ファッション不毛のエリアに、15年前に誕生したNEPENTHES OSAKA。
古くから「商人の街」として栄えた大阪。その中心は今も昔も、南北を貫く御堂筋線沿いにある梅田や心斎橋、難波などです。
ここ、本町エリアはというと、かつては西船場と呼ばれ、東船場(大阪城近く)で財をなした人が別荘地として使用していた場所。商業とは無縁のエリアでした。

明治時代以降、この地区は大阪の近代化と共に変貌を遂げていきます。水運が発達し、倉庫や問屋が建ち並ぶビジネス街へと変化していったのです。
そこから高度経済成長期に再開発が進められ、1955年に整備されたのが本町エリアを代表する靭(うつぼ)公園です。もともとは軍用地だった場所を市民の憩いの場として再生させたこの公園は、バラ園を中心に四季折々の花が楽しめるスポット。現在では約100種、5,500株のバラが植えられ、春と秋には多くの市民や観光客が訪れるスポットになっています。


どれだけビジネス街として栄えて、観光する場所ができたとしても、ここはずっとファッションや文化とは縁遠い場所でした。そこに「ネペンテス 大阪」が誕生したのは、いまから15年前のこと。



ここからは、その15年の歩みをすべて見てきた「NEPENTHES OSAKA」のストアマネージャーである加藤洋平さんに、たどってきた道のりと、いかにして「NEPENTHES OSAKA」が大阪に根付いていったのかをうかがっていきます。