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オノ セイゲン空間デザイナー/ミュージシャン録音エンジニアとして、82年の「坂本龍一/戦場のメリークリスマス」にはじまり、多数のアー ティストのプロジェクトに参加。87年に川久保玲から「洋服が奇麗に見えるような音楽を」という依頼により作曲、制作した『COMME des GARCONS / SEIGEN ONO』ほか多数のアルバムを発表。Photo by Lieko Shiga

RECORDING, SOUNDS and ENVIRONMENT

オノ セイゲン
空間デザイナー/ミュージシャン

録音エンジニアとして、82年の「坂本龍一/戦場のメリークリスマス」にはじまり、多数のアー ティストのプロジェクトに参加。87年に川久保玲から「洋服が奇麗に見えるような音楽を」という依頼により作曲、制作した『COMME des GARCONS / SEIGEN ONO』ほか多数のアルバムを発表。

Photo by Lieko Shiga

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You don't have to go...

2011.04.27

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『行かないで』

『あんたぁ、行かんでもええやん、もうちょっと、おりーな』

ほんとに、ブルースは哀しいね。


最初はエレキではなくフォークギターを始めた頃、同級生の兄だったかが、フィービ・スノウのデビューアルバム「Phoebe Snow」(1974年)をもってきて、英語もブルースも中学生だから、本当に、意味も何たるかも判らぬまま、それでも熱心に聞いていたんだな。そういうのを聞くことが、背伸びした大人の世界をのぞくように見えたんだろうな。セカンドアルバム「Second Childhood」は自分で購入した。何も知らなくとも少年の頃に無意識のうちに与えられた影響というのは、大人になってからの自分に、決定的な影響を及ぼしていることが確信できる。今でも愛聴盤の2枚で、思えばこれはたいへんなアルバムを入手していたわけだ。何年もあとになってまさかフィル・ラモーンにインタビューできる機会がくるとは。いいことも、そうではないことも、人生どこで何が起こるか判らない。

中学生の頃、私のまわり(関西)では、ヤンタン(ヤングタウン)とかリクエストはがきを読み上げる深夜放送が全盛期で、下ネタとフォーク系ミュージックとはある意味一体であった。関西人にしか判らないかもしれないが、お笑いと歌謡曲ではないニューミュージック(←もう言わないか?)は中高校生には、同じ世界(業界)だった。恋だ愛だとソングライターが寝ないで作った名曲の数々、ところがその歌の合間のMCは、まったく名曲とは関係ない、いかに爆笑をとれるかというのが、人気のバロメーターだった。

そして、もう少したって高校生くらいになると、いい意味でよく判らんうちに影響を受けたのが、憂歌団、ウェストロード・ブルース・バンド、上田正樹&サウス・トゥ・サウス、そして外国アーティスト来日ラッシュが始まった。


こういう音楽は大好きだ!ブルースやR&B。