ひとり息子の学(8)を持つ青木剛(池松壮亮)は、病気で妻を亡くし、疎遠になっていた兄(オダギリジョー)が住むソウルへ渡った。日本から逃げるように。
「韓国で仕事がある」と兄から告げられていた剛だったが、兄の生活はその日暮らしで貧しく、想像していたものとは違った。ほとんど韓国語も話せない中、怪しい化粧品の輸入販売を手伝う羽目に。
一方、ソウルでタレント活動を行っているが、市場のステージで誰も聞いていない歌を歌う仕事しかないチェ・ソル(チェ・ヒソ)は、所属事務所の社長と関係を持ちながら、自分の歌を歌えない環境やうまくいかない兄や妹との関係に心を悩ませていた。
しかし、その時彼らはまだ知らない。
事業に失敗した青木と兄、学たちと、資本主義社会に弾かれたソルと兄、妹たち── どん底に落ちた2つの家族が共に運命を歩んでいき、奇跡を目の当たりにすることを・・・。

国とか人種とか、そういう大きな壁を、個人と個人の小さくも強い関係性によって乗り越えてきた。
ー 石井監督の著作『映画演出・個人的研究課題』のなかで、かなり長い期間、厳しい過程を経て形になったと記載がありました。やっぱり撮影も大変だったのでしょうか?
オダギリ:僕は途中参加なんです。だから大変だった過程はあまり知らないんですよね。池松君は最初から石井監督と色んな時間を過ごしていたと思うんですけど。
池松:もうダメかな?みたいなところを、何回も乗り越えてきました。話せるレベルのものがあまりなく……申し訳ありません(笑)。
ー 何度もスケジュールが後ろ倒しになったそうですね。

池松:一度決まった韓国のクルーが日韓関係により参加できなくなったり、こちらが考えるこの映画の意義や面白さと韓国側が主張するものが噛み合わなかったり。言葉の壁や文化の違い、歴史やそれに伴う関係性について様々な問題が影響していたと思います。脚本や企画がフィックスできるまで、多くの時間がかかりました。「日本の家族と韓国の家族の交わりを描く」という最終形態になって、兄はオダギリさんしかいない、ダメもとでお願いしてみよう、と。すると、「やりまーす!」みたいな返事が来たそうで、一同湧きました(笑)。オダギリさんという天使が舞い降りたわけです(笑)
オダギリ:脚本がおもしろかったし、石井監督の映画は久しぶりだし、もともとこの企画の話は聞いていて、興味は持っていたんです。まさか声をかけてもらえるとは思っていなかったので、嬉しかったですね。
池松:オダギリさんの参加が決まってから、一気に動きがありました。その後もトラブルは何度も待ち受けていたんですが、そのトドメに超ド級の新型コロナウイルスがありました。そんな感じで、なかなかハードでした。
ー 池松さんは初期からずっと、監督と二人三脚で制作に携わってきたのでしょうか?
池松:制作というか、石井さんと早くからこの映画について対話してきましたし、状況を詳しく共有してくれて、僕の意見はお伝えしていた感じです。石井さんとこれまで沢山の作品と時間を共有してきたことありきの話ですが、何か特別なことをしたという認識はありません。今回の企画に関しては、韓国側のプロデューサーのパク・ジョンボムさんの存在が大きかったんです。石井さんとパクさんは6年前に出会って、ソウルメイトのように親交を深めていて。
僕は5年前に石井さんに紹介されて出会い、そこから親密になっていきました。パクさんが日本に来たり、僕らが韓国に行ったり、数年間の交流があったんです。だから、この映画の制作過程自体が、国とか人種とかコロナウイルスとか、そういう大きな壁を、個人と個人の小さくも強い結びつきによって乗り越えてきたというか。石井さんの人生におけるパクさんとの関係性が、映画に反映されている部分が多くあります。

なんかね、ケンカしちゃったりねえ(笑)
ー 大きな壁を、個人の連帯によって乗り越えていく。それは、映画の主題に通じるお話のように感じます。
池松:そうです。たまたま日本と韓国だっただけ、たまたま日本人と韓国人だっただけで、国家という大きな主語から始まった物語というわけではないんです。まずは石井さんとパクさんとが出会って、時間はかかるけれども心から共鳴した仲間だけが集まっていって形になっていったという感じです。 それがこの映画が、国と国との友好ムービーにとどまらない強さを獲得した由縁だと思っています。

オダギリ:一つの脚本を道標に、二つの国のスタッフ・キャストがもがきながらゴールを目指す過程で、むしろ日本の現場よりも強固な関係性が生まれたりするんですよね。同じゴールを違う国の人たちが同時に見据えて、共通の意識がどんどん濃密なものになっていったりして。それは国際的な作品に参加するからこそ感じられることで、今回もそういう瞬間がたくさんあったと思います。韓国のスタッフも石井監督のために120パーセントの力を注いでくれていたし、俳優もみんなモチベーションを高く保ちながら撮影に臨んでいました。
池松:国を跨いで映画を作るということには、良い面もその分、大変な面も多々あって。まず言葉も文化も違いますからね。人間として根本的に備えている感覚や欲求に変わりはないと思いますが、その表現方法が違ったり、何かに至るまでの経緯やスピード感が違ったり。物事の良し悪しの判断から、現場での進み方から、普段とは異なる部分がたくさんあります。

ー キャストやスタッフと深くかかわり合う瞬間はありましたか。
オダギリ:なんかね、ケンカしちゃったりねえ(笑)
池松:(笑)
ー え、ケンカ?
オダギリ:僕らではなくて、韓国の俳優さん同士が揉めてしまって。ケンカっていうとちょっと違うのかな。芝居についての意見の対立ですね。それを僕らふたりがそれぞれと話して、仲直りさせたりしました(笑)。日本だったら「そんなの勝手にやっとけよ!」って感じになると思うんですけど、国境を超えたチームだからこそ、一緒に話そうって、自然にそうなりましたね。
池松:僕にできる範囲のことはやりましたが、車移動のときに、オダギリさんが韓国家族の相談にのったりフォローする姿を見て、優しいなぁと思っていました。

オダギリ:池松くんなんて、夜中まで話し合いに付き合ってましたからね。僕はちょっとめんどくさくなって途中で帰っちゃったりしたけど(笑)
池松:そんな夜もありました(笑)