“物語” を継承できるのが時計。
谷尻さんが所有する時計は、厳選されたわずか3本。そのうちの1本には、彼らしい情熱的なエピソードがあります。
「駆け出しの頃に無理して買った時計を、お金に困って手放したことがあったんです。でもずっと心残りで。結局、子供が生まれるタイミングで、当時より高値になっていたけれど買い戻しました。その時計は、いつか子供に譲るつもりです」
彼が数倍の対価を払って手にしたのは、物質としての時計ではありません。
「高いから買う、安いから買うということではなく、その “物語” にお金を払うことが一番大事なのかなと。特に時計は、“物語” を次世代へ引き継ぐものとして最適だと思うんです」
時刻を知るのであれば、スマホがあれば事足りる時代に、なぜ腕時計を着けるのか。そこには谷尻さんのファッションに対する深いこだわりが隠れています。
「靴やカバン、そして時計。そのひとのオリジナリティーや “目利き” のセンスが最も現れるのが、こうした細部だと思うんです。服がその日の気分で変わるとしても、時計はファッションを最後に仕上げる決定打になるものだと思います」
今回の撮影で着用したのは、〈オメガ〉の「シーマスター プラネットオーシャン」。ダイバーズウォッチの歴史にオマージュを捧げた最新モデルで、600メートル防水というプロ仕様のスペックを誇ります。
「サーフィンのときはウェットスーツと干渉しないように時計自体を着けないのですが、普段使いには最高の時計だと思います。オーバースペックだ、なんて言う話も聞きますが、好きならためらわずにガンガン使うのがぼくのスタイルです」
谷尻さんの時計選びの基準も、建築家の視点そのもの。重視するのは “デザイン” だと言いますが、それは時計単体のデザインに留まりません。
「自分の服、いる空間、乗るクルマ。それらを含めたトータルのスタイリングの一部として時計を選びます。例えば、服のトップスを選ぶ際に、パンツとの組み合わせを考えるひとが多いように、時計の隣には常にファッションや空間という要素がある。もの単体ではなく、その “もの周辺” とのバランスで選んでます。だから、時計を着けるときには、服やTPOごとに使い分けて…とか言いつつ、なんだかんだ同じものばかり着けちゃうんですけど(笑)」
ちなみに、若かりし頃にはじめて憧れた時計が〈オメガ〉の「スピードマスター」だったというのも、いまに繋がるエピソードです。その頃から一貫して黒の文字盤が好みとのこと。
「この『プラネットオーシャン』も、黒盤でサイズ感がいい。今日のような黒いラバーストラップならスポーティーに、ブレスレットタイプならフォーマルに。自分の “定番” になり得るオーソドックスな美しさがありますね」
インタビューの終盤、身の回りに置く “自然” について尋ねると、「石ですね」と意外な答えが返ってきました。
「旅先でいい形の石を見つけると持ち帰るんです。石って、世間的な価値はないようで、実はある。自分にとってのストーリーがあるかどうかが重要なんです」
自然が長い年月をかけて削り出した石の造形美。それは、建築家が一生をかけて追い求める理想の姿でもあります。
「自然の美しさが宿った建築に出会える機会は、そう多くありません。だからこそ、自分のつくったもので自分自身が感動したい。どうしたらそれができるのか、その答えをずっと探し続けている気がします」