猪木にとって最大のヒット作
2013.05.16
プロレスをほとんど知らない人でも、タイガー・ジェット・シン(Tiger Jeet Singh)という男の名前は聞いたことがあるのではないだろうか?
視界に入った相手は一般人であろうと構わずサーベルで襲いかかる、名前の通り、虎のように獰猛な悪党レスラーである(銃刀法違反もお構いなし!)。
本来の発音に近い表記であれば、タイガー・ジート・シンと書くべきだが、何でもかんでも発音通りが正解ではない。やっぱり、タイガー・ジェット・シンというネーミングのパンチは抜群である。
とにかく、悪の限りを尽くして猪木と抗争を繰り広げ、一度は猪木をNWFチャンピオンの座から引きずり落としているのだ。

そんなジェット・シンが初めて日本に姿を現したのは、1973年5月4日。
新日本プロレスのテレビ中継が始まって1か月後という、抜群過ぎるタイミングである。試合に突如として乱入して大暴れしたジェット・シンはセンセーショナルな話題になり、かくして、猪木が売り出した新商品は大当たりしたのだった。
猪木のライバル、ジャイアント馬場が既に内容が保証されたブランド品(一流外国人)を商品棚に並べていたのに対し、猪木は自社商品(無名のインド人)を磨き上げてスターにしたのである。どちらにロマンがあるかは言うまでもないだろう。
当時の猪木は、まさに、資源に恵まれなくとも、高い技術力によって経済大国の仲間入りするようになった日本の姿そのものだ。
メイド・イン・ジャパンというか、メイド・バイ・イノキ。
有名な伊勢丹前襲撃事件はこの年の秋、腕折り事件は翌年の夏と、1973年から1974年の2人の抗争は最初のピークを迎える。両者流血によるドクターストップ、日本初のランバージャックデスマッチ・・・とにかく、この時期の2人のテンションは異様に高い。
1973年のゴールデンファイトシリーズのこと。
一度は国外退去処分にしたものの、あまりにも常軌を逸したファイトを続けるジェット・シンに対して猪木は、王座に挑戦する資格なしとばかりにコミッションドクターに精神鑑定を依頼。その結果・・・
キ〇ガイではない
という診断が下されて抗争が再開するというストーリーも僕は大好物である。