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草彅洋平(東京ピストル)株式会社東京ピストル代表取締役1976年東京生まれ。あらゆるネタに対応、きわめて高い打率で人の会話に出塁することからついたあだ名は「トークのイチロー」。インテリア会社である株式会社イデー退社後、2006年株式会社東京ピストルを設立。ブランディングからプロモーション、紙からWEB媒体まで幅広く手がけるクリエイティブカンパニーの代表として、広告から書籍まで幅広く企画立案等を手がける次世代型編集者として活躍中。www.tokyopistol.com/

トークのイチロー就活日誌

草彅洋平(東京ピストル)
株式会社東京ピストル代表取締役
1976年東京生まれ。あらゆるネタに対応、きわめて高い打率で人の会話に出塁することからついたあだ名は「トークのイチロー」。インテリア会社である株式会社イデー退社後、2006年株式会社東京ピストルを設立。ブランディングからプロモーション、紙からWEB媒体まで幅広く手がけるクリエイティブカンパニーの代表として、広告から書籍まで幅広く企画立案等を手がける次世代型編集者として活躍中。
www.tokyopistol.com/

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『To magazine』を買え!

2013.02.19

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よく人に相談されると「何か作るといいですよ」と答えている。
逆に言えば「作らないからダメなんですよ」という意味なのだが、そこに気付く頭の鋭い相談者はほとんどいない。
みな自分の夢でいっぱいいっぱいなのだが、不思議なことに実際に手を動かす気配はないのが相談者の典型である。

「編集者になりたい」
「映画監督になりたい」
「カフェをやりたい」

「やればいいじゃん」と素直に思う。
手を動かしてすぐに作り始めればいいのだ。でも決して彼らはやらない。
「やれるよ」
そう僕が後押ししても誰もが「無理無理! 無理ですよ〜!!」と苦笑いして謙遜してしまう。
ちょっぴり言われて嬉しい反面急に自信をなくしてしまうのだ。それはリスク、すなわち資金面だったりノウハウだったり人脈だったりが、途端にその人を縛ってしまうのだろう。その様子を見るたびに「あ、こいつはダメだなあ」と突き放してしまう。きっと一生やれないだろうと失礼ながら思ってしまうのだ。やりたいと思う気持ちは今その瞬間しか存在しないのに、それを獲得できないなんて大きなミスをしている。そんな人にものを作ることはできないのだ。
例えばお金なんかプロミスが親切に貸してくれる。
ノウハウはやれば覚えるだろう。
人脈も人に熱心に頼めば快く応えてくれる人がほとんどなはず。
やろうと思えば今日からだって始められるのに関わらずやらないとは何故だろう? そのうえ口では「やりたい」と言っているのだから意味不明だ。彼らはビビってるのでも慎重なのでもない。
僕はこうした人は本当のところ「怠惰」なんだろうと思っている。
命を賭けるほどの情熱がないのだ。人生の一番真剣勝負のところで怠けているのである。だから夢を語りつつ、どこか他人のことを話しているようで、一向に切羽詰まったマジメさがない。そうして「若いうちに何かをする」というビッグディールを仕損じてしまう訳だ。

さて、1年ほど前からとある22歳の青年の悩みを聞いてきた。
webマガジンで働く青年は「雑誌を作りたい」と相談してきたので、僕も誠意を込めて「若いうちに一冊自分でお金を集めて出して、自分の雑誌を作るといいよ。そうすると自分の力量とビジョンが見えてきてオトクだよ。エッジの効いた雑誌ならその若さで只者ではないという話になって何倍にもなって帰ってくるよ。何より若い子が雑誌を新しく始めたというだけで僕ら世代の大人はキミが思っている以上にバックアップしてくれるはずだよ」などなど答えてきた。
そいつは酒乱で二三杯入ると「クサナギはよ〜、何飲むんだよ〜!!」などと合コンに関わらず上から目線。
また僕の担当編集者に関わらずのタメ語など、ほとばしる若さを感じさせる危ない部分もあったが、一般の若い奴と同じでなかなか良い奴だったので頻繁によく飲んだ。

「やっぱりさ、東京がいまツマラナイんだよね。だからさ、東京をメインにした雑誌を作るといいと思うんだ。例えば23区切りにしてね......」
「ZINなんていくら作ってもクソ! 意味ないよ。作るなら同人誌か雑誌なんだ。でもハイレベルな奴じゃないと駄目だね」
「やろうと思っている奴と実際にやっている奴の差はドラえもんの声優が大山のぶ代と今の声優ほど違う」
「webマガジン辞めて作ればいいんだよ! いつやるか? 今でしょ」

ある日僕がいつものように東進ハイスクールの林先生のモノマネで上記のような話を連発していると、数カ月後彼は「前に話してくれた奴作りますね」と会社をあっさり辞めてセコセコ編集にのめり込み出した。
僕はビックリしつつも、デザイナー(バンド「快速東京」のギターで元東京ピストル・一ノ瀬くん)を紹介してあげたりバックアップをしつつ、本当に形になるのかしらと訝しんだ。やろうと思っている奴と実際にやっている奴の差は、小学生の頃『ジャンプ』のマンガのゲーム販売を期待する気持ちと実際にゲーム化されたゲームがクソで衝撃を受けるほど違うのだから(まあこの表現はどうでもいいが)、どうなることかわからない...。
だが、結果彼は成し遂げたのだ。

彼とは川田洋平で、このwebマガジン「フイナム」の僕の担当編集者だった人物だ。
発売された雑誌の名前は「TO magazine」。
ついに彼はやろうと思っている奴と実際にやっている奴の一線を超えたのだ!!

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川田くんはしばらくこの雑誌を売ったお金で次の号まで生活し、特集する町に滞在して移り住んでいくのだという。
残り22区。
新電波少年みたいな雑誌だが、体を張ったワイルドな編集は新しいし面白いアイデアだと思う。
第一号は「足立区」。雑誌の中身はすべて川田くんクルーの企画である。

若い編集やデザイナーは川田くんの周りに集まるといいだろう。
オッサンとこれからものを作りたい諸君は支援し買ってあげるべきだ。


もう一度言おう。
悩んでいる人は何か作るといいですよ。

「編集者になりたい」
「映画監督になりたい」
「カフェをやりたい」

いつやるか?
今でしょ!


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