似合う男でいられるように一生追いかけ続けていく服。
ー雑誌に載っていたアメリカは、一部を切り取りエディットされていた幻想であったわけですね。ところで鹿の子素材にこだわる理由は?
松浦: 初期体験が自分の中で印象深く残っているんでしょうね。最初に手に入れたポロシャツが鹿の子で、肌に心地良くてすごく感動したっていう。夏でも涼しいですし、洗えば洗うほどこなれて、目が詰まって肌触りも良くなる。先ほどの〈ヘインズ〉のTシャツや〈リーバイス〉のジーンズと一緒で、そこがすごく好きなんです。天竺素材のポロシャツもありますが、あれはカットソーっぽくてちょっと勝手が違うんですよね。
ー天竺素材はボディラインを拾いやすいこともあって、大人が着るとどうしてもオジさんっぽくなりがちですし。
松浦: それに、ちょっとゴルフっぽいイメージもありますよね。そういう意味では、ポロシャツはカジュアルでモノとしても素敵なんですが、一方で着こなすのが難しいアイテムではあると思います。
ー素材以外で弥太郎さんがこだわる部分を教えてください。
松浦: 肌触りも当然ながら、やっぱり着たときの襟の形はすごく重要な気がします。ボタンダウン・シャツなんかもそうですけど、TPOに合わせて第一ボタンを開け・閉めした際に、襟がしっかりと収まるっていうのは意識したいポイントです。
ーTPOの話でいうと、どんな場面のどんな着こなしにもっともマッチすると思いますか?
松浦: これも「ポパイ」なんですが、海をバックに撮られたルーズフィットの短パン&ジャストサイズのポロシャツ姿のサーファーの写真がすごく印象に残っていて、いまでもそれがポロシャツの一番格好いい着こなしだと思っています。
ーそれは日本人の方ですか?
松浦: 「パイナップル ベティーズ」(かつて東京・目白と湘南・鵠沼にあった伝説的サーフショップ)のオーナーで、サーフィン黎明期からプロ・サーファーとして活躍していた大野薫さんという方です。日焼けした肌に引き締まった身体を包むグリーンのポロシャツ姿が本当に格好良かった。なのでポロシャツを格好良く着るためには、まず身体を鍛えなきゃいけない。ぼくも20歳くらいの頃は大野薫さんに近づけるように鍛えて、わざと小さめをピチピチに着ていたりしていました。
ーポロシャツを格好良く着こなす秘訣は鍛えられた肉体にあり、と。改めてお聞きしますが、ポロシャツのどういった点がご自身にとってのエッセンシャルなのでしょうか?
松浦: 定番というよりも、不思議とずっと手元に在って、当たり前のように自分の一部になっているモノ。〈アイゾッド〉の襟なんかは破けちゃっているけど、これを着ればいつでも中学生の時の自分に戻れる。そこが鹿の子のポロシャツをぼくの“エッセンシャルなモノ”として選んだ理由です。ただ…。
ーただ?
松浦: 女の子には本当にモテないですけどね(笑)。ぼくたちみたいな男が好きな服って基本、女の子にはモテない。女性はカジュアルな格好よりもきれいめでドレッシーな格好を好む傾向にあるんです。スーツやジャケットスタイルがいい例ですよね。
ージャケットの下にポロシャツを合わせれば、もしかしたら…。
松浦: あのね、ジャケットに鹿の子のポロシャツっていうのは、なかなか難しいんです。まず素材感が合わないし、そもそもスポーツとドレスではテイスト同士が喧嘩しちゃう。ただしモテはしないけれど、いいひとには見えるので、それはそれでいいのかな。あとひとつ気を付けたいのが、襟は立てない。あれはお金を持っているひとのスタイルなので。
ーなぜひとは、お金を持つとポロシャツの襟を立てるんでしょうか?
松浦: お金を持つとなぜかみんなヨットに乗るようになるんですよ。船の上ってすごく陽射しがキツイので、首の後ろが灼けないように襟を立てるというわけです。
ーだからポロシャツを着ているのも大人が多いんだなと納得しました。
松浦: 若い時分って、誰しもが自意識過剰じゃないですか。他人からどう見られるかっていうのが気になって仕方ない。それが年齢を重ねて40歳くらいになって自意識が薄れてくると、「自分が着たいものを着よう」っていう気持ちが強まって、ひとの目を気にせずに心地良く着られるようになってくるんですよ。それが似合っているかどうかは別として。
ー徐々に馴染んでくると。
松浦: そう。年齢とともに「自分の服よりも、仕事のことや家庭のことだったり、もっと考えなきゃいけないことが沢山あるだろ」みたいな感じになってきて、ジョブズがいつも同じ服を着ている気持ちが分かるようになってきた頃、自ずと似合うようになるんです。ポロシャツって、格好良く着こなせる自分、似合う男でいられるよう一生かけて追っかけ続けていく服だと思っていて。憧れの大野薫さんや荒牧太郎さんという理想像を目指して「いつかは!」とぼくも挑み続けていますし、だからこそ手元に残り続けている。ぼくにとってエッセンシャルであるということは、ずっと挑み続けているということと同義なのかもしれません。
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