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Interview with Yasumasa Yonehara 米原康正が語る、日本と中国。そしてラコステ。

2013.12.26

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2008年の北京オリンピックに続いて2010年には上海万博が催され、その勢いに呼応するように経済的にも急成長を遂げた中国。そんな中国に2000年代中頃から足繁く通い、今ではVIP待遇を受けるほどのステータスを築いている写真家/編集者の米原康正。日本の面白い部分を世界にプレゼンテーションし続けてきた彼は、なぜ中国に求められているのか。米原氏もDJとして招待された北京で行われた〈ラコステ〉の80周年記念パーティの模様とともに、日本の現実と中国の真実を浮き彫りにしていきます。

Photo_Miri Matsufuji
Edit_Hiroshi Yamamoto

僕の写真は裸である必然性が無いんですよ。

-まずは米原さんが中国に頻繁に足を運ぶようになったキッカケを教えていただけますか?

米原: 日本にちゃんとしたジャーナリズムが無かったから、というのがそもそものキッカケです。どういうわけか日本では、日本独自のカルチャーを認めようとしない風潮があるじゃないですか。だったら僕がそのカルチャーを海外にプレゼンテーションしていこうじゃないかと。そういったなかで世界、特にアジアをターゲットに見据えて、『egg』や『アウフォト』、『smart girls』を立ち上げたんです。

-そういった試みが徐々にアジア圏で日本文化として評価されてきたわけですね。

米原: 日本ではただのギャル好きのオジサンに思われてしまったんですけどね(笑)。アジア圏を意識した時点で、僕は女性の裸を撮るのを辞めているんですよ。アジアでは宗教、思想上の問題で裸が受け入れられないことが多いですから。裸というだけで市場に出回らない可能性もある。

-裸の有無によって何か変化はあったのでしょうか?

米原: 個人的には無いですよ。というのも、僕の写真はヌードグラビアではなくドキュメント。そもそも裸である必然性が無かったんです。むしろ線引きしたことで、やるべきことがハッキリした。そういった流れのなかで僕は、2006年にほしのあきちゃんとスニーカーを絡めた写真集を出したんです。ちょうどその頃から、日本の文化は猛烈な勢いで東アジア全土に広がり、飲み込まれていくんです。

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-米原さんが中国へ頻繁に足を運ぶようになったのはいつ頃からですか?

米原: 2008年ですね。ランボルギーニが上海に進出する際のランチパーティのゲストとして招かれたのが最初。万博前だったので、とにかくあらゆる場所で工事が行われていて、驚くようなスピードで街が変わっていた時期。そのときに女性のゲストも頼まれて、連れて行ったのが蒼井そらちゃんだったんです。

-彼女は今や中国では大スターなんですよね?

米原: ハンパじゃないですよ。その訪中がキッカケで中国版のツイッター「ウェイボー」を始めて、1年後くらいに再会したらフォロワーが40万人くらいだったかな。それで僕もウェイボーを始めてみたんです。

-今現在、蒼井そらさんが1400万人、米原さんが190万人のフォロワーがいます。正直、想像を絶する数字です。中国においてSNSはどういった役割を担っているのでしょう。

米原: 1つのメディア、コミュニケーションツールとして成立しています。日本以上にネットワーク環境が整っているし、利用者の発信性も高いのでスターが生まれやすい。ウェイボーのフォロワー数が、ステータスの証になる。僕なんか、道端を歩いているだけで「きゃー!」と言われますからね(笑)。内陸部に足を運べば、周りをSPが取り囲んでいますし。正直に言って、未だにテレビが影響力を誇示している日本は、アジアのなかでもダントツのネット後進国なんですよ。

次のページでは中国経済のダイナミズムについて語ります。

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