下積み時代を過ごした人情の街。
ビルが立ち並ぶ都会にも、公園や道端に咲く花木など、いたるところに自然があります。そんな小さな自然を大事にし、都市に溶け込むアウトドアウェアをつくる〈ザ・ノース・フェイス パープルレーベル〉。
なかでも、ブランド誕生から続く定番アイテムとして知られるのが、マウンテンパーカです。普段はリサイクルポリエステルとオーガニックコットンを65対35で混紡した生地「65/35ベイヘッドクロス」を採用していますが、今回はリサイクルナイロンタフタのキルティングという変わり種。中わたには軽くて保温性に優れるPRIMALOFT® Black Insulationが採用され、しかも撥水加工付き。本がすっぽりおさまる、4つの大ぶりのポケットも備えていて、散歩するときでもかばんいらずです。
このブランドの顔とも言える服を又吉直樹さんがまとい、かつて住まい、いまも月一ペースで通うという高円寺へ。〈ザ・ノース・フェイス パープルレーベル〉が大事にする“都会ならではの自然を記録する”というキーワードにちなんで、又吉さんに街とそこにある風景を写真に記録してもらいました。
ー高円寺は、上京されてすぐに住んだんですか?
又吉: 上京してまずは三鷹で、その次に住んだ街が高円寺でした。大阪におるときから服が好きやったから、雑誌でよく見てて。なんとなく憧れがあった町やったんですよね。最初は、シャワーだけついてるようなアパートで家賃五万円くらい。そこが取り壊しになるから立ち退きになって、その次は風呂なし、トイレ共同で家賃が三万円。トイレ掃除するなら二万五千円でいいって言われて「やります」と答えたものの、ほとんどやらなかったですね(笑)。ぼくは真ん中の部屋で、光が一切入らない六畳、エアコンもなしでした。
ーテレビに出られる前のお話ですね。
又吉: 全然前です。近くの公園でサッカーの試合があって、後輩がぼくのアパートまで迎えに来たら、引いてました。「ここに住んでるんですか?」って(笑)。
ー高円寺にはどれぐらい住まれたんですか?
又吉: 二箇所で合計5年くらいかな。
ー今日はカメラをお渡しして、そんな思い出の高円寺を撮ってもらいました。
又吉: 今日行った公園は散歩したり、サッカーの練習したり、一人でネタを考えたりしてました。久しぶりに行ったらめっちゃ綺麗ないい公園になってて。昔はもっとじめっとして暗くて、古い、なんか怖い公園だったんですよ。なんかテンション下がるというか(笑)。そんときの自分のテンションが低かっただけかもしれないですけどね。
ー高円寺は、苦しい時代の象徴みたいな街なんですか?
又吉: そうかも……でも楽しかったです。若くしてやりたいことが見つからないやつでも浮かないような街だったし、「それでいいんじゃない?」って空気があって居心地が良かった。それに、五万円の家賃を払えはするけど、ぼくはそれを二万五千円にして、残りの二万五千円は本やCD、古着とか好きなものに使って楽しく暮らしてました。それが、その後の仕事の肥やしになったところもあります。
ー思い出に残っている人はいますか?
又吉: 上の階に住んでいた中国人の女性。彼氏と喧嘩して「誰も私の気持ちわかってくれない」って泣くんですが、その人が毎朝早くに起きて会社に行ってるのをぼくは知ってたから、「俺はわかってるで、頑張ってますよね」って(笑)。その喧嘩がヒートアップしてくると、天井をコンコンと叩くと上で「ほら〜」とか言って静かになる。
ーいいお話ですね。高円寺時代のエピソードが小説に活きることもありますか?
又吉: 『劇場』という小説で描いた女性のパンクロッカーはほぼ実話ですね。すでに『火花』や『劇場』で高円寺っぽいことは書いてしまったけど、いつか高円寺を舞台にした小説を書きたいんですよね。タイトルももう決まってて、『高円寺ばか踊り』にしようかなと。
高円寺の阿波踊りって、商店街にまだ闇市の名残があったころ、徳島出身の人がラジカセであの音楽を流したのが始まりで。そこにお客さんがめっちゃ来て、他の店が真似したんです。ほんならいろんな店で阿波踊りの音楽がかかってるっていう状況になって、みんなでやろうかって。でも、流石に阿波踊りは名乗られへんから、ばか踊りって名前でやっているうちに公認になったっていう。そんな話を高円寺の一番古そうなバーのママに昔教えてもらいました。
ー話は変わりますが、今日着ていただいた〈ザ・ノース・フェイス パープルレーベル〉のマウテンパーカについても教えてください。実際羽織ってみて、どうですか?
又吉: めちゃめちゃ軽くて着やすかったです。フードにツバがついてるのもいいなって。前もって天気予報とか調べないタイプなので、雨が降ったらずぶ濡れになるんですよ。だから、撥水加工はうれしいですね。
ー又吉さんは古着好きを公言されてますよね。
又吉: アウトドアブランドの古着は、高校生のときから買ってよう着てますよ。若い頃は「重かろうが暑かろうが、かっこよければいい」と思っていたし、雑誌で「我慢して着るのがファッションや」なんて言ってたけど、いまはそんなことないですね(笑)。軽ければ軽い方がいい。ただ、「衣類とファッションは違う」と以前言われて、なるほどなと。ぼくは軽さや機能だけの衣類側にはいけなくて、やっぱりシルエットやかっこよさはやっぱり必要なんです。
ーこのマウテンパーカは、形としてはクラシックですよね。
又吉: これはシルエットもいいし、いろんな格好に合いそうやなと。あとは、手ぶらで散歩するのが好きなんで、ポケットの大きい服というのはありがたいです。たぶん、単行本も入るんじゃないかな。
ー散歩がお好きなのは、考えるのがお好きだからですか?
又吉: 昔からの習慣ですね。子供の頃、散歩してる大人にすごい憧れがあって。ぼく、人生初の一人散歩とか覚えてるんすよ。おばあちゃんの家から「散歩行ってくるわ」って出たけど、小さかったから怖くて15メートルくらい歩いたところで時間を潰して、「行ってきたで」って。中学になるとアメ村や京都の古着屋まで行ってました。
ー最近の活動についても、教えてください。
又吉: (絵本作家の)ヨシタケシンスケさんと『本でした』(ポプラ社)という本を一緒に出しましたね。あとは最近、榎本健一を描いた舞台の脚本も担当したり、2026年頭に本を出す予定があったり。物語を書きたいとか、お笑いライブやりたいという情熱はすごいあるんですよね。
ーその欲求はずっと強いんですね。
又吉: それ以外やりたいことないですからね。あと、本屋さんをやりたいなと思ってて。本屋さんで勉強がてら働かせてもらうことがあります。レジにいるときの顔が怖いですとか、コンビニじゃないんで「いらっしゃいませ」って言わないでくださいって注意されたり。ブックカバーをつけるのも時間がかかるんですけど、その緊張感とか自分の至らなさを感じるのが、しんどいけど、気持ちいい。ぼくらの仕事は、苦手なことはやらずに、好きなことだけやる仕事じゃないですか。事務仕事は会社に任せて、小説はみんなが褒めてくれたりするから、勝手に成熟したと思ってたけど、やっぱり他のひとよりも全然なんもできひん。ほんまどうしようもないなって。本屋の仕事をやってると、創作活動という仕事があってよかったなって思える。自分の好きなことがなかったら生きられへんかったなって気付けるんです。
又吉直樹が撮る街と自然。
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