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広告的に雑誌をつくる

―欄外の一行情報とかも(笑)。

浜田:いや、本当にそんな感じで(笑)。で、読み終えたんですが、そのときの感想が、「こいつら、なにひとつ薦めてくれねえ」でした。「こんなに買う気マンマンで来たのに......」って。

―でも、ディスクレビューやインタビューで薦めてますよね。

浜田:でも、それらはフォーマットありきのルーチンワークで、ただ新譜を毎月置き換えているだけですからね。本来なら、その作品の内容に応じて記事の在り方は多様なはずです。記事の形態というのは、インタビューかレビューかの二択しかないわけじゃないですからね。そんなの編集じゃない。だけど現実は、フォーマットのレイアウトの中味を新譜に差し替えて、来た原稿を書き直させたりすることもなしに流し込むだけでしょう?

―ふつう、そういう作りですよね。

浜田:だけど、その程度の稼働時間でできたもので商売できるなら苦労はないです。楽につくったものは、読者は確実に見抜きますから。

―でもみなさん、徹夜とか大変そうですけどね。

浜田:それは効果もないことに時間をかけているだけだと思います。たしかに編集後記はそういう徹夜ネタが定番ですよね(笑)。だけど、誌面を見るかぎり、なにが大変なのかさっぱりわからないです。

―むだなことをしていると。

浜田:だってインタビューを並べてるだけですからね。その取材にしたってメーカーが持ちかけてくるわけだから相手も協力的ですし、スケジュールどおり進む仕事でしょう。  とにかく、ルーチンで商売できるのって、えびせんやポテトチップスの会社ぐらいですよ。商品にあれぐらいの完成度があれば同じルーチンで何十年と会社がやっていけるんでしょうけど、現状の音楽雑誌にそんな完成度はないと思います。月刊誌や週刊誌というものはある程度同じフォーマットが必要とされますけど、だめなフォーマットは続けても意味ないですし、常に検証し続ける必要があると思います。

―たしかに、商売ってそんな楽なものじゃないですよね。

浜田:いまの音楽雑誌には、"本文を読んでもらう"という本来ものすごく高いハードルにたいする危機感がまったくないんですよね。ほとんどの雑誌やライターが、なにはともあれ読者は原稿を読むだろうという驕りのうえに仕事をしていると思います。それは書き出しを見れば一発でわかる。

―どうわかりますか。

浜田:読者に語りかけているとは思えない文章になってますから。結局、読んでもらっていると思っているのは、書いた本人と編集者だけですよ、悪いけど。まあ、ライターにはページを構成する権利はないから、百歩譲って原稿を書くひとががんばっていたとしても、その原稿の置き場所を管理する肝心の編集者はまったくがんばっていませんからね。ミュージシャン名がただ羅列されているだけの雑誌なんて誰が読むかって話ですよ。

―どちらかというと、編集に問題があるという話ですね。

浜田:年間ベスト的な企画をやらせると、編集部のだめさが如実に出ますよね。ほとんどの雑誌がろくな選定基準もあきらかにせずに、ただの思いつきだけの幼稚園児みたいな仕事をしています。「7位が空いちゃってんだけど、なんかなかったっけ?」みたいな編集者同士の会話が聞こえてくるような(笑)。実際そうだと思うし。

―ありそうですねえ(笑)。

浜田:もちろん編集者だけが悪いわけでもなくて、目も当てられないようなダメな原稿もたくさんありますけどね。ただの音楽好きが「最高!」を繰り返してるだけ、みたいなのとか、大学でちょっと勉強しちゃった現代思想かぶれが書いたようなのとか。本来はテクニカルな世界のはずなのに、あまりにも無邪気すぎるものが多いです。

―無邪気とは?

浜田:無邪気というのは、勉強ができたり音楽の知識があっても、ひととのコミュニケーションが取れない連中のことです。  広告の世界もそうでしょうけど、大衆の心理を動かすためには声を荒げればいい、というものではないでしょう? 「最高傑作!」とかの常套句を声を大にして言ったからといって、読み手がそれを額面通りに受け取って、こころを動かされて消費に動くわけじゃないですよ。世の中そんな単純じゃないし、逆に、発信者が興奮すればするほど、受け手は冷めていくものです。

―薦めたいけど熱くなりすぎてはいけないというのは、調整がむずかしいですね(笑)。

浜田:たとえばビールの広告を例にとると、ビール自体のアピールより、ビールと一緒に食べる食い物をいかにおいしそうに見せるかに、代理店は腐心していますよね。少なくともぼくにはそう見えます。たとえば、記憶が定かじゃないですけど、トキオのひとが出ていたビールの広告ではキツネ色に焼けたチキンが目立っていた気がしますし、あと、宝塚だった女優さんも、なにか忘れたけどおいしそうなものを焼いて食べてましたよね(笑)。つまり、受け手はそういった絵全体を自分も体験したい営みとして受信して、それを実現すべく無意識にビールを買うわけです。

―たしかに。

浜田:アメリカの牛乳の広告でも、牛乳がいかに栄養があるかというデータ的なアピールではまったく売れなかったのに、子どもがチョコレートケーキと一緒に牛乳を飲むシーンをアピールしたことによって爆発的に売り上げが伸びたという有名な例があります。実際、自分で話しておいて、ぼくもいま猛烈にチョコブラウニーと一緒に牛乳を飲みたくなっています(笑)。

―効果早いですね(笑)。

浜田:うめぼしと唾液の関係みたいなものですね(笑)。話を最初にもどすと、雑誌でなにかを薦めるからには、読者が「自分はこれをなんのきっかけで買ったんだろう?」という"きっかけ"の部分をきちんと科学するべきだと思うんです。

―「これ良かったよ」とストレートに言うのではなくて、読者を行動に移してしまう薦め方を研究する、ということですね。

浜田:そうです。日用品でも食品でも、自分がなにかを買ったきっかけをそれぞれ科学してみると、思いもよらない理由で買ってますからね。それを音楽雑誌にもあてはめてみて、自分たちが推薦したい作品を、どうやったら読者が買うに至るか、を考えたいんです。

―『音盤時代』ではそれを実践されたわけですか。

浜田:それなりに仕込んでいるつもりです。とはいえ、消費のきっかけが本人にとって"思いもしない"理由である以上、記事の作り方も表面的にはその目的が読み取れない姿をしているでしょうね。深層心理を狙うわけですから。まだまだ未熟ですが。

―広告的に雑誌をつくる、というのは新鮮ですね。

浜田:こんな話は広告代理店のひとが聞いたらちゃんちゃらおかしいとは思うんですけど、音楽メディアの世界では、そんな低レベルなことすら考えられていませんからね。いくら書いてる本人が「本当にいいんだよ」って無邪気に言ったところで、読み手にそう思ってもらえなかったら意味ないじゃないですか? だったら、読み手がふだん、なにをきっかけに興味を持って、購入にいたるかを研究すべきでしょう。どういう記述や触れ方によって知的好奇心を刺激されるのか、ということを。
 とはいえ、これは編集者としてどこまで未知の編集を発見できるか、みたいなテクニカルな好奇心でもあって、ちょっと不純な部分なんです。でも、雑誌をつくりたいという気持ちの根っこの部分では、「いい音楽を教えてほしい」という、いち読者としての自分の願いをかなえるため、というのがいちばん大きいと思います。