3人のファッショニスタが語る、ドクターマーチンの過去・現在・未来。 VOL.3 栗野宏文
2012.02.16

―〈Dr.マーチン〉の思い出的な話を聞かせていただきたいのですが。
大村鉄也(以下大村/敬称略):21~23歳のときは、かなり履いていました。聖林公司で働いてる頃からスタイリストのアシスタントをしている時期ですね。
―スタイル的には?
大村:やっぱりカルチャー的な影響が大きいです。ドンズバでパンクだったとか、そういうことではないのですが。自分的にUKミュージックシーンがとくに好きなときで、オアシスだったり、ストーンローゼスだったりとか、ブラーとかが全盛だった時代に20歳くらいで。そこにグランジブームがクロスオーバーしてきていて、ブラックとかネイビーに後染めしたジーンズ(501)に8ホールの〈Dr.マーチン〉を履いてましたね。
―1990年代半ばくらいですね。
大村:パンクとかモッズとか、まんまのスタイルではなくて、当時のUKのさり気ないスタイルを意識して〈Dr.マーチン〉を履いてました。あとはフェスのときにもよく履いてましたね。
―タフですからね。
大村:そう。雨でも大丈夫だし、汚れても様になって、カッコイイっていうのが魅力的で。あとは、気分でシューレースを白や赤に替えて履けるのも楽しかったですね。

―ちなみに一番最初に履いた記憶って?
大村:高校生のときで、スチールトゥの3ホールを制服に履いて行ってたのが最初かな。当時モッズが流行ってて。その後、一時期ヒッピーライクな時代もあって、そのときはオレンジとか派手な8ホールも履いてましたね。
―その後、離れていたのは?
大村:スタイル的に変わっていったのが理由かな。スタイリストになろうと思って、いろいろなジャンルを勉強するうちに自分のスタイルにも変化が起きて。別に嫌いになったとかではなく、他のシューズを履く機会の方が多くなったかな。でも、ちょっと前にポストマンシューズに火がついたでしょ? あれが流行る前くらいに〈Dr.マーチン〉を履こうと思ったんだけど、あまりにブレイクしちゃったから。
―職業柄、ブレイクしすぎると二の足を踏んでしまいますよね。

大村:はい。でも、それで改めて見て、驚きましたね。アメリカントラディショナルの復権で、ルーツであるイギリスも見直されて、イギリスのメーカーも躍進して新たなチャレンジをしているのが新鮮かつ魅力的で。しかも低価格に設定されていて。
―この辺りは、2万5千円しないですからね。
大村:安いですよね。スニーカー感覚で履けるし、若いときなら完全に満たされますね。出来るなら、ウチのブランド〈The River〉でもコラボしてみたいくらいです。
―2012年春夏にこの辺を履くなら、どんなスタイルに合わせるのが気分ですか?
大村:暖かくなってきたら、短めのショーツとか、9分丈、8分丈くらいのパンツに合わせて履きたいかな。2011年秋冬ではロングウィングチップを作ったりしていて、まさにオンタイムで履いてるし、この流れは継続しそうですかね。
〈The River〉のスタイルでもトラディショナルとか、UKのクラシカルなスタイルが根底にあって、「ジェントルマン」なスタイルを提案して行くので、こういうシューズがしっくりきますね。

―ルックのスタイルに〈Dr.マーチン〉を合わせても、違和感なさそうですもんね。
大村:はい。もちろんソールとかに〈Dr.マーチン〉らしさは漂ってるんですが、普通に履いてたら「どこの靴?」って聞かれそうなオーセンティックさ加減も絶妙ですし。
―いかにもじゃない面白さ、自分らしく履きこなす楽しさがありますよね。
大村:そう。20歳そこそこで何でも受け入れられていた時代を卒業して、知識や経験を積み重ねたことで〈Dr.マーチン〉というブランドを意識し過ぎてたきらいはあるけど、このくらいイイ意味でイメージが崩されていたら、楽しんで履けますね。
―やっぱり「その靴、どこの?」って聞かれる楽しさに惹かれてしまうんですね。
大村:仕事柄もあると思うけど、「〈Dr.マーチン〉だよ」「おぉー」みたいな会話はワクワクしますよね。

[左から]
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カウレザーのタッセルローファー。¥23,940
(ドクターマーチン・エアウエア ジャパン 03-5822-6810)
http://www.dr-martens.co.jp/
http://firstandforever.drmartens.co.uk/jp/
Tetsuya Omura
大村鉄也
渡辺龍美氏に師事し、2001年独立。雑誌や広告・アーティストを手掛けるスタイリストとして活動する傍ら、2011年春夏より〈The River〉のクリエイティブディレクターに。1975年生まれ。