PROFILE
1965年生まれ、東京都出身。2002年、中目黒にセレクトブックストア「COW BOOKS」をオープン。2006年より9年間『暮しの手帖』の編集長を務めたのち、2015年春から「クックパッド」に入社。同年にウェブメディア『くらしのきほん』を立ち上げる。2017年には「おいしい健康」の共同CEOに就任。さらに『DEAN & DELUCA MAGAZINE』の編集長としても活躍。これまでに多くの書籍を出版し、代表作として『今日もていねいに』(PHP文庫)、『しごとのきほん くらしのきほん100』(マガジンハウス)など。最新刊は『価値あるもの 衣・食・住・旅』(日経BP 日本経済新聞出版)。2025年11月より、ファッションブランド〈PAPAS〉のクリエイティブオフィサーも務める。
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少年時代、メイド・イン・USAに憧れて。
ーInstagramで、〈ラコステ(LACOSTE)〉のポロシャツをずっと愛用し続けているアイテムとしてポストされているのを拝見しました。かなり思い入れがありそうですね。
松浦: 最初に手に入れたのは中学三年生の頃ですかね。月並みですが「ポパイ」を通してアメリカに憧れて、アメリカのモノを身につけたい・欲しいっていう気持ちが高まってきて。
初めて手に入れたポロシャツは、アメリカ製の〈アイゾッド ラコステ(IZOD LACOSTE)〉のもの(写真一番上)。サイズ表記が特殊で1/2 PatronはMサイズに相当。LサイズがPatron、XLサイズがGrand Patron。「この見慣れないサイズ表記が、子どもゴコロにグッときました」と弥太郎さん。
ーそれで手に入れた、初めてのアメリカの服がポロシャツだったと。
松浦: いえ、ぼくとアメリカの服の最初の出会いは〈ヘインズ(Hanes)〉のパックTでした。それまでペラペラで肌着のようなTシャツしか着たことがなかった少年には、すごく衝撃的で。着て・洗ってと繰り返す内にこなれてきて、袖を通すたびにすごくオシャレをしているような気持ちになれたんです。で、その次のステップが〈ラコステ〉のポロシャツでした。
ー以前、金子恵治さんと対談された際に「季節によって着る服がある」とも話されていました。それでいうとポロシャツは?
松浦: 今日のように秋冬もインナーに使ったりしますが、どちらかといえば夏の日常着ですよね。常にワードローブの中心にあって、毎日のように着ますし。
ー学生の制服にもなっていますし、いまの若い世代のポロシャツ普及率は高い気がします。当時の弥太郎さん的には、どうでしたか?
松浦: ぼくはアメリカ製の〈アイゾッド ラコステ(IZOD LACOSTE)〉がすごく好きなんですが、後ろ身頃の裾が異様に長いんですよね。これが思いのほか若者には似合わないんです。かといってタックインして着るとオジさんぽいし、タックアウトするとダラしなく見えてしまう。なので上手に着こななすのが非常に難しくて。「ポパイ」の誌面に載った、鍛えられた身体と日灼けした肌の外国人モデルがスタイリッシュに着こなす姿とはどこか違うと思いつつも、“メイド・イン・USAのモノを身につける”という行為自体が嬉しくって、無理やり着ていました。
ー合わせるアイテムやスタイリングは、当時といまで変わりましたか?
松浦: あの頃って服屋で働くスタッフや一部のひと以外は、スタイリングという概念自体を持っているひとがあまりいなかった気がしていて。もちろん服屋のスタッフさんはみんなすごく素敵だったけれど、ぼくらのような普通のひとたちはオシャレのスキルもないから、ただあるものを着る。そもそも服の選択肢がなかったので、ポロシャツを着ているという事実だけでもう大満足。ぼくも「どうだ!」と胸を張ってましたね(笑)
「このフレンチラコステが完成度は一番高いかもしれない」と太鼓判を押す一着。前身頃と後ろ身頃の裾は均一の長さで、胸元の開き具合はやや深め。ボタンを上まで閉じて、ボトムスはチノパンを合わせるのが弥太郎さん流。
ーやはり東京の中学生ということでかなり早熟に感じられます。
松浦: ですかね。友達の中にも「ポパイ」を読み込んでいる情報通や、兄貴の影響で「Tシャツは〈ヘインズ〉、ジーンズは〈リーバイス(Levi’s)〉、ポロシャツは〈ラコステ〉じゃないとダメ」なんてことを言うのもいましたし。で、その後20歳くらいでフランス製の〈ラコステ〉や〈パパス(PAPAS)〉のようなヨーロッパテイストの服も素敵だと気付いて着るようになっていきます。
ーヨーロッパものに興味を持つようになったのには、何か理由があったんでしょうか?
松浦: 時代の変化っていうのもありましたね。雑誌でもヨーロッパをテーマに取り挙げる機会が増えて、「フランス製の〈ラコステ〉があるぞ!」なんて記事を読んでは、「え! あんなに苦戦させられた丈もちょっと短いし、格好いいじゃん」とまたしっかり影響されて。
〈パパス〉の白いポロシャツは、20代前半で手に入れて以来、いまも大事に着続けている。創業者でデザイナーを務めた荒牧太郎さんは、弥太郎さんの憧れの存在。身幅があって着丈は短めと、アイゾットとフレンチを足して2で割ったようなシルエット&デザインが気に入っているとのこと。
ー弥太郎さんはその時期に渡米もされていたわけですが、実際に見たアメリカとそれまで雑誌で見ていたアメリカは違いましたか?
松浦: もうその頃には、雑誌で得た情報を参考にみんなオシャレをするようになっていたんですが、いざその格好でアメリカに行くとなんかぎこちないんですよ。本場のアメカジは無造作というか雑で、よく言えば自然体。むしろ、ぼくらがイメージしていたアメカジなんて誰もいないし、そこら中にあると思っていた〈リーバイス〉も〈ヘインズ〉も全然見つからないっていう。
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