フイナムテレビ ドラマのものさし『若者たち 2014』
2014.07.30
2014 January-March vol.03
『なぞの転校生』3~5話 テレビ東京 金曜24:12~
ドラマでも映画でも、どこにでもある風景や何気ない人々の生活が描かれるとき、それを観る者は、「ああ、自分たちの良く知っている日常が描かれている」と思う。いわゆる「淡々とした日常の描写」だと捉えるわけだが、本作も、「ごくありふれた日常」の描写が積み重ねられ、そこにある日突然、別の次元から不思議な転校生がやってくる話として観ていたら、3話で衝撃の事実が明らかに。主人公の岩田広一(中村蒼)らのいる世界のほうが、どうやら別の次元だったらしいのだ。
原作の同名小説では、高度に進んだ文明をもつ別の次元に住む民が、核戦争による放射能汚染でその世界を追われ、「次元ジプシー」として時空をさまよい、並行世界として存在する現代の日本に「避難」してくる、という設定になっている。当然、このドラマでも広一らがいる世界を「我々の知っているこの世界」だと思い込んで観ていたのだが、3話のラスト、音楽室のピアノでショパンの『雨だれ』をつま弾く転校生・山沢典夫(本郷奏多)に向かって、音楽教師がこう言い放つ。「何て曲?」 問われた典夫は「この曲、知らないんですか?」と驚くが、「そうか、ここにはショパンの『雨だれ』がないのか」とつぶやく。
音楽教師が、あまりにも有名なショパンの『雨だれ』を知らないはずがない。我々のよく知っている日常だと思っていた世界が、実は微妙にズレた異世界だったことが明らかになるこのシーンには鳥肌が立った。モーツァルトは存在しても、ショパンはいない世界。しかも、ドラマの第1話から『雨だれ』は劇中で繰り返し流れていて、「いかにも岩井俊二な世界」などと呑気に聴いていたのだが、これがとんだミスリードだったわけだ。
5話の時点ではまだ明らかにされてはいないものの、転校生の典夫たちのいた世界のほうが、実は我々のいるこの世界の未来の姿という設定なのかもしれない。高度に進んだ文明をもち、その結果、核による最終戦争が起こり、放射能汚染されてその世界に住むことができなくなった人々こそが、我々の未来像なのではないか。
原作を反転させたこのアイデアは見事だし、3.11以降の世界の行く末に警鐘を鳴らすメッセージが込められていることはどうやら間違いがない。
単に「少年ドラマシリーズ懐かしいよなあ」でも「岩井俊二観たよなあ。『打ち上げ花火』とか」というノスタルジー目線でもなく、70年代の伝説のドラマを2014年の映像作品としてアップデートする意味がきちんとそこにある、ということが重要だろう。
今期ベストの予感十分だ。
『失恋ショコラティエ』3~5話 フジテレビ 月曜21:00~
『ハチミツとクローバー』が打ち出した「片思いも立派な恋である」というテーゼに『モテキ』以降の恋愛のリアリティをプラスしたのが本作だといえる。
昨今の「彼氏・彼女ナシの20代が増えている」なんていうマーケティングデータを真に受けるべきではないのは、特定の彼氏・彼女がいないだけで実はセフレはしっかりいたりするという現実があるからだ。セフレがいても、付き合っているひとがいない場合はアンケートで「彼氏・彼女なし」と書くのだから。という意味では、片思い中である、あるいは彼氏・彼女はいないがセフレはいる、という数を足せば、いまの時代もかなりの人数が恋愛しているといえる。
『失恋ショコラティエ』は、そんな時代の恋愛ドラマだ。主人公の爽太(松本潤)は、人妻となった紗江子(石原さとみ)にいまでも片思いをしている。実は紗絵子も冷えた結婚生活に満たされずに爽太への思いを募らせているのだが、その気持ちを爽太は知らない。どうせまたいつものようにもてあそばれているだけなんだ。だから俺は俺でセフレとよろしくやってやるんだと悪ぶって、モデルのえれな(水原希子)の元へ通う爽太なのだが、爽太の店で働く薫子(水川あさみ)はそんな爽太に絶賛片思い中。ほぼすべての登場人物の思いはすれ違うが、何かの拍子にわずかに触れ合う瞬間がある。その瞬間のことを恋とか愛と呼んでもいいんじゃないか。というのがこのドラマの世界観だ。
女子力全開のゆるふわ系・紗絵子、爽太のセフレだが他の男に片思い中のえれな、爽太の成長を見守りながらも恋心を抑え切れない薫子。おそらく一般の女性視聴者にとってもっとも感情移入できるキャラクターが薫子だろう。演じる水川あさみの地味可愛さも相まって、「こういうひと、いるだろうな」という妙な説得力がある。
そして、このドラマがユニークなのは、恋愛物でありながら、シリアスな仕事論がときおり顔を出すところだ。その辺りは脚本家・安達奈緒子カラ―といえるが、越川美埜子が脚本を書いた4話にもこんなやりとりがあった。
ネットで評判が広まった爽太の店に対して父・誠(竹中直人)が言う。「おまえはいい時代に生まれたな。俺がやってた頃は、口コミで評判が広がるまで何年もかかったもんだ。分かるひとにだけ分かってもらえばいいなんて言ってたら、あっという間に店は潰れちまう。でも、いまは違う。大勢の人間に媚びなくても、たった一人の誰かに死ぬほど愛してもらうことができれば、ちゃんと結果につなげることができる。それはすごく幸せで、恵まれた環境だってことだ。」
これに対して爽太は、チョコレートの貴公子と称されるショコラテイエ・六道(佐藤隆太)も同じようなことを言っていたと言い、「さすがに10も歳が上だと言うことが違うなあと思った」と笑うが、そんな爽太を父は一喝する。「それは違うぞ。歳は関係ないだろ」と言い残して去っていく。
10歳上だったら負けてもしかたがない。そう思うことで安心しようしていた爽太は、「でも、それってその時点で勝負に負けてるってことなんじゃないのか」と気づく。六道が、世間に迎合することで「自分自身のビジョンが消えてしまうことのほうが怖い。どんなものをつくりたいのか分からなくなって何もできなくなることが怖い」と語っていたことを思い出し、「あのひとは凄い。完全に自分の世界を構築している。」「俺はあと10年であんな風になれるのか」と自問する。
これは、どんな仕事にも通じる葛藤ではないだろうか。時折、こんなセリフが飛び出すからあなどれないのだ。
『紙の月』NHK 3~5話 火曜22時~
全5話を通して、勤務先の銀行の金・1億円を横領した梨花(原田知世)はモノローグで何度もこうつぶやく。
「私は何でもできる。どこへでも行ける」
平凡な主婦が大金を自由に扱える立場になったことで手に入れた「万能感」が、人生の歯車を狂わせる。そして、第1話の冒頭、横領が発覚しそうになって逃亡したタイの町をさまよい、梨花は圧倒的な万能感を憶えながらも、「私は何かを得てこんな気分になっているのか、それとも何かを失ってこんな気分になれたんだろうか。」と考える。
顧客の預貯金を横領するという犯罪によって得た大金を湯水のように使いまくる梨花の姿は、しかし決して満たされているようには見えない。若い恋人に好きなように金を使わせ、みずからも高級ブランドを買いまくり、一流レストランで贅沢な食事を満喫しても、心は空洞のままだ。
結局、大金を手にしたことによって「何でもできるし、どこへでも行ける」と思った万能感自体がまさに薄っぺらな紙幣のようなものだったと気づいた梨花は、「誰かに必要とされたい。誰かに愛されたい」と他人に期待するのではなく、自分自身をまるごと認め、愛してあげようと思う。ここではないどこかへ行こうとしたが、いまここにいる、あるがままの自分と向き合うことを決めた彼女の表情はいっそ清々しさに満ちている。そこからが、ほんとうの旅のはじまりなのだ、と。
梨花の女子高時代の同級生だった木綿子(水野真紀)と亜紀(西田尚美)も、実は同じように金に翻弄されていたのだった。専業主婦の木綿子は、スーパーの特売に血眼になり、夕飯のおかずも風呂の湯もケチる「すてきな奥さま」だが、そのギスギスした家庭に息が詰まって旦那は若い部下と浮気をして高級レストランで大盤振る舞いしていたりする。亜紀はバツイチのベテラン編集者だが、実は買い物依存症でカード破産寸前までいったことが原因で離婚、元夫と暮らす娘に見栄を張っているうちに買い物依存症が再発してしまう。
ケチケチした節約主婦と買い物依存症のバツイチ女。金を使わないのか使うのかの違いだけで、いずれにしても金やモノに振り回されていることに変わりはない。梨花の大金横領・逃亡の物語を縦軸に、同級生だった2人が梨花はなぜそんな大それたことをしでかしたのか想像する様が物語の横軸になっている。そして、最初は理解し難かった梨花の行為が、実は自分たちと同じ心持ちに根差したものであることを知るのだ。
梨花が預貯金を横領するのはオレオレ詐欺に騙されるような高齢者ばかりというのもリアル。金はあるが子や孫には渡したくないがめつい老人が、話し相手になり、切れた電球を換えてくれるようなやさしい銀行員のことは疑おうとしない。梨花に対して下心丸出しだった平林(ミッキー・カーチス)は事件発覚後も「金のことなら言ってくれりゃいくらでもやったのに」と言い、認知症が進行する名護(富士眞奈美)は「梨花さんは天使様」とうっとりした表情で答えるあたりはゾッとする。
1話の冒頭が最終話のラストとつながる構造はストーリー的な意外性はないものの(つまり1話の時点で最後が分かっている)、横領~証書偽造のプロセスや若い恋人との次第に変わっていく関係性をじっくり見せることで心理的なサスペンスをうまく成立させていた。
NHKの夜のドラマ枠は、『セカンド・バージン』以降、熟女と若い男の組み合わせが定番化しているが、そのなかでも頭ひとつ抜けた作品だったのではないか。同枠で向田邦子ドラマのリメイク『胡桃の部屋』も手掛けた脚本家・篠崎絵里子はなかなか達者な書き手だと再確認した。
『明日、ママがいない』2~4話 日本テレビ 水曜22:00~
第1話の冒頭から「これから始まる物語は現実に即したリアルな話とは異なりますよ」という表現をあからさまにしていたにも関わらず、その意図を読み取れないひとが多数いたことによって、本来の物語の主題とは別の文脈で騒動になってしまったある意味不幸なドラマ。
もし、養護施設の子どもたちに対して施設のスタッフや学校の同級生らが「ポスト」だの「ドンキ」だのとあだ名を付けてからかう場面があればそれは確かに問題かもしれないが、ここで重要なのは、親に捨てられた子どもたちがお互いをあだ名で呼び合うのは、親からもらった名前を自らの手で捨て、忌まわしい過去をネタ化した上で乗り越え、助け合って生きていこうという意志の表れだということだ。子どもたちの決意が、そのあだ名には込められている。
芦田愛菜演じるポストの漢気(おとこぎ)と垣間見える母性。各キャラクターの描き分けも明確で、ドンキ役の鈴木奈央、ピア美役の桜田ひより、ボンビ役の渡邊このみら子役陣の芝居も見事。
今となっては、1話で問題になった施設長のセリフ「お前たちはペットショップの犬と同じだ」に代表される、いかにも往年の野島伸司と言うべき挑発的なセリフはなくても十分に成立したのではないかとも思える。ことさら過激さを前面に出すことで余計な物言いがついたのではないかと、その点は残念だ。
『ロストデイズ』(フジテレビ 土曜23:10~)は全10話中5話まで進んだもののサスペンスとしていまだ盛り上がらず。『私の嫌いな探偵』(テレビ朝日 金曜23:15~)は金曜の夜に何も考えずに見る分にはたいへん楽しい。
『ダークシステム 恋の王座決定戦』(1~4話 TBS 月曜24:28~)は、独特の世界観と脱力系のテンポ感がじわじわくる。が、『時効警察』を手掛けた三木聡のようなシュール演劇テイストではなく、あくまで予算がないがゆえに自ずとシュールになってしまう自主映画のソレ。これは決して批判などではなく、幸修司が手掛けた同名の自主映画が「原作」であり、それに惚れ込みシリーズ構成と監督を買って出た犬童一心と小中和哉は元々自主映画の出身だから、全編に漂う自主映画臭はむしろ確信犯なのだ。
もちろんHey! Say! JUMPの八乙女光の初主演ドラマだし、最近では『のぼうの城』などの大作も手掛けた犬童一心が関わるのだから、それなりに予算はかけているはずなのだが、あくまでもテイストはチープな自主映画然としている。寝起きのようなボサボサ頭に銀縁メガネで主人公・加賀美を演じる八乙女君のイケメンぶらなさ具合にも感心するし、ドラマ初出演の玉城ティナの棒読みのセリフすら好ましい。
単発だが、2013年1~3月に放送され人気を博したドラマの待望の続編『最高の離婚special 2014』(2月8日 フジテレビ 21:00~)も見応えがあった。一度は離婚したものの、籍は入れずにずるずると一緒に暮らす光生(瑛太)と結夏(尾野真千子)。友人の上原諒(綾野剛)と灯里(真木よう子)夫妻に子どもが生まれ、光生の姉のおめでたを知った結夏は、光生に子どもが欲しいと打ち明ける。
落ち着いたら再び婚姻届を出そうと言う光生は恋人同士のような今の暮らしを維持したいので、「新婚さん始まろうとしてるんだよ。行くならまずIKEAでしょ。IKEA行ってソファ買おうよ、カフェ風のやつ。」と反論。「そんな雑誌に載ってるみたいな生活いらないの。あなたと私の子どもが欲しいの。分かる?女が男の人に思う気持ちにそれ以上はないの」と詰め寄る結夏に、子どもが生きる将来の日本経済を懸念する光生は、「大就職難ですよ。ブラック企業どころじゃないよ。ブラックホール企業に就職することになりますよ」と叫び、「ブラックホール企業って何よ」とツッコまれると「天文学的な残業時間ですよ。うちの子ボロボロになりますよ。吸い込まれますよ。そこに送り出していいものなの!?」と意味不明の理屈をまくし立てる。
この結夏の「子ども、ほしいね」発言に果たして光生は応えることができるのかを主軸に、諒の元カノ(臼田あさ美)との邂逅や結夏の不倫旅行騒ぎ(相手は光生に『ヤング宮崎駿』と茶化される岡田義徳)などを挟んで物語は進んでいく。膨大なダイアローグが浮き彫りにする人生の悲喜劇。まさくし脚本家・坂元裕二の真骨頂だ。連ドラ版は、ウディ・アレンを思わせる瑛太の神経症的な屁理屈トークが笑いを生み(さながら目黒川はアレン映画におけるイーストリバーか)、「毎度ばかばかしいお笑いを」という落語の夫婦(めおと)物のようなテイストを醸しつつ、ラストは桑田圭祐が歌う『Yin Yang(イヤン)』のイントロが流れ「チャンチャン!」というオチで終わる、という趣向だったが、今回はそれを踏襲しつつ、映画『ブルーバレンタイン』のようにヘビーな男女の対峙が真正面から描かれる。
不倫旅行をしかけた結夏に光生は激昂、二人の仲は最悪に。すったもんだの末、仲直りして婚姻届を出そうと歩み寄る光生に対して結夏は涙ぐみながらこう返す。「光生さんはひとりが向いてる。ほら、逆うさぎだよ。寂しくないと死んじゃうの。馬鹿にしてんじゃないよ。そういう光生さんのとこ好きだし、面白いと思うし。そのままでいいの。無理して合せたら駄目なんだよ。合せたら死んでいくもん。私が、あなたの中で好きだったところが、だんだん死んでいくもん。そしたらきっと、いつか私たち駄目になる。」
一見がさつで無神経に見えるズボラ妻の結夏がほんとうは愛に満ちた可愛いひとだったり、神経質で辛辣な光生がほんとうは相手の気持が分かるやさしいひとだったり。このドラマの凄さは、表面からは分からないひとの奥行や多面性がきちんと描かれているところだ。
光生は物語の冒頭で尿管結石を患い、いろいろあった末、その石が尿とともに流れ落ち、係長に昇進し、通院する歯医者の美人助手に言い寄られる。結夏と別れることで肩の荷が降りたのだろうか。けれど、お年玉年賀はがきの2等のふるさと小包が当たってもそのよろこびを分かち合うひとは、もう隣にいない。
ラストに、光生が結夏に宛てて書く長く叙情的な手紙(まるで小沢健二の詞のような)の文面から、光生がいまでも結夏の記憶ととも日々を暮らしていることが分かる。連ドラ版で結夏が光生宛てに書いた手紙は結局渡されることはなかったが、今回、光生の手紙はポストに無事投函された。その返事がどうなるのか、1年後(?)に期待したい。
では、いいドラマを。