ネタの速さは、あまり気にしたことがない。
ここ数年でブームとなったポートランドも、『スペクテイター』が特集を組んだのは2009年ですよね。同年、THE TOKYO ART BOOK FAIRもスタートし、日本でもZINEがブームになりました。そのほかにも、「禅」や「発酵」「小商い」など、様々なブームが『スペクテイター』を後追いしているかのように感じます。ネタの速さは意識されているのでしょうか。
青野 よく言われるんですけど、そんなに気にしてないんですよね。ポートランドも、最初から知っていて早めに行ったわけじゃなくて、ポートランドで暮らしていたアメリカ人の知人から「ポートランドは変わり者が多いよ」って教えてもらったのがきっかけですし。実際に行ってみたら、ヒップスターとかビートニクみたいなやつがいっぱいいて、「あ、これはおもしろい街だな」って発展していった感じなので。けっこう場当たり主義というか、一か八かみたいなことが多いです。
これまでの『スペクテイター』は、青野さん自身も現地に赴くことで世界中のオルタナティブなカルチャーを発信してきましたよね。最近では北山耕平さんや赤塚不二夫さんと、立て続けにひとりの人物をフィーチャーするなど誌面の雰囲気が変わってきたように感じています。編集部に参加された赤田(祐一)さんの存在感が増したといいますか。
青野 赤田さんが正式に加入したのは2012年ですけど、その前からライターとしては参加してもらっていたんです。ぼくは編集経験がないままここまできたけど、赤田さんは飛鳥新社時代に『サザエさんの秘密』で大ヒットを出したり、太田出版で『クイックジャパン』を創刊したりと、プロフェッショナルなんですよ。ぼくなんかより経験値も豊富だから、いまは“心強い味方”みたいな感じで雑誌づくりに関わってもらっています。ぼくは、もともと赤田さんの編集した本のファンでもあったから、スペクテイターの編集スタッフになってもらえたことは非常に光栄なことだし、できあがった特集を読むのを最も楽しみにしている読者の一人でもあると思っています。
プロフェッショナルの話でいうと、個人の発表する場が広がったことで、プロとアマの差があいまいになっている気がしています。青野さん自身は長くやってきてなお、ある種のアマチュアリズムを持たれている、と。
青野 アマチュアリズムって、「アマチュアでもできるよ」って強い感じなのか…そういう気負いはありませんね。ただ、出版業界の流儀とかルールみたいなものを知らないままに始まっちゃたという負い目は、多少はあるかもしれないですね。分かってないと部分というか。だけど、流儀に沿って編集をしていれば良い本ができるかというと、必ずしもそうとは思わないし、業界のルールに囚われて発想力が出ないってこともあるかもしれないしね。そこは柔軟でいたいなと思います。いまおっしゃったのは、ブログとかでプロよりもすごい文章を発表する人がいるっていうことですかね?
はい。「クリエイティブ文章術」(Vol. 33)のイントロダクションに、“一遍のノンフィクションの記事が人の生き方や国の行方に影響を与えることだってある”と、書かれていましたよね。情報の信憑性やメディアの存在価値、取材で得る一次情報についてどうお考えなのか、あらためて伺えればと思いまして。
青野 ノンフィクションの世界においては、「ファーストハンド」と呼ばれる一次情報を掴むことが一番価値のあることと言われています。いま、ウェブで発信されている情報は、誰かが掴んだ一次情報の孫受けや本を引いたものを適当にまとめてできあがっていていることが多い。そういう意味では、丸呑みできない不確かな情報なんですよね。
ぼくらが取り上げることは、ある人にとっては取るに足らない話かもしれないけど、たしかな事実であり、もしかしたら、その事実は一人の生き方を変えるきっかけになる、価値のあるものかも知れない。そういう考えに基づいて雑誌づくりをやっているつもりです。このような考え方は雑誌によって人生を変えられたという実感があるからです。つまり不特定多数ではなく、ひとりの読者にむけてつくっていると思っているんです。
青野 やりたいなとは思っているけど、手がまわらないんですよ。いまは、ぼくと赤田さんと営業の片岡の3人。外部に振って量産できればいいんだけど、やっぱり企画の取っ掛かりは自分たちの体験したことからしか出てこないので。赤田さんが入ってから年3冊まで出せるようになったけど、営業して、取材して、文章を書いてって作業をやっていると、3人で年3冊出すのもけっこう大変なんですよ。
どちらかを選ぶなら、やはり紙媒体の方がやりやすいですか。
青野 そうですね。ずっと紙で育ってきているし、この形態に思い入れがあるんだと思います。発売して書店の棚に積まれるのは3、4カ月くらいだけど、この時期に、この雑誌と向き合っていたっていう体験が地層として自分のなかにできて、その蓄積の上に“いま”がある気がする。雑誌と共に“いま”を生きる体験という感じかな。ウェブは、どこが“いま”なのか分からない。最近だと「北山耕平」特集が出て、次の「赤塚不二夫」特集を出して──そうやって体験が積み上げられていく感じが気持ちいいし、そうしないと共有できない感覚ってありますよね。
これだけのボリュームをミニマムなチームでつくり続けるのはすごいことですよね。
青野 できる範囲の限界までやってみようって感じですよね。会社を大きくするのは得意じゃないので、最少人数で動ける感じがいいなって。それぞれスキルがあればできますから。
青野 最近は、年始にみんなで集まって自分のなかで気になっている現象やキーワードをトランプみたいに出し合って、なんとなく決めておく。それで7月発売だったら、それまでにこういう取材ができるという計画を立てて、ドンってやる感じです。
それぞれが責任編集的な動きをされる、ということですか?
青野 編集は、ぼくと赤田さんが中心で、もうひとりの片岡が広告や書店の営業を担当しています。去年ぐらいからは赤田さんが実質上の編集長として企画立案をして僕はその補佐みたいな感じでやってます。メジャーな雑誌はいろいろなコンテンツが入っているから複数でやるほうがいいかもしれないけど、最近の『スペクテイター』は、ひとつのストーリーを最後まで語りつくすようなつくりになっているから、企画を立ち上げたひとにひとりでやってもらう方が一貫性も出るし、やりやすいのかなって。
雑誌全体の雰囲気が変わったなと思っていたのは、そういうところにあるのかもしれないです。
青野 もちろん、一人で全てはつくれないから、いろんな意見を出したり、サポートしたりはしていますが。
過去の『スペクテイター』は、マリファナなど過激なネタも多かったですよね。北山さん時代の『宝島』もそうですが、そうした読者をアジテートするメディアが減ってきている印象があります。
青野 アジテーション”というよりも、「いまの現実をフラットに見ようよ」っていう感じですかね。同じことを『宝島』も伝えてようとしていたんだと思います。世の中をグローバルな視点から見たとき、「日本と海外、どっちが普通なの? どっちが偏ってるの?」って事実をみんなに問う。『スペクテイター』のスタンスもぼくらが世界を旅して見てきた真実を誌面で出すっていうことだから、あまり煽っているつもりもないんです。
「TRIP!!」(Vol.10)では、クリスチャニア(コペンハーゲンにある自治区)をすごくハッピーな街として紹介されていましたよね。かたや数年後に観たテレビ番組では危険な街、嘲笑とも取れる紹介のされ方に驚いたことがあります。どちらも事実かもしれないけど、メディアの切り口でこんなにも変わるものかと。
青野 ちょうど変わり目なのかもしれないですね。インターネットのいい部分だと思うんだけど、そうやって大人が押さえつけてきたもの――原発の問題や政治、マリファナみたいに日本国内では絶対にダメだと言われているものも、世界の基準に照らしたら見当違いだったり、時代錯誤なものだったりすることがあって、それがネットのおかげで明るみに出るようになった。これまで巨大な力や権力に覆い隠されていた事実が明かされていく時代なんだろうなって気がします。
東京からアウトすることで、立ち位置が再確認できた。
青野さんが長野市に移住されたのは2011年ですよね。ネット環境が整ってさえいれば、情報にリーチする方法や速さ、いわゆる情報格差はなくなると言われています。東京にいたときと比べて、情報に対する変化はありましたか?
青野 東京でも長野でもそうだけど、最初にみんなが触れる情報って、いまはほとんどがネットからなんじゃないかな。インスタみて、Facebookのフィードを追って、Googleで検索して終わり、みたいな。専門性を持った人と会えば、その人が独自の体験や研究を通じて得た真実というか情報も入ってくるけど、本当の意味で、その人しか持ってない情報を得るっていうのは、いままでもしていなかった気がします。
ぼくは高校を卒業して実家を出てからずっと東京がベースだから、いわゆる“日本のどこにでもある田舎”を知らなかった。人を気にしすぎる、されすぎるみたいなマイナスの空気感からコミュニティの温かさといったプラスの面まで含めて、ずっと東京に住んでいたら絶対に触れ合わなかったものが見えているし、いいバランスが取れていると思います。都会に住んでいるひとも、いまの場所からアウトしてみると、自分がどういうところに住んでいたかが相対的に分かるんじゃないかな。
言ってしまえば、東京もひとつの地方都市でしかないということですよね。それまでの場所から離れてみる必要があるということですね。
青野 けっこう勇気がいるんだけど、思い切って捨てちゃうことで変わってくるんじゃないかな。「ぼくはサードウェーブコーヒー飲まないです」って言って、今日からお湯を飲むとかね。で、白湯ブームになっちゃったりして。すぐブームになるのはやっぱり変わらないね、みたいな(笑)。
東京に住んでいると課題がどんどん出てきますよね。二子玉川に住まなきゃダメなのかなとか、スニーカーは新しくないとダメだよなとか。そういうの、どこかでバスって捨てちゃう。人間関係とか物欲とか、出世欲とかは捨てて、でも欲しいものはちゃんと見ていたり買ったりしている。その取捨選択がうまくいけば、あまり縛られないで悠々といける。一番調子いいのはそれかな。
とは言え、自分の視点をしっかり確立していないと、結局は流行で終わってしまいますよね。
青野 ぼくは流行りで移住したわけでもないけど、流行りでもいいからって地方に移住して、それが楽しい人もいるしね。どっちがいいとも言えない。ただ、ブームになった瞬間に終わっていることって、けっこうありますよね。シェアハウスとか、旅先で友だちの家に住まわせてもらうことなんかもそうだけど、もともとは生活費をかけないで暮らすためのアイデアだったのに、それがいつのまにか商売になっちゃってる。誰にも注目されていないところから始めた方が楽しいんじゃないのって思いますけどね。
「 いままで見てない世界がある」って気がついた。
『 スペクテイター』の特集は、そうした世の中の流れは意識されていないのですか?
青野 基本的には。なぜかというと、いま流行していることを紹介して売れる本をつくろうと思っていないからでしょう。自分たちがもうちょっとよく知りたいとか深くやってみたいことを、取材という名目をかかげて体験して楽しんでいる気がします。そうして体験して得た事実を「こんなに良いことがあるから、やってみたら、見てごらんよ」と読者に伝えているという意識が、自分たちの特集づくりの根底にはあると思います。
例えば、禅のこと(VOL.31 )も全然知らなかったから、ちょっと飛び込んでみようかって取材やリサーチを始めるわけですよ。それで自分のなかに禅が入ってきて、その過程を言語化して、雑誌ができることでひとつの旅が終わったという感じになる。ポートランドも3週間くらい現地に滞在していたし、赤塚不二夫特集をつくっている間は当時描かれた赤塚作品をガンガン読むわけです。そうすると73年の新宿を旅している気分になってくる。
これまでずっと毎号4カ月ぐらいの制作期間という旅を続けてきた気がします。この旅はこれからも続くと思います。きっと、ぼくは知らない世界にポーンと飛び込んで、こんな世界があったんだとか、こういう人がいるんだって自分で体験して伝えるのが好きなんです。
青野 『 Barfout!』を辞める前の数年間、夏になると友だちの家にお世話になりながらイギリスのイベントに行きまくってた時期があるんですね。そいつの家にはイギリスのヒッピーや不良みたいなヤツもいっぱい来ていて、彼らと遊んでいたら「なんか、いままで見てない世界があるな」って気がついたんです。スペクテイター創刊号で取材した「グラストンベリー・フェスティバル(フジロックのモデルとなった70年から続く野外フェス)」でも、ヒッピーの家族がおんぼろバスで旅して、イベント後にまたどこかに行く姿を目撃したりとか、こんな世界がイギリスにあったのかって。
ぼくにとっては、そうした出会いも一種の旅だし、自分を成長させてくれる体験。そういうのっていいよなって思ったから『スペクテイター』を創刊したんです。そうして、自分が旅をしてその記事をみんなが喜んでくれたからここまで続けてこられた。それはいまも変わらないんですよね。体裁は文芸誌っぽくなったりもするけど、ひとつの世界を旅してレポートを書くってことを、延々とやっているだけ。
青野 自分の目でどう見たかっていうことですよね。テレビはテレビの語り方で、クリスチャニアは悪いって言うのかもしれないけど、ぼくにとってはそんなことない。一緒にジョイント吸ったらすごくいいやつで、こいつのことがよく分かったよっていうことが、そのまま書ければいいじゃん、というスタンスですね。
それを、そうね…ロックジャーナリズムなのかニュージャーナリズムなのか、ずっとやっている感じですね。
北山さんは、ある文章で「宝島時代は自分をメディア化する必要があった」と書かれていました。青野さんは、現場を赤田さんに任せはじめているとおっしゃっていましたよね。今後どういった活動をされるのか、気になります。
青野 スペクテイターの編集には引き続き関わっていくけど、すこし余裕ができたら単行本をつくりたいとは考えています。単行本というと、どうしても四六版で定価1,500円みたいになっちゃうけど、もっと気軽に買えるZINEと本の間ぐらいの薄いのがちょうどいいのかなって。ぼく自身も、もちろん書きたい気持ちはあるんだけど、プロの作家とかライターじゃなくても、最初におっしゃっていたような素人だけど情熱を秘めた人たちに参加してもらえるシステムができたらいいなって考えています。
ZINEとして売るのか、編集スクールをつくるのか、まだ分からないけど、やっぱり紙じゃないと表現できないものってあるから。そのつくり方を教えたり、自分もつくったりしてあたらしい市場ができていったら調子いいじゃない。商売というほどでもないけど、遊びの提案というか。
「 商売」と「遊び」ということで言うと、「遊びを仕事にする」みたいなことを最近よく聞きますよね。「好きなことを仕事にする」とか「好きなことしかやりたくない」とかね。それにはちょっと違和感があるんだけど、でも、『就職しないで生きるには』という本の著者であるレイモンド・マンゴーという人の仕事観には共感できるんです。「フイナム」の読者の人たちにとっても有効な人生訓だと思うので、最後に引用させてください。
“わたしがまだ二十代で、一九六〇年代を炎のようにすごし、明日なんてないという気になっていたころ、仕事(ワーク)というのは憎悪すべき単語だった。わたしは終日遊びまわり、自由を求めて暮らしたがっていた。だがわたしたちはいま一九八〇年代に突入する。わたしも中年の三十路をむかえる。そして「仕事」は美しいことばになり、それこそが最良の「あそび」になった。仕事こそいのちだ。それ自身が報酬だ。その仕事がいいものなら、それを感じることができ、充実感がある。わたしたちは根源的利益をつかむ。(でも、むりをしないこと。これは忘れるべからずだ。追い求めれば、それだけ、逃げていってしまう。なんであれ)”『 就職しないで生きるには』レイモンド・マンゴー著・中山容訳(晶文社・1981)より