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平野太呂写真家、NO.12 GALLERY主宰写真、撮ってます。小さいギャラリーも運営してます。「POOL」という写真集出してます。tarohirano.comno12gallery.com

Vertical Horizon (仮)

平野太呂
写真家、NO.12 GALLERY主宰

写真、撮ってます。小さいギャラリーも運営してます。「POOL」という写真集出してます。
tarohirano.com
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KODAK

2010.03.12

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写真はヨドバシカメラ新宿の印画紙コーナーの棚です。ガラガラです。
僕がいつも使っていたコダックのカラー印画紙が突然製造中止になり、手に入らなくなりました。情報を聞きつけてみんなが買い求めたので在庫はもうほとんどありません。いろんなところに電話して回ったけど、本当にもうないみたい。僕も最後のひと箱残っていたのをかろうじて買うことができました。特にめずらしい紙でもなく、いちばん一般的な種類なのですが・・・。

僕の手元には8x10のサイズがあと70枚くらい、10x12サイズが200枚くらいあります。でもそれでたぶん最後です。んー寂しい。あとたぶん仕事を10回くらいしたら終わってしまうでしょう。また新たにプリントしやすい印画紙を探すしかないです。といっても探すほど種類は残っていませんが。僕のプリントになにか独特な雰囲気を感じてくれていた人がいてくれていたとしたら、そんな人達には「あともう少しで終わりです」と言いたいです。寂しいけど。

フィルムかデジか。この問題、ここ数年ずっと頭の中をグルグル回っています。人によってはなんてことない事なのかもしれませんが、僕にとってはなんだか、これから先、自分と仕事と写真との付き合い方を変えてしまうかもしれない大きな事です。デジタルに変更する事で仕事場を田舎に移し、都会の急がしい生活を離れて、ゆっくりと生活を見つめている先輩もいるし、デジタルにしか出来ない表現を追求している人もいる。一方ではフィルムにこだわり、工芸的に見事なプリントを作る人もいる。プリントを美術品として価値を昇華する人もいる。要するに「何を大事にするのか」という事だと思います。

僕もどこかで、写真表現は所詮、カメラやレンズなどの光学、フィルムや印画紙の科学に運命が握られていて、僕たちはその技術の恩恵をうけて写真が撮れているわけで、なにも、僕たちが1から産み出している表現だとは思っていません。戦争があれば小型カメラが開発され、その恩恵でストリートに小型カメラが溢れ、ストリートスナップを確立したように、デジカメが進化する事でなにか、新しいデジカメにしか出来ない写真表現が産まれる(てる)のだろうと思います。そうやって道具とともに表現を変えていくのが写真でもあるのだろうと思います。

フィルムで撮っている時と、デジカメで撮っている時の違いは、撮っている時にすでに感覚が違います。フィルムで撮っているときは、「もしかすると撮れていないかもしれない」という不安が常に付きまとうので、カメラの操作を間違えないようにとか、光量を気にしたりとか、気をつけないといけない事が沢山あります。デジカメで撮っている時は、その場で確認出来るということで、「撮れていないかもしれない」という不安はなくなります。その分、被写体とのコミュニケーションに重点が置ける気がします。デジタルは被写体と撮影者の間にあるカメラの存在を希薄にしていくのだと思います。携帯電話のカメラなんてその頂点です。フィルムは一枚一枚がこの世に存在する物質になるわけだし、数に限りがあるし、大切にシャッターを押す感覚があります。デジタルは逆に、とにかくどんどん押してしまう傾向にあります。なので、フィルムで撮っている時の感覚と、デジで撮っている時の感覚は僕の場合、かなり変わってきます。自分でも、同じ写真を撮っているのに、機材によってこんなに簡単に気分が変わっていいのか?と不思議に思うくらいです。僕は、被写体と僕の間にひとつカメラという冷静な物体がある関係が好きなんですけどね。

長々と書いてしまいましたが、こうしてこういった事件が起きる度に、そんな事を考えるわけです。まあ、写真の事を考えるよい機会にはなります。否応なく少しづつ、少しづつデジタルの方へジリジリと追いやられていっていることには違いないです。すぐに慣れてしまった地デジのクリアな映像のように、すぐに順応してしまうのでしょうか。

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