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FEATURE| 在日ファンクからゴセッキーが脱退。 ハマケンと語る「男たちの出会いから別れ」まで。

在日ファンクからゴセッキーが脱退。 ハマケンと語る「男たちの出会いから別れ」まで。

在日ファンクからゴセッキーが脱退。 ハマケンと語る「男たちの出会いから別れ」まで。

ハマケン(浜野謙太)率いる在日ファンクから、サックスのゴセッキーこと後関好宏が脱退する。2月25日(土)からスタートする『在日ファンク10周年まる見え対バンツアー』が、在日ファンクのメンバーとしての最後の活動になる。菊地成孔のDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENのメンバーとして本格的にキャリアをスタート、以降ASA-CHANG&巡礼やEGO-WRAPPIN’など、数々のセッションで活動してきたゴセッキーが、前任者の脱退を埋めるため在日ファンクに加入したのが2011年2月。この6年間の在日ファンクと後関好宏のこと、このたびの脱退のこと、今後のことなどについて、「自分と後関さんで話をしたい」というバンドのリーダー、ハマケンの強い希望により、以下のインタビューが実現した。
当初はゴセッキー本人は、サポートメンバーが代わるくらいの感じでさらっとバンドを去ろうと思っていたそうだが、ハマケンとともに腹を割って、本音で話してくれた。ぜひ、じっくり読んでいただければと思う。そして、在日ファンクの未来と後関好宏の未来に幸多からんことを願っていただければ、とも思う。とりあえず個人的には、本当に本音で話しているし、ゆえにかなり重たい話もしているのに、こんなに笑いの絶えない脱退インタビュー、初めてやりました。(書き手:兵庫慎司)

  • Photo_Hiroshi Takagi
  • Text_Hyogo Shinji
  • Edit_Shinri Kobayashi
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『在日ファンク10周年まる見え対バンツアー』
期間:2月25日(土)〜
詳しくは下記サイトへ。
zainichifunk.com

葉山の海に突っ走っていった囚人服を着た人。

─そもそも後関さんの以前のキャリアや音楽ジャンルを考えると、なぜ脱退するのかということよりも、なぜ入ったのかの方が不思議な気が(笑)。

後関好宏:はははは!

浜野謙太:(笑)。そうですねえ。

後関:最初、入ったきっかけは、在日ファンクのライブを観に行った時に、ハマケンが別にやってたNEWDAYってバンドのCDをくれたんですよ。そのあとハマケンに「あれ最高だったよ」って連絡をしたことがあって。そしたら後日ハマケンから「ちょっと相談があるんだけど」って連絡をもらって、「これはNEWDAYに誘われたな、俺は」と思って(笑)。「NEWDAYやるよ、俺は」と思って会ったら、「実は在日ファンクのメンバーがやめて。一緒にやりませんか」っていう話だったんですね。

浜野:NEWDAYに入るつもりで来たんですね。そしたら在日ファンクで…「ま、いっか」みたいな感じで?(笑)。

後関:入団条件でね、「赤いタンクトップを着なきゃいけないんだったら俺は入らない」って言って(笑)。

─前にほかのメンバーにインタビューした時、後関さんはことあるごとに「俺はメンバーじゃないから、サポートだから」っておっしゃっていた時期が長かったときいたんですけども。

後関:ああー。最低3年ぐらいやらないと、自分がメンバーですって自信を持って言える気がしなくて。あまりにも今までやってたこととも違ったし、正直、今回やめるって言った時に、メンバーのひとりは「今頃?」って(笑)。「半年ぐらいでやめると思ってたよ」って言われたりもしたんで。とにかく僕は、3年やるまではメンバーと言えないって思ってたんですね。

浜野:ふーん。

後関:「在日ファンクの後関です」とは、なかなか自信を持って言えない。パッて参加して、1回2回ライブやっただけじゃ、なかなか…そのバンドの音楽をちゃんと理解するっていうところまでいかないんで。やっぱ、作品を作ってツアーをやったりして、みんなと酒飲んだりして、何か一緒に作って、初めてメンバーって言えるって僕は思ってるんで。だからそういう意味で、ちょっと酔っぱらって「まだメンバーじゃない」って言ってたんですね。

─そもそもの接点は?

浜野:EGO-WRAPPIN’のホーンセクションを後関さんがやっていて、僕もEGO-WRAPPIN’の年末のライブに2回ぐらい参加してた時があって。僕は、後関さんがいたデート・コース(DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN)がすごい大好きで、よく観に行ってたから、「ああ、デート・コースのあの人だ!」みたいな感じで。

後関:そのあと小泉今日子さんのレコーディングでも一緒になったよね。朝倉さんのバンドで(ASA-CHANG&ブルーハッツ)。

浜野:ああ、そうだ。管楽器同士だから、そうやって会う機会があったんですよ。

後関:レコーディングで、全員揃ってるのにハマケンだけ遅刻してきて、なんかすごく怒られてた(笑)。「さあせん、さあせん!」って謝りながら登場したのをよく憶えてんだよね。

浜野:ああ、一口坂スタジオでしたっけ。だからまあ、管楽器業界の先輩後輩っていう。

後関:でも、俺がハマケンを最初に知ったのはね、葉山の海の家なんだよね。

浜野:ああー!

後関:海の家でライブしてたら、隣の海の家でSAKEROCKがやってて。僕、その当時SAKEROCKを知らなかったんですけど、囚人服を着た人がそこから突然海につっ走っていったのが見えて(笑)。

浜野:ああ、ライブの途中で。ありましたね、囚人服の衣装。

後関:あれは忘れもしないね。あれがこの人だったってことは、何年も先にわかったんですけど(笑)。

プロの意識と行動をもたらした後関。

─しかしハマケンも、元デート・コースの人によくオファーしましたよね。

浜野:ああ、それはね、マネージャーが「絶対後関さんがいいと思います」って推薦してくれて、「あ、それはいいねえ」って。その時はけっこう管楽器やってたから、知り合いのプレーヤーは何人かいたんですけど、僕、あんまりプロデュース能力がないんで。マネージャーの視点にはすごい説得力を感じて。

それで後関さんがOKしてくれて、バンドにそれまでとは全然違う人が入ってきたっていう感じになって。後関さんが入ったことでバンドが大きく変わったんですよね。バンドが、ええとね……ちゃんとしましたね(笑)。「プロとして」っていうのが付きましたね。

その頃から俺も「ちゃんとやんなきゃ」みたいな意識になって。後関さんがね、いろいろプロとしての見解を言うんですけど…後関さんはそのあとの飲み会とかでも、いないメンバーのダメ出しをするんですよ(笑)。

後関:はははは。

浜野:だから、政治で追い詰めていく(笑)。「ベースの(村上)啓太がもっとがんばらなきゃダメだ」とかいうのも、いろんなとこから巡り巡って啓太の耳に入る、みたいな。俺も「ボイトレ(ボイス・トレーニング)しなきゃダメだ」って言われて、ボイトレに行ったりして。「みんなプロとしてもっとちゃんとしなきゃダメなんじゃないの?」っていうふうに、政治を使ってなっていった。

─後関さん的には「このままじゃこのバンドはまずい、もっとひっぱりあげなきゃ」っていう感じだったんですか?

後関:その時はそこまで考えてなかったんですけど、僕がそれまでやっていたのが…サポート・ミュージシャンをいろいろやってたし、菊地(成孔)さんのバンド(デート・コース)も…僕より10歳以上も上の先輩とやるのが普通で、耳がグルメになってたというか、それが普通だと思ってたんで。ドラムはROVOの芳垣(安洋)さんが普通だとか、ギタリストは大友良英さんが普通だとか。

─うわあ。とんでもなくハイレベルな人たちとやってたから。

後関:だから同世代の友達とバンドをやったりすると…ましてや在日ファンクは僕より歳下だったんで、一緒に音を出してみて、「これはちょっとゆるすぎるぞ」と(笑)。

─芳垣さんや大友さんと比べられたらたまったもんじゃねえ、って気がしないでもないですが(笑)。

後関:それはそうだと思います。でも僕は、その人たちがいかにすごいかってことを知らないまま、バンドにぶちこまれちゃってたんで。

─すみません、後関さんのキャリアとしては、デート・コース以前はどのような?

後関:僕はクラシックをずっとやってたんですけど、ジャズは好きで、菊地さんのファンだったんですよ。で、ライブを何度か観に行って、「弟子にしてください。レッスンを受けたいんですけど」って言ったら、「ちょうどデート・コースでサックスを探してるから、ちょっときみ入って」って、そのまま入れてもらったんです。

浜野:デート・コースに「ちょっときみ入って」って、すげえなあ。

後関:荷物運び兼メンバーでちょうどいい、みたいな。で、菊地さん以外のメンバーのことをよく知らなかったんですよね。で、行ったらおじさんたちがいっぱいいて、やたら怒られるけど…みたいな(笑)。

─しかし、菊地さんもそれ、かなり乱暴な加入のさせかたですね。

後関:たぶん、当時は70年代のマイルス(・デイヴィス)が好きだったんで…その頃のマイルスのバンドって、サックス奏者だけ、若手の無名な奴をどんどんぶっこんでいたんですよ。めちゃくちゃな演奏をする奴がひとり入ってる、みたいなコンセプトで。それにならって…ちょうどいい無名な若い奴が来た、っていうことだったと思うんですよね(笑)。

─在日ファンクのことはどんな印象だったんですか?

後関:ライブは1回しか観たことなかったんですけど…僕は、その頃は…えと…なかなか……えー……。

浜野:いいですよ、正直に言って。

ファンクな人がいないんですよね、在日ファンク(笑)。

後関:……正直に言うと、ジェントル(久保田/トロンボーン)の気持ち悪さが、もう気になって(笑)。ほんとに気になってしょうがなくて、「うわあー…」っていう。

浜野:勝手に変な踊りしたりしてますもんね。

─音じゃなくてキャラがね。

後関:いや、音もキャラも含めて不気味でした…(笑)。「そして全然ファンクじゃないぞ、この人の演奏は」っていう。

浜野:そうなんですよね。ファンクな人がいないんですよね、在日ファンク(笑)。だから後関さんはいちばんテクがあるから、入って少ししたらすぐ習得して、後関さんがいちばんファンキーになっちゃって。あとから入ったのに。

後関:初めてスタジオに行った時、衝撃だったもん。まず、ギターの仰木(亮彦)くんが、新品のギターを買ってきたんだよね。それが買ったばっかりで、全然メンテされてないから、「♪ジャラーン」ってやったら、もう時空が曲がったようなコードが出てね(笑)。「とりあえずチューニングしようか?」っていうところから始まって。

浜野:そうでしたね。ギターのチューニングをひたすらしてた気がする。

後関:初めてのレコ-ディング、『爆弾こわい』の時もね、仰木くんがレコーディング・スタジオって、コンセントによって電圧を分けてあるんですよ。海外の機材も使うから。赤いコンセントは電圧が高くて、日本の機材は白いコンセントで。仰木くんは赤の方がかっこいいって、日本のアンプを…しかもレンタルで借りてきたやつを、赤のコンセントに差して。そしたら、2時間ぐらいしたら煙が出てきたんだよね(笑)。

浜野:ぶっ壊れてね。

後関:急いでもう1台借りてきて、また赤に差して(笑)。また壊れて、3台目を借りてきた時に、エンジニアが気づいたんだよね。あとジェントルも、「これ、ヘッドホンのコードははどの穴に差すんだろう?」って(笑)。

浜野:ゆるかったですねえ。

後関:ゆるかったね、あの頃は。まあ俺も、レコーディングに犬を連れてきてたからね(笑)。急にバンドに参加することになったんで、ちょうどレコーディングの期間が、誰も面倒をみる人がいなくて。「犬を連れてスタジオに行っていいですか?」って。

─で、3年経って、そういうゆるさも解消されて、俺もメンバーだって感じになったんでしょうか。

後関:ああ、そうですねえ。3年経った時に、啓太くんとか仰木くんと飲んで、「後関さん、3年経ちましたねえ」って言われて。「そうだね」って。

浜野:なんかそういう、人情はすごいある奴らですよね。そういうのをちゃんと憶えてて。リハのあとの飲みは、けっこうみんなコンスタントに──。

後関:ねえ、行ってたね。それで、みんなだんだんゆるさもなくなっていって、プロ意識が…前はなんとなくやってる感じだったのが、大きなステージにもどんどん立つようになって、注目されるようになって、みんなも「このままじゃヤバい」と思ったところもあると思うし。

やっぱりフェスに出たり、対バンやったりすると、絶対自分たちと比べちゃうじゃないですか? それでだんだんみんな締まっていって。『爆弾こわい』を作る時も、その前と比べると、けっこう細かいことを気にしてやってたんじゃないかな。

浜野:そうですね、けっこう緊張感がありましたね。

後関:僕が入ったばかりでリハも足りてなかったから、レコーディングの日数を増やした方がいいんじゃないか?とか、いろいろみんなで相談して。

浜野:ああ、そうでしたね。そういうのを言ってくれるのは後関さんなんですよね。「足りない、足りない!」ってすごい危機感をあおってくれる。「普通だったらちゃんと演奏できるようになってからレコーディングだけど、今はレコーディングに間に合わせようとしてるから。これじゃダメなんだ」「なるほどなあ」って。

僕はSAKEROCKの時の経験を基本に考えてたんで。SAKEROCKって、コンポーザーもプレイヤーもとってもできる人たちだったから。曲ができるとパッと演奏して、「あ、いい感じだね」ってそのままレコーディングできたんですけど、SAKEROCKと同じスケジュール感ではできないっていうことに、後関さんに言われて気がついて。

後関:まあ、みんなでそういうふうになっていったんだよね。

浜野:みんなけっこう、集団が行く方に流されるタイプだから。後関さんがそう言うまでは俺の言うことをきいてたんですけど、後関さんが「これじゃダメだ」っていうのを……ほかの現場をいちばん知ってる人が言うから説得力があって、それでみんなも火がついて。

だから、俺もだんだん攻撃され始めて(笑)。どんどんイニシアチブをとれなくなっていきましたね。「これ、全然ハーモニーが合ってないよ」とか、「そこ、ポリリズムになってないよ」とか。

後関:(笑)、ああ、ポリリズム風なんだけど成立してないとか。あったね。

─でもそれ、バンドにとってはいいことですよね。それで今、入って何年経ったんでしたっけ。

後関:丸6年経って、今7年目に入ったところです。

浜野:3年経った時点で、どういう心境だったんですか?

後関:「もうちょっとやってみよう」と思って。次に作る作品とか、もうちょっと踏み込んで……ただ演奏するってだけじゃなくて。

浜野:ああ、なるほどね。バンドが、最初は僕がひっぱるみたいな感じで始まったんですけど、まあどんどんクーデターが起きていったんで(笑)。その頃には、みんなでやるみたいになってたんですね。みんなでアイディア出し合って、協力し合って、ちゃんとバンドっていう感じでやっていこうってなってたんで、後関さんもいろいろ提案してくれて。

後関:「コロムビアにメジャー移籍しよう」とかもね。

浜野:そういうのもみんなで決めていたんで。そういう意味でみんなやりがいがあったっていうか。

バンドをやめようと思った、妻とハマケンの言葉。

─それで、「そろそろいいかな」と思い始めたのはいつ頃なんですか?

後関:うーん……「このままやってていいのかな」っていう疑問は、たぶんずっとあったと思うんですけど…コロムビアに移って『笑うな』を作った時は、僕はいいものができたと思ったんですけど、作品を作るのにもう一歩踏み込まないとな、と思って。

それで作ったのがいちばん新しい『レインボー』なんですよ。あれを録ってる途中から…「あ、これ、今までと全然違うな」って。すごくいいものができたし、アートワークとかも含めて、今までと違うものをやろうってみんなで言って、なかなかうまくいかなくて、かなり試行錯誤したよね?

浜野:そうでしたね。だいぶ難しかったですよね。

後関:「自分にできることはなんだろう?」って考えて、プリプロを手伝ったりとか。

浜野:ああ、そうそう。機材をいっぱい持ってきてくれたりして。

後関:で、あれを作ってる途中から「これはいい作品ができるんじゃないかな」って思ってて。で、できあがって、ジャケットとかも含めて見た時に、いいものができたなあと思って。プロモーションも……それまでは僕、距離を置いてたんですけど、あのアルバムの時は何回かハマケンと一緒にラジオに出たりとかして。いいアルバムができたって思ってたんで、そういうのも「やるやる」っていう感じで。

だから、最初の3年間は、自信を持って「在日ファンクの後関です」って言えなかったのが、『笑うな』から『レインボー』に関しては…みんなでバンドとして新しいものを作れた、っていう達成感があって、そこで僕はすごく満足したんですよね。それでなんか…「あれ? どうしようかな、自分は」って。

それまでは、在日ファンク、演奏とか技術とか頼りなかったのを鍛える、って感じはあったんですけど、そういう時期も終わって。いいものを作れて、自分が満足して、自分のやれることはやったのかなっていう感じもちょっとあって。

その頃ハマケンはハマケンで、役者としてどんどん仕事が増えて、活躍していって。ジェントルは自分のバンドもやっていて。トランペットの(村上)基くんは、ジェントルのバンドのアレンジをやりながら、だんだんサポート・ミュージシャンとしてあちこちから呼ばれて、ひっぱりだこになっていったりとか。

そういう時に、僕は、けっこう作曲の仕事が来るようになって。最初はCMの仕事だったんですけど、映画やドラマの劇伴とかも来るようになって、それをやり始めたら「これはすごくおもしろいな」って。それまで、作曲とかはまったくしてなかったんですけど……ハマケンは在日ファンクで曲を作ってるじゃん? 俺は、人の作品にはいっぱい参加してるけど、自分が曲を作ることはそれまでなかったから。その可能性がおもしろいなっていうのもあって、自分はプレイヤーじゃなくてもいいんじゃないか?っていうことも考え始めたりとか。

メンバーみんながいろいろ独立した活動をやり出してる中で、自分が本当にやりたいことはなんだろう?って考えると……今やりたいのはそういう作曲の仕事とか、あと、自分の作品を作ってみたいとか。もともとは僕、フリー・ジャズが好きだったからやってみたいとか。そういうことも思ったんですね。そろそろもう40ですし。

浜野:なんかその……「もう変わらなきゃな」って思ったきっかけの出来事みたいなのはあるんですか?

後関:それは、バンドをやめようと思ったきっかけってこと?

浜野:バンドをやめることにつながるんだけど、自分のやりたいことをやろうと思ったきっかけというか。

後関:思ったきっかけはねぇ…なんだろうなぁ…これからのあるべき自分の音楽活動について妻と話していて。

浜野: 奥さんと?

後関:うん。あるきっかけのことがあって、そのことを話していた時に「あなたは音楽に対して本当に好きなことだけを自由に表現するようにしないと、ミュージャンとして感性が麻痺してダメになる気がする。私はあなたがやりたいことだけを貫いて活動してほしい」って言われて。まさに自分もそれを忘れていたなぁと気づかされたんですよね。

それで僕、そのためにはバンドをやめようかなって悩み始めて。そのきっかけが…(ハマケンの顔を見る)

浜野:どうぞどうぞ。

後関:……あのー、マネージャーの結婚式が、去年の1月にあって。ちょうど『レインボー』のレコーディングが終わった時だったんですね。で、結婚式、一次会が終わって二次会まで時間あるから、「じゃあちょっと時間つぶそう」ってハマケンがうちに来たことがあって。

そん時に…酒も入ってて、みんな楽しくなってて、「今年の抱負ってなんかある? アルバムもできたし」みたいな話をしていて。その時にハマケンからポッと出たのが「朝ドラも決まったし、次は大河(ドラマ)っすねえ」って言われて(笑)。

─あはははは!

後関:俺はその時に「ああーっ……」ってなって(笑)。

浜野:(地獄のように苦いものを食った時のような、ものすごい表情をしている)

後関:いや、でもそれ、なんにも悪いことじゃないじゃないですか? ただ、自分にとっては…俺はミュージシャンだから、今年の抱負、音楽のことだって思っちゃってたんですけど。正直、それをきいた時は「ああ…このバンド、もうやれないわ」って思って。

でも、のちのち冷静になって考えてみたら、ハマケンはなんにも悪くないな、と。ハマケンは役者としてがんばってるんだから、ハマケンがそう思うのは、僕らがフジロックに出られたらうれしいと思うのと何も変わらないじゃないですか? それを素直に言ってるだけなのに、自分の期待と違うことを言われて僕が勝手に落ち込むのはおかしなことだな、と思って。でも、そこはやっぱり、僕とは違うんだなと思って。

浜野:ああ……でもほんと、そうっすよね……(ものすごい表情が続く)

後関:いや、俺も、この話は言っていいのか迷ったんだけど。

浜野:あの、結婚式の時にマキタさん(マキタスポーツ)がいて。僕の隣の席でお芝居の話とかずっとしてたから、そういうモードになってたんですよね。マキタさんと僕、役者として、同じようなポジションに入ったりすることが多いんで、マキタさんが言うことが全部染み入ってきて。「あの役はやんなくてもよかったよね、ハマケンの味が出てなかった」とか言ってくれるのが、いい感じで響いて、そういうモードになっちゃっていて。その時にポンときかれたから。

後関:いや、だってほんと、素直な感じで言ってたもん。それがきっかけだったんですよね、実は。

浜野:でも、その年にフジロックも出られたしね。在日ファンクとして、いろいろ達成した年ではあったんですよね、2016年は。

あれもこれも根に持ってます(笑)。

─で、脱退の意志を伝えたのはいつ?

後関:ほんとギリギリまで迷ってて……2017年が結成10周年なんで、その計画をどうしようか、話し合っていて。みんなで温泉に行ったりとかもして。

浜野:そう、10周年で結束を固めようって言って、バンド7人で佐渡ヶ島の旅館に泊まったんですよ、7人部屋に。それで飲んで、ぶっちゃけて話して、そこで結束が固まったんですよ。後関さんは、裸の付き合いとかはしないって宣言してた人なのに、みんなと露天風呂とか入ってくれて。

「これはいい感じじゃん、俺ら」って思って。「10周年、こういうことをやっていこう。みんな、いいですか?」「いいと思います!」っていう話をしたちょっとあとに、脱退の話をされて…それは、だいぶ…俺はかなり、だまされた旅行だった。

後関:だまされた旅行(笑)。いや、あの時はだいぶ「よし、続けるか!」ってなってたんだけどね。でも……僕はずっと……先のスケジュールを決めたりする上で…変な話ですけど、「このイベントには出た方がいい」とかあるじゃないですか? そのイベントにすごく賛同して、「これ出たいね!」っていう時じゃなくても、「出た方がいいよね、バンドとしては」とか。

僕は常に「これ出たいね!」っていう気持ちでやりたいんだけど、そうじゃないものっていうのもあって。それがなかなかノーって言えなかったりとか。で、そういうのって、イベントだけじゃなくて…メンバーも多いし、バンドに関係してくれてる人もたくさんいるし…。

─ああ、まあ、メジャーで大きく活動していくには、純粋に「これやりたい」っていうことだけをやっていくのは難しい、そうじゃなくてもやらなきゃいけないこともある、っていう話ですね。

後関:そうですね。やっぱりそこがつらくなっちゃう部分で、僕は。そういう疑問を持ったまま、続けていけるのかな……っていうのがあって。それが『レインボー』のツアー中で。

浜野:ツアーが終わってから言われて。そのツアーで俺、ずっと「来年10周年なんで! この7人ですっげえおもしろいことをガンガンやっていきますんで期待しててください!」みたいなMCをしてたんですよ(笑)。「こないだも佐渡に行って」とか。そしたら、やめるって…やろうと思ってたこと、ほぼキャンセル(笑)。

後関:すみません!


浜野:「あの旅館で約束したのに…」ってことを根に持ってるところがあるので。だから最後のツアーでは、全部のライブで「根にもってます」をやろうと思って(笑)。

後関:セットリストが来た時、いたたまれない気持ちになりました(笑)。

─それはまずハマケンに言ったんですか?

浜野:そう、それもですよ! 俺はそれも根に持ってます。

後関:(笑)いや、違う、あれはねえ…さっきも言ってた、在日ファンク、集団の意見に流されやすいっていうのはすごいわかってるから。本来はみんながいる時に言うのがいちばんいいんだけど、そうすると各自の意見は絶対に出てこなくなっちゃうなと思って。で、ひとりひとりと話す時間を作ろうと思って…ちょうどその時、仰木くんと「店でも始めてみるか」みたいな計画があって。

浜野:え? 何それ?

後関:「ハマケンも忙しそうだし、一緒に店でも始めるか」って、店の内見に行ったことがあって、ツアー中に

浜野:はああああ? 知らなかった。

後関:(笑)。「1階で飲み屋やって、2階をシェア・オフィスにして、俺のカセットレーベルを作ろう」とか言ってて。っていうので内見をしに行ったことがあって、その時に「仰木くん、もし店を一緒にやるとなったら、話さなくちゃいけないことがあるからきいてくれ。実は俺……」って。

浜野:……店に負けた。

─はははは。

後関:ははははは。そしたら仰木くんが「いや、ちょっと待ってください。何を言われるかふたつ思いついてるんですけど、きいたあとに言いますね」って。俺がやめるって言うか、子供ができたっていうか、どっちかだと思ったらしくて。で、「ああ、やめる方でしたか」って。

浜野:…いや、で、そのあとに俺に言えたじゃないですか。

後関:いや、ハマケンだけスケジュールが全然空いてなかったんだよ。

浜野:いや、絶対言い訳だな、それは。

後関:いや、違うって!(笑)。

浜野:普通、リーダーに言うのがいちばん最初ですよね? この人、リーダーがいちばん最後だったんですよ。俺以外のメンバーみんな知ってたんですよ。

後関:しかもツアー中、後半の3公演ぐらいね。

浜野:だから、後関さんからメールが来て、「今度空いてる時間ないか? 話がある」って。バンドマンが「話がある」っていうのは、絶対脱退の話じゃないですか(笑)。「うわ……いや、でも別の話かもしれない。なんだろうな……」っていう時間が、5日間ぐらいあって。

その間に、啓太とかジェントルとかに「後関さんから話があるってメール来たんだけど、何かなあ」ってきいたら、みんな「うーん、わかんないなあ」って。知ってるのに(笑)。「とりあえず話をきいてみれば?」って。

─そりゃメンバーは「俺から伝えるのは違う、後関さんが直接話すべきだ」って思うでしょ。

浜野:まあそれはわかりますけどね……悲しいです。

─で、ハマケンはそのショックからいかに立ち直って、こうしてふたりでインタビューをやろうと思えるところまで来たんでしょうか?

浜野:いや、ショックでしたけど……みんなへこんではいましたけど、前を向かないといけないから。むしろ後関さんが脱けたからこそできるバンドの形にしていこう!ってなりました。まさに、これからの活動とかも考え直したりして、「変わろう!」って方針を佐渡ヶ島で立てたんですよ。それはグシャってなっちゃったんですけど、それでも「変わろう!」っていう勢いは止まることはなくて、新しいやり方を実行に移していこうとしているところですね。

いったん今の在日ファンクを見つめ直して、バンドの活動ペースから何から改めていこうと。そもそもこのバンドが何をやりたかったのかと、シンプルなとこに立ち返って作り直していく。今後、いろいろ変わると思います。新しいメンバーも入れなきゃいけないので、その空白の期間が必要ですし。その期間を置きつつ、次の活動を打ち出していこうと思っていますね。まあ、後関さんが脱けるのをきっかけに……。

後関:(笑)。

浜野:まあ、ゆくゆくはそういうふうに変わっていきたいなと思ってた方向ではあったんですけど、後関さんが脱けるってことで、それをもっと早急にやろうと思ったんです。

でも、後関さんによって鍛えられたのは、本当にでかかったですね、バンドにとって。後関さんが最初に来て吹いた瞬間に、「あ、プロの人が来た」って思いましたもん。妻のアガサも言ってましたもん、「後関さんが来て吹いた瞬間に、『あ、プロの人が入ったんだ!』って思った」って。だから悲しんでましたね、アガサも。

─では最後に、10周年ツアーであり後関さんのラスト・ツアーへの意気込みを、それぞれうかがえれば。

浜野:そうっすねえ…とにかく、ちゃんと後関さんとさよならしないとなあ、とは思います。わりとそういうのをなあなあにしちゃうところがあるんで。さっきの「大河」発言事件もそうだけど、本当にメンバーのことを考えてるのか? ちゃんとメンバーとつながってるのか? っていうダメなところがあるので、僕は。これは、ちゃんとさよならしないとなあと思っています。
このツアーで新曲やろうと思ってたんですけど……あの曲でいいですかね?

後関:うん、いいんじゃないかな。

浜野:「健やかなるときも病めるときも」っていうクサい曲を作ったんですけど。「やめるときも」がサビに入ってたんで、それをくり返すのはいいかなと思って、後関さんがやめるにあたって(笑)。やめても、お互い楽しくやっていこうぜ、みたいな。そういう愛のある曲をやりたいなと思って。

後関:僕は……6年以上参加したバンドなんで…残り少しですけど……バンドを鍛えた、みたいにハマケンが言ってくれましたけど、あとちょっとだけでも、自分ができることはできる限り、バンドに残せたらな、と思っていて。少しでも貢献できるように、がんばります。

みんながこんなに、僕がやめるってことに対して…たとえばハマケンがこうやってふたりでインタビュー受けようって言うとか思わなかったんで。僕、もっとさらっといなくなるつもりだったんですよ。やめるって普通ネガティブなことじゃないですか? でも、それをネガティブじゃないようにして、こんなふうに送り出してくれるっていうのは、本当に素敵なメンバーだなと思いますし。

なかなかこんなバンドいないと思うので、僕もそれにできる限り応えられるようにと思っています。同じように、お客さんにも、スタッフの方々にも、感謝していますし。最後に少しでも何かを残していければと……固いなあ、言ってることが。

浜野:(笑)固いですよ、後関さん。

後関:やっとハマケンのセクハラから解放されると思うとうれしいです!

浜野:はははは!

後関:脱退の本当の理由は、楽屋でハマケンが全裸になって、口説いてくることなんです。

浜野:いやいや、チンコを押しつけただけじゃないですか!(笑)。

『在日ファンク10周年まる見え対バンツアー』

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