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清野茂樹アナウンサー/イノキスト1973年神戸市生まれ。フリーアナウンサー。ラジオ日本「真夜中のハーリー&レイス」、WOWOW「ザ・プライムショー」、TBSテレビ「ツボ娘」などで活躍中。

猪木研究修士論文

清野茂樹
アナウンサー/イノキスト
1973年神戸市生まれ。フリーアナウンサー。ラジオ日本「真夜中のハーリー&レイス」、WOWOW「ザ・プライムショー」、TBSテレビ「ツボ娘」などで活躍中。

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猪木と坂口

2013.04.28

フイナム読者も深夜にテレビをザッピングしていると、プロレス中継に出くわすことがあるだろう。新日本プロレスという団体の試合中継は時間帯を移動しながら、この4月でちょうど40年の歴史を迎えたのだ。


猪木が作った新日本プロレスは、旗揚げから1年後の春、坂口征二(坂口憲二くんのパパね)の加入と同時にNETテレビ(現在のテレビ朝日)の中継が始まった。つまり、テレビ局の判断としては、猪木1人ではダメ、猪木と坂口というスターが2人いて、ようやく放送開始を決断したということになる。


そんな猪木と坂口の初対決が実現したのも春。


テレビ中継開始からさらに1年経った1974年4月26日、今はなき広島県立体育館である。


技の猪木と力の坂口、2枚看板がぶつかり合った試合は、30分時間切れドロー。生中継の枠に収まりきらない大熱戦であった(ちょっとマニア向けの話だが、テレビ解説は、猪木と坂口を引き合わせたマサ斎藤が務めている。例えるなら猪木、坂口という「薩長同盟」を作った坂本龍馬のような存在なのだ)。


この年の猪木はストロング小林戦、大木金太郎戦、そして、坂口戦と、日本人相手に歴史に残る名勝負を3つも残している。つまりは「1974年のアントニオ猪木」こそが、僕がいちばん好きな猪木なのである。


そういえば、猪木と坂口は通算10回対戦しているが、それらはすべて春に行われている。普段は共闘している2人が闘う理由は、この季節に開催される総当たりリーグ戦しかなかったからだ。


ということで、僕にとって春といえば、猪木と坂口を思い出す季節なのである。


 


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