RECORDING, SOUNDS and ENVIRONMENT
オノ セイゲン
空間デザイナー/ミュージシャン
録音エンジニアとして、82年の「坂本龍一/戦場のメリークリスマス」にはじまり、多数のアー ティストのプロジェクトに参加。87年に川久保玲から「洋服が奇麗に見えるような音楽を」という依頼により作曲、制作した『COMME des GARCONS / SEIGEN ONO』ほか多数のアルバムを発表。
Photo by Lieko Shiga
N.Y.C.のインターンシップ事情(その3)
2011.07.16
アート・リンゼイや僕のアシスタントをしてくれていた、スタジオ所属のある若いエンジニア。彼はある日デヴィッド・バーンのミキシングをまかされてしまった。その後、エンジニアとアシスタントの両方をへて、最近フリーランスとなった。ミキシング時のギャラはUS$30/Hrくらいから始まり、今はプロジェクト次第。こういうキャリアからプロデューサー・エンジニア(ギャラ意外にプロデュース印税も受け取れるエンジニア)が生まれてくる。職人仕事としてエンジニアリングを引き受ける場合、共同プロデューサーとして責任(と印税)も発生する場合で、それぞれの仕事のアプローチは全く異なる。(現在、そのPくんは、作品を言えば誰でも知ってる超売れっ子プロデューサーのひとりです!)
サイデラ・マスタリングでインターン修行をし、その後シカゴに戻ったジェームス君が新スタジオを訪ねてきてくれた。いい感じに成長していた。作編曲+演奏+録音まですべてこなして、その音楽で生活できているのであるから素晴らしいではないか。その調子でがんばってくれ。(end)
サイデラ・マスタリングでインターン修行をし、その後シカゴに戻ったジェームス君が新スタジオを訪ねてきてくれた。いい感じに成長していた。作編曲+演奏+録音まですべてこなして、その音楽で生活できているのであるから素晴らしいではないか。その調子でがんばってくれ。(end)
一度しかない人生で自分にあった、やりがいのある仕事をみつける。音楽、映画、ゲーム、サラウンド。音のプロになりたい若者の登竜門!サイデラ・マスタリングでは、この夏のインターンシップを募集。詳細はここをクリック。
私が1995年にスタートした日本で最初のインディペンデント(親会社やグループ企業のない)のマスタリングスタジオ「サイデラ・マスタリング」。開設時より、インターンシップ・プログラムがあり、現在までにのべ120人以上が経験した。そのマニュアルは、彼らにより引き継がれながら日々更新され続けている。