2020.8.07 UP
Text_Yuichiro Tsuji
Edit_Shun Koda
YouTubeのドキュメンタリーでも語られていましたがコムアイさんが屋久島に行ったのは、2017年の武道館のライブ後に「見られ方を気にしなくなった」というのが大きいようですね。
KOM 日々生きる中で自分の考えていることや興味あることって変わると思います。聴いている音楽もそうだし、問題意識もそう。武道館のような大きな舞台だと、公演の何ヶ月も前から準備するんですよ。だからその間にも私の中では変化があって。
その公演が終わることによって、変化に意識が向けられていますか?
KOM そうですね。公演に向けられていたエネルギーが一気に解放されて、それがすごく気持ちいい! もちろん大きな達成感も感じるし、一方ではすごいスピード感で自分が時代に追いついた感覚もあって。そのおかげで自分の転機が「今だ」って気づくことができるというか。
屋久島は生命力であったり、神秘的な力を強く感じる場所だと思います。実際に滞在してどんなことを感じましたか?
KOM ルーペで苔をずっと見ていると、森に見えてくるんです。航空写真で上空から森を眺めているような感覚。あとは貝殻も、コンクリートの街並みに見えてきて。それで東京に戻ると、街に植えられている街路樹とかが苔に見えてくるんです。街にあるコンクリートも、それまでは単なる無機質な物体だったのが、だんだんそういう感覚がなくなってきて、自然の一部だと感じるようになりました。人間がつくったから汚らわしいとか、ピュアではないっていう考えを捨てたかったんですけど、屋久島でその気持ちがすっきりしましたね。
自然の中に身を置くと五感が研ぎ澄まされるというような話をよく聞きますが、そうした感覚はありましたか?
KOM 真っ暗闇の森の中に入っていったのが楽しかったですね。光るキノコがあるということで見にいったんです。最初はなにも見えないんですけど、だんだん目が慣れてきて薄っすらと木の表面とか、キノコとか葉っぱを認識しはじめて。そうしたものがだんだん顔に見えてくることがありました。自然のランダムな模様の中に目と口を見つけちゃうというか。何も見えないから、脳がフル回転していろんなものに当てはめようとしている感じ。
まるでほろ酔いのような?
KOM まさにそんな感じで、すごい大忙しなんですよ(笑)。暗闇っておもしろいなと思いましたね。むかしの人はそうやっていろんな伝説だったり、昔話を思いついたのかなって。
ラジオではアンビエントミュージックやフィールドレコーディングなどの音楽を聴くようになったと話されていましたが、屋久島での経験はそこにリンクしますか?
KOM そうですね。屋久島にいた頃はフィールドレコーディングの音楽をよく聴いていました。アイヌの伝承歌や、雲南省の歌とか、どこかの誰かが何気なく歌っているのをそのまま録音した音源で。具体的には安東ウメ子さんも聴いていたし、ロベルト・ムッシっていうイタリアのフィールドレコーディングが素晴らしいコンポーザーの音源も聴いていましたね。
聴いていて感じたことはありますか?
KOM こんなに素晴らしい歌を唄っている瞬間に立ち合ってしまったから、録っちゃおう! みたいな(笑)、そういう生々しさみたいなものですかね。『YAKUSHIMA TREASURE』も、そうやって歌のはじまりみたいなことを表現したかったのかもしれません。
昨年おこなわれた「リキッドルーム」でのライブは、屋久島でフィールドレコーディングした音や、アンビエント、ノイズといったサウンドが散りばめられている一方で、その中でいま仰ったような“歌が生まれる瞬間”を垣間見れるパフォーマンスでしたね。
KOM アンビエントでもノイズでもなんでもいいんですよね。どんな音量にも人間の耳が慣れてしまうので、全体の流れのなかで、エネルギーがマキシマムになるところ、ミニマムになるところを設定して、抑揚があるようにしました。飽和して爆発してダムが決壊するようなイメージのあとに、シーンとした静寂が気持ちいい。何もなくなってしまった、という状況で、か細く歌が生まれてくるような情景をイメージしていました。
お客さんとしても試される感覚のあるライブだったと思うんですが、その辺りはどう考えながらパフォーマンスしていたんですか?
KOM 「もう振り切っちゃおう」って(笑)。こっちが不安だとお客さんにもそれが伝わるし、怖かったけど、きちんと自分たちの意思表示をすることを大切にしました。そうすることでお客さんとしても、私たちの覚悟を知ったうえで「これは好き」「ここはちょっとわかんないな」とか、判断できると思うんです。中途半端に遠慮してたらきっと、わけがわからなくなってたと思いますね。
単なる音楽のライブというよりは、インスタレーションというか、総合芸術のような感覚もありましたよね。視覚の部分でも楽しめたというか。
KOM 華道家の上野雄次さんに協力してもらいました。ずっと一緒になにかをつくりたいと思っていた方で、私と(オオル)タイチさんが唄ったり音を出しているのと同じように、その場でフィジカルにビジュアルをつくってもらうのがおもしろいと思って。それもライブだし、生きている様を見せられたと思いますね。
動画だと伝わりづらいですが、恐らくその場にいると、土や苔の香りも感じられそうですよね。
KOM それは会った人みんなに言われましたね。土っていろんな有機物の集合体だから、一言で言い表せない香りがするんですよね。木も、花の香りとはちがうし、すごく抽象的。そうした香りが開演前から会場に満ちていて、都会の真ん中にいるはずなのに、そこだけ空気がちがうんです。ライブ前の緊張感ももちろんあるんですけど、丹田で呼吸ができるというか、落ち着きも感じるというか。変なこわばりがなかったですね。だからすごくいい状態でライブができました。香りってすごく重要ですよね。
いまは熊野の自然崇拝に興味があり、それに関するプロジェクトを進行しているとラジオで話されていました。“自然を崇拝する”ということは、自然はあっち側にあって、人間の世界とは相入れないという意識があるということ。コムアイさんは、そうした人間の意識に興味があるのでしょうか?
KOM 屋久島の場合は『屋久の日月節』のMVでも描いているんですけど、人間は自然の一部で、そこに身を任せることの気持ち良さを表現しています。でも、ヒトは自問自答したり、決断をして未来を変えたりする生き物で、自然と人間が分離したときに、母体である自然とどう繋がりをもつか模索している姿が熊野にはあると思うんです。そこに興味があります。
そうした人間の歩んだ歴史や民俗学的なことを伝承したいという気持ちがどこかにあるのでしょうか?
KOM そうですね。音楽でも、絵でも、ゼロから何かを生んでいる人はいないし、いろんな影響の中でインスピレーションが生まれていると思います。ある意味ではそれも伝承だと私は感じていて、そのなかでも、古典のまま姿を残しているものの中に身を置きたいという気持ちが生まれてきました。文化の雫が落ちてきて、それを誰かに伝えたい。それが幸せなんですよね。
ちょっと無理やりかもしれませんが(笑)、お酒を飲むという行為も、過去から伝承されてきたおこないのひとつであるように思います。
KOM そうそう! 祭祀の場面では、お酒がすごく重要な役割を持っていることが多いんですよ。神さまへの捧げものとしてお酒を供物にするとか。それってつまり、人間がお酒のおいしさや効力を知っていて「これを捧げたら神さまもよろこぶんじゃないか」って考えたっていうことですよね。
ちなみに、コムアイさんはどんな時に飲むお酒が好きですか?
KOM ん~、リラックスした気分の時ですかね。あとは好きな音楽を聴きながら飲むお酒が好きです。
リラックスすることで、無垢な状態になるというか、無防備になるというか。
KOM うん、そうだと思います。だから音楽がよりピュアに届くのかもしれない。なにか表現を楽しむときって、体がこわばっているとそれを上手に受け取れなくなるんですよね。だから無防備でいたい。無防備でいられるって超幸せですね(笑)。
それでは恒例の質問です。ジョニーウォーカーのボトルにも前を向いて歩いている人が描かれていて、それは人から支えられて常に前進するという意味を持ったコンセプト“Keep Walking”が表現されています。コムアイさんは、“自分の可能性を広げていく”ためにやっていきたいことはありますか?
KOM 自分の欲望を観察することですね。欲望って悪いことと捉える人もいるかもしれないですが、そう決めつけてしまうと自分自身を育てていく上でいい教育ではないと思うんです。“こうなりたい”という理想像があって、自分自身を自分の子供と思って教育するとしたら、欲望を封じ込めるのは正解じゃなさそう。欲望にもレベルがあって、すぐに飽きてしまうものだったり、もっと心の深いところから湧いているものもある。私は歌っているときにそれを感じやすくて、自分の言葉を歌に乗せていると、大量のシラブル(音節)が呼吸と共鳴し合って、頭がボーっとした状態になるんです。それはもしかしたら瞑想に近い状態なのかもしれないですけど、自分の気持ちがいまどんな方向に向かっているのか、それを知ることが大切なんじゃないかと思います。
Text_Yuichiro Tsuji
Edit_Shun Koda