Boolog A Go-Go!
石光 史明
VISUAL CONNEXION C.E.O
NY発のヴィジュアル誌、VISIONAIRE<ヴィジョネアー>の日本総代理店を営んでいますが、最近はもっぱら映画鑑賞家として「つぶやいて」います。昨年は自腹観賞232本! 今年も観まくるぞぉ~♪
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あなたはVISIONAIREを知っていますか? <25>
2011.04.21
かつて Dior Homme で一世を風靡したHedi Sulimane も今思えば印象的な出会いだったと思います。
ヴィジョネアーに入って間もない頃の僕は、まだ同時進行でコレクション時期にファッション通信の取材もするという完全二毛作状態だったので、年2回のプレタポルテとクチュールでパリとミラノには行くというルーティンはその後2年は続いたかと思います。
当然の事ながら各会場(当時彼はパリのみ)でスティーヴンと会う機会も増え、今まで取材していた感じとはずいぶん違うようになりました。
そんな中でパリコレが終わるとVenus De La Modeという、ベスト選曲賞とかベストモデル賞にベスト演出賞といったように、裏方さんを讃えるオスカー賞のような表彰イベントがあって、その取材に訪れた時にスティーヴンから紹介されたのがエディでした。
その時も僕はバッテリーライトを持っての取材中だったのと、会場内の喧騒もあってあまりゆっくり話せなかったのですが、まあスティーヴンのパリ時代からの友達程度の認識でした。
で、それからは結構会場なんかで会ったりしてお互い声を掛けあったりする程度の関係が続いたある冬の事。
日本に一時帰国していた僕の元にFAX(当時はメールはなかったので)が届いていて、サンローランのアシスタントか何かになって(すみません、全く覚えてません)日本に行くから会おうって言う事で、彼の帰国前に赤坂のニューオータニまで迎えに行き、青山通り沿いに当時あった「ほの字」とかいう居酒屋に行ったりして結構楽しく過ごしたものです。
エディが一番最初に手掛けたデニム。記念という訳ではありませんが、何本か買いだめておいたうちの一本。さながら14年物のデッドストックってところですかね(笑)。
それからどのくらいの月日が経ったかは忘れましたが、ある日赤坂に新設した事務所に彼から「日本でファッションショーをするから場所を探している」とか「服を置いておく場所が必要だ」というような内容ののFAXがまた舞い込んできていて、FAXじゃあ埒が明かないので直接パリに電話をすると(その頃は彼独特のアクセントが強かったせいかイマイチ要領をえなかったのですが)要約すると「とりあえず来週パリから会社の人が行くから会ってくれ」って言うことだったので、僕としても何か友達のために手伝える事があればという思いでその翌週に麹町の文藝春秋ビルにあるイヴ・サンローラン・ジャパンさんにお邪魔すると、そこで待ちかまえていたのはパリから来日していたスーツを纏ったお偉いさん方ご一行。
さすがの僕も「あれ、これはおかしいぞと...」(笑)。
断っておくと、この頃の僕は正直ファッションというものに疲れ果てていたので、ショーどころかファッション誌すら読まないような状態。 だから彼がRive Gaucheのディレクターに就任したのを知らなかったのです。嘘のようですが本当なのです。
で、早速静かな会議室でお話しを伺うと...
どうやら掻い摘んで言えば僕にPRを担当して欲しいとう言う事だと解った時には後の祭り。もちろんその場で友達として出来る事はやるが、自分はそういう器ではない事、他にもっと適任者がいるはずだと言う事を説明して丁重にお断りさせて頂きました。
でもこの時の判断は間違っていなかったと思います。
だって人に会うのがとにかく面倒なんですから、僕に務まるわけがありません(笑)。
その後の彼の活躍は皆さんご存知の通り。
ちなみに長い間 Dior Homme のイメージを担当していたのはVISIONAIREであり、スティーヴン曰く「僕がエディのミューズ」と自称していた通り、いくつかのバックや小物は彼がフリーマーケットで見つけて持ち歩いていたものをエディが借りて行き、次のコレクションでは製品になっていたのに、元のバックは返してもらえなかった上に仕方ないから自分で買ったって嘆いてましたっけ。
どれも微笑ましい思いでの一つです。
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