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DESIGN UNDERGROUND 家電蒐集家・松崎順一の正体とは?

2013.05.20

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-今でもアマチュア無線の文化は続いているんですよね?

松崎: もちろん続いてますよ。蒐集の仕事を始めてから無線関係の人とも知り合いになって。またやりましょうよって話が盛り上がったり。今これだけ携帯電話とかSNSで、色んな人と簡単に話せる時代だけど、無線で誰だか分からない人と交信するのって、今でもすごくロマンがあるなって思うわけです。それこそ昔よりやっている人の数は減りましたけど、アマチュア無線自体はちゃんと残ってます。秋葉原にもいくつか無線機を売っているお店があるし。かなりコアなお店ですけど、それはそれで楽しい。僕は無線で話すのもいいけど、操作する行為がもっと好きなんです。スイッチをパチパチ入れてヘッドフォンしてマイクして、どこかに面白い人いないかなって、キュッキュってやって。自分から話すこともあるし、向こうから話してくることもあるし。あとは声だけじゃなくて電信とかモールス信号でも交信してましたね。

-なんかCIAみたいですね。

松崎: そうそう、昔のスパイ映画みたいでしょ。子供心と男心を同時にくすぐる感じ。こういう機械で交信するのってなんかカッコいいじゃないですか。

-女の子にそのカッコよさは分からないかもしれませんね(笑)

松崎: そう。でも女の子の中にも無線好きの子がいて、そういう子に憧れたんですけどね。当時は無線をやってる人って、いわゆるオタクなんですけど、そういうアイドル的な女性も当時結構いましたね。

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-アマチュア無線以外に部活はしてなかったんですか?

松崎: 誘われたんですけど結局帰宅組。学校が終わると真っ先に帰ってすぐに無線機のスイッチをパチパチっと入れて(笑)。世界中と交信するから、必ずどこかの国から信号が出てるんですよ。どこかが夜で、どこかが昼だから。だから家には24時間用の時計を置いて交信してました。

-大学もずっとアマチュア無線にハマっていたんですか?

松崎: デザイン系の専門学校だったんですが、勉強が忙しくなって無線からは離れましたね。そもそも僕が決めたというよりは、親がね......。無線ばかりやってたから手に職つけろって言われて。それだったら設計ができて、絵も好きだったから、じゃあデザインなら食いっぱぐれないんじゃないかってことで。それで卒業後はインテリアがメインの会社に就職して、約22年間、空間デザインやイベントのブースデザインとか、あとはショーウインドウのディスプレイを手掛ける仕事をずっとやってました。

-親の一声とはいえ、かなり長く続いたんですね。

松崎: そうですね。それはそれで面白かったですからね。で、30後半ぐらいになってから、このまま会社で一生終わるのは嫌だなと思うようになって。それなら自分の好きなことやりたいなって。そしたらたまたま37歳の時に交通事故で背骨を粉砕骨折してしまって。全治6ヶ月。首のところから腰まで両側ギブスで丸3ヶ月間入院ですよ。最初、病院に担ぎ込まれたときに、99%車椅子か生きているだけで幸運ですって言われて。ものすごく重症だったんですけど、結局手術もしないで、半年間ギブスだけで治っちゃったんです。たまたま粉砕したのが神経から一番遠いところの骨で。一番いいところが粉砕したねって医者にも言われて(笑)。本当に半年間ただただ寝ているだけでした。

-その間に人生を振り返ったわけですね。

松崎: そうそう、人生って儚いなって。考え方が変わりましたね。このまま仕事をやっていてどうなのかなって。それで40歳を過ぎたときに、このままじゃいけないと思って突然会社を辞めたんです、1回リセットさせてくださいって。リストラでもなんでもないんですけど、上司や社長にも"なに馬鹿なこと考えてるんだ"って止められて。でも42歳のときに強引に辞めて......。古いものを集めるにはどうすればいいのか、そこから勉強しようって。

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