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柳宗理と沖縄の民芸品と。

青野:それで、まずは北欧のもの扱うようになって。あとは今のフェニカって沖縄のものが欠かせない要素の一つになってると思うんですが。

北村:そうですね。インテリアのセクションを立ち上げるのであれば、日本のものを絶対入れておきたいっていうのがあって。で、ある時気づいたんですが、外国のデザイン本には、絶対バタフライスツールが出てくるんです。でも、自分たちは分からない、知らない。英語で見ると「Sori yanagi Director of Japan Folk Crafts Museum」って書いてあって。日本民芸博物館ってなんだろうって。そういう民芸館の存在すら93年頃は知らないので。日本に帰ってきてる時に周りの人に聞いても、やっぱり知ってる人はいない。仕方がないから104に電話したんです。

一同:(笑)

北村:で、日本民芸館までたどり着いて、柳宗理さんがデザインされたバタフライスツールというイスに興味があるんですけどと言ったら、柳事務所の四谷の電話番号を教えてくださって。

青野:ああ、じゃあ104からスタートしたんですね(笑)。

北村:その当時柳先生がおいくつだろう、70代後半だったと思う。でも、四谷の事務所に毎日通勤されていて。色々お話伺ったりしているうちに、自分たちも民芸館に通うようになりましたね。で、どんどん面白くなってきて、自分たちでも色々買ってたりしたんですが、その中でも気づいたら沖縄のものが増えていて。ただ、飛行機嫌いが災いして、沖縄のものが欲しくても沖縄に行けない。だから日本中廻って、各地の地方の民芸店行くと、そこで沖縄のもの買ってました。九州でも、鳥取でも。

青野:沖縄で買わないで。

北村:そう、それがもう三年くらい続いていて、家中沖縄のものだらけになっちゃったのね。で、97年の秋に民芸館展っていうのがあって。そこで素晴らしい作品を沢山目にしてしまって、「こんなに素晴らしいもの作ってる人たちが沖縄にはまだいっぱいいるんだから、行ってこなきゃだめだ。飛行機嫌いなんて言ってる場合じゃないって」柳先生に言われて。それから通い始めたんですが、一回行ったらあっという間に虜になって。沖縄って人の繋がりが強いんで、一人仲良しになるとそこからどんどん広がっていって、それで今に至る感じですね。

エリス:当時は沖縄行くんならハワイ行っちゃおうとか、グアム行っちゃおうっていう感じの時代だったので。やっぱり、沖縄自体にも観光客がとても少なかったですね。

北村:うん、そうだったね。

エリス:当時の主流って、イタリアンデザインとか80年代に流行ったものがまだずーっと続いていたので。モダンリビングで扱おうとしていたものとか、柳宗理デザインのものっていうのは、そういうトレンドの外側にあったものなんですよね。

青野:確かにそうでしたね。

エリス:沖縄に初めて行った97年っていうのは、中目黒周辺にデザインものを扱うお店が多く出てきたんです。そうなるとやっぱりスタイルみたいのができるじゃないですか。結果、そういうミッドセンチュリースタイルのお店のストックがどこもけっこう似通ってきちゃってましたね。

北村:そんな中、自分たちは沖縄の器や、九州の器なんかを使って生活しているのが楽しかったんで。だったらこれからはデザインとクラフトのミックスで紹介したいよねっていう、それが最初のスタート地点でしたね。中目黒のお店で事足りちゃうって思われないように、来てもらえる理由みたいなものを作っていかないと、とは思ってましたね。

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エリス氏、お気に入りの器を見つけてにっこりご満悦です。永く愛用したくなる風合いと温もりが、沖縄の器には感じられます。まずは入門編としてどうですか?


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沖縄の伝統的な金細工(かんぜーく)〈またよし〉です。ネックレスの先に付けるチャームの様々な形状は、沖縄の文化や風土、祀り事を表していてそれぞれ意味があります。


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こちらは非常に人気の高い「琉球張子」。ポップな色、柄がとてもキュートです。干支モチーフのものなどはすごく人気で、すぐになくなってしまったそうです。


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琉球王朝文化の繁栄とともに開花した、伝統工芸の一つである「琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)」の型を使った〈ヨーカン(YOKANG)〉のワンピース。中国、ジャワ、京都など、多様な文化が合わさったダイナミックな逸品です。

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