述の通りファッションが好きだったというのもあって、中に入って話を聞きました。その時面接をしてくれたのが栗野さんです。当時のビームスはカジュアルセクションから販売のキャリアを始めるのが普通だったんですが、ギャラリー(インターナショナルギャラリー ビームス)で欠員が出たということで、そこに配属されたんです。

―今もそうですが、その当時のギャラリーなんて最先端で緊張感がすごい空間でしたよね。いきなりそこで働くなんて大変だったんじゃないですか?

青野:敷居が高い店ですからね。世界中から名だたるブランドがどこよりも早く集まってきますし、来店される方もエッジが効いてるといいますか、刺激的な空間でした。販売としてはずっとギャラリー一筋でしたが、本当に色々な経験をさせてもらって勉強になりました。

―その頃はファッション一辺倒になっていったのでしょうか?

青野:いえ、DJも同時進行でやってました。大学の同級生に「ブルータス」の編集バイトだった子がいて、一緒に映画や音楽、芸術などの話を良くしてましたね。レコードのネタとかも共有したりして。ビームスに入ったからといっても、ファッションだけに絞るってことはなかったですし、それは今も変わってないと思います。

―フットワークが軽いというか、興味のあるものへの嗅覚が鋭いんですね。

青野:周囲にいる先輩、大人の人たちが色々と教えてくれたのが大きいですね。それはビームスの中はもちろんですが、それ以外に多様なジャンルの人々を介したアンテナを張っていて情報はインプットしやすい状況だと言えます。自然にできたものですが、人脈に助けられることは多いと思います。また、何を面白いと思えるかが重要なので、少しでも気になる事柄があったらジャンル問わず足を向けるようにはしています。なのでアパレル関係より、それ以外の知り合いの方が多いんですよ。

―ひょっとして青野さんは一人っ子ですか?

青野:そうです。人見知りってワケじゃないんですが、あんまり大勢でつるむのが得意じゃないんです。どうしても密度が低くなってしまうと思いますし、気のおけない仲間や興味深い人とちゃんとクロストークしたほうが有意義というか、僕にはフィットします。

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今回のFEATUREはここまでとなります。後編ではより突っ込んだ形でのアートやライフスタイルについて話を伺っています。近日公開ですので、お楽しみに。

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