PROFILE
1993年、アメリカ生まれ。8歳まで北カリフォルニアのエルクバレーで育つ。2000年、家族と来日。その後、表現者の両親と世界各地を転々する生活を送る。18歳から服づくりの経験を積み、23歳で独立。自身のブランド〈アマチ〉をスタートした。21年、「愛知県美術館」で開催された「ジブリの大博覧会」における新展示の空間デザインを担当。
新たな拠点と、遠く離れた地の記憶。
東京からクルマで約3時間。そこは長野のなかでも自然豊かな場所として知られ、我々が訪れた10月末はちょうど紅葉が見ごろでした。〈アマチ〉のアトリエは森のなかにあり、鳥のさえずりが響きわたるほど辺りは静か。裏山に姿を現すのは、シカ、イノシシ、モモンガといった野生動物たちだといいます。
「朝か夕、裏山に行きます。日々のルーティンで、歩いていると頭のなかがすっと整理されます」
〈アマチ〉が県内からここにワークスペースを移したのは昨年6月。吉本はその理由に服づくりの変化を挙げました。
「それまで具体的なモチーフだったものが、最近、抽象的な概念に変わってきました。『Decomposition(分解)』という、この秋冬コレクションのテーマがそれを象徴しています。場所に強いこだわりがあるわけではないのですが、昔から身を置くところから影響を受けやすいので、自分の肌に合う環境を意識的に選ぶようにしています」
そもそも吉本が生まれたのは、アメリカ・北カリフォルニアの山間部、エルクバレー。社会インフラの無い極端なローカルエリアのため、ググってもその地の目ぼしい情報は得られません。
「もうそこには誰もいません。最後までいたのが自分たちでした。もともと日本人の陶芸家が作陶する場所を設けたのがはじまりで、徐々にいろいろなアーティストが集まって小さなコミュニティになったと聞いています。当時、日本のヒッピーカルチャーの中心にいた父がアレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダーらと繋がり、自分が生まれる前、拠点をそこに移しました」
電気もガスも水道もない場所で、吉本の両親は自ら家を建て、畑を耕し、服をつくり、ほぼ自給自足の生活を送っていたといいます。
「自分が生まれたのは病院ではなく家でした。いま考えると、よくあの場所で子育てしながら生活していたし、ある意味、それは自分のためでもあったと思います」
両親は天と地を繋ぐものという意味を込めて、彼に “天地” という名を授けました。
「この名前は自分が生まれる前、両親が活動していたアーティスト名でもあります。それをブランド名にするのは迷いませんでした。自然と人間の関係性というのは〈アマチ〉の大切なキーワード。名前が服を通して伝えたいことに繋がっています」
夜は星空を眺めながら外で寝るのが当たり前。昼間は石を拾い、ネックレスをつくったりして遊んでいたといいます。あらゆることが自然と地続きな環境で吉本は8年過ごしました。
「あの場所がルーツにあるのは確かで、いまもそこに幻想を抱いていると思います。ブランドをはじめる少し前、22歳の時かな。14年ぶりに帰ったら、家がそのまま残っていて、すごく不思議な感じでした。昔、母が使っていたバイオリンが転がっていたり。自分の記憶に迷い込んだような感覚でした」
幼少の記憶は吉本の人格形成に大きな影響を与え、それは服づくりで表現したいことにもリンクしたといいます。
「〈アマチ〉は自然を模すと思われることもありますが、それはすごく表面的な部分です。自然物には到底真似できない深さがあって、そこにどこまで服の存在感やファブリックで肉薄できるか。でも本当に伝えたいことはもっと奥深くにある精神的な部分です」
確かにファッションという媒介は着るひとのマインドを刺激することで、気分を高揚させる面もあります。さらに広い視点で見ると、ぼくらは服を社会に対する窓口にしているのかもしれません。
「着るひと本人が意識するかは別ですが、普段活動する場所から影響を受けるのと同じで、服にも無意識に影響を受けていると思います。入り口はこのかたちが好きとか、お洒落したいでもいい。影響を受けることで意識は変わり、それが社会の変化にも繋がって行くと思います。それがよい影響であるべきで、そういう服をつくりたい」
やろうとしていることは別に特殊なことではありません。現代ファッションという大きな枠組みのなかに〈アマチ〉が存在することを吉本は分かっています。
「シーズンごとに新作を発表するのもそうですが、ファッションの文脈を理解して自身の表現に対する批評性を持ち続けることは重要だと思っています。そこから外れることは簡単かもしれません。幼少の頃、アンダーグラウンドな活動をしているひとが身の回りには多かったので。でも、もっと広い視点で世界と接することでしか見えないものがきっとあるはず」
気づくと2017年にはじまったブランドは今年で9年目。コレクションは2024年秋冬で15シーズン目を迎えました。
「〈アマチ〉をはじめる時、拠点を東京から長野に移したのも、他からの影響を抑えて、まずは自分の核を固めるため。とにかく成功しなければならないという一心でやってきました。ただ、急いだ分、抜け落ちてしまったものもあるので、いまはもう一度自分が何をしたいのか土台を構築し直しているところです」
ひとは年を重ね、経験を積むと、問題を解くための方程式が自然と出来上がります。吉本もこれまでの蓄積である程度〈アマチ〉の正解のかたちが見えたと言います。
「まだ固まってはいけない年齢だと信頼しているひとによく言われます。8年やってきて、自分の服を着るひとの姿も分かり、デザインの落としどころが見えているのですが、それを一度捨てる必要があります」
スケールアップした先に見据えるのは、これまで止めてきた海外展開です。
「まだまだブランドの規模は小さいですが、時間を掛けながら販売する方々と密にコミュニケーションを深めたことで、日本で浸透している店や地域もあります。いま、丁寧に築いてきたこの流通の在り方を広げるタイミングに来ていると感じます。実際、SNSを通じて連絡をもらうのは海外のひとの方が多い。ベルギーと韓国、春からはアメリカでも展開がはじまります。〈アマチ〉が世界にどう受け入れられるのか自分でも楽しみです」