Vintage Buyers File 01_Yasutaka Saisu(ARMS CLOTHING STORE)
古着好きからこぞってその名前を耳にするユーズドショップ「アームズ クロージング ストア」。2000年代から新たな古着激戦区となった祐天寺において、2012年オープンと比較的に後発ながらも、若い世代をはじめ、熟練のヴィンテージフリークからも高い支持を集める同店オーナーにしてバイヤーも務める斎須さんを直撃しました。
買い付けルートを決めない、ユルめのスタンスでバイイングに繰り出す。
「ヴォイス」という名門卒ながら「もともとアメカジには全く興味がなかった」という斎須さん。ファッションへの目覚めはモードや欧州のデイリークロージング、初めて買ったヴィンテージ古着もまた英国〈バブアー〉社製の「インターナショナル」だったとか。
「僕らが高校生のころ、雑誌といえば『メンズノンノ』でした。ちょうどモード全盛期というか。そういった影響もあって、あのころは服だけでなく、アメリカ自体に全く興味を持てなかったんですね。でも、ファッションに携わる仕事がしたいと思い、さらに老舗と言われている店なら勉強できるんじゃないかと、2004年に「ヴォイス 」に入ったんですが、当初は(リーバイスの)「501」と「505」と「517」の違いさえわからないような状態で(笑)。とはいえ、老舗に属す限りは結果も出さないといけないと思い、徐々にながらもいろいろ覚えていきました」
名門に入店しておよそ2年後、21歳にしてアメリカ買い付けへの同行を許されたという異例の経歴もさることながら、彼のバイタリティと好奇心は常人のそれをはるかに上回る。ロス滞在時には地元の強面メキシカンたちと交流を深め、ファッションのみならずアメリカ土着のユースカルチャーをも急速に吸収していったといいます。
「古着を扱いながらもまだドメスティックブランドには興味があって。でも、そういったブランドがサンプリングしている言わば元ネタが総じてアメリカ古着だったことに気づきはじめて以来、その奥深さにハマっていきました。特にミリタリーは年代や型番など明確な決まりがあるので、何も知らない自分でも勉強させすれば体得できると。その後仕入れに行くようになってからは、興味にもさらに拍車が掛かり、王道のデニムやワークなども覚えていきました。ただ、買い付けでは通常なら日本人が絶対に行かないようなゲットーにも通っていたので、向こうのギャングと知り合ったり、悪いメキシカンなんかと出会ううちに、次第にスタイルも彼らに引っ張られるようになっていきましたね(笑)」
そう語るように、「アームズ クロージング ストア」には、いわゆるお宝級のスペシャルヴィンテージとまるで等価値かのように、’80~’90年代にかけてのアメリカンアパレルが並べられています。戦前のミリタリーから〈ポロ ラルフローレン〉や〈ダブルアールエル〉の近年もの、あるいはハンバーガーチェーン「In-N-Out」のオフィシャルアパレルまで。それはすべて彼ならではの経験に根ざした選球眼に依るものであり、ヴィンテージ古着を紋切り型で楽しむ往年のベテランファンには、いささか受け入れ難い感覚なのかもしれません。
「何より自分は飽きっぽいんですよ(笑)。もちろんヴィンテージも大好きですし、できることなら充実させたいと思ってはいるんですが、感覚的にいま面白いと思うものを優先しているだけの話で。同業者のなかには買い付けルートが決まっている方も少なくないと思うのですが、自分は“買い付けルートを決めない”と決めていて。行ったことがない名所があれば観光がてら覗いてみるのも勉強になると考えていますし、その道すがらに出会ったものを買い付ける、そんなユルめのスタンスなんです。ですから、王道のヴィンテージクロージングだけを見たいのであれば、ほかのお店の方がいいかもしれません(笑)。従業員たちの感覚も大切にしながら、僕らは僕らなりのスタンスでやっていきたいと考えています」
そんな「ユルめのスタンス」こそが、新世代たる所以なのかもしれません。ファッションは10年周期と言われて久しいのは、「10年ごとにカウンターが生じ、前世代の常識を覆す次世代が新たな時代を動かすからだ」と、かつて誰かに聞いたことを思い出しました。そんな象徴が斎須さんであると括るつもりはさらさらないものの、凝り固まった価値観を一旦ユルめる感覚こそが、彼ならでは、あるいは彼ら世代ならではのスタイルなのでしょう。
「自分はただの“買い物好き”ですよ。子供のころからとにかく買い物が好きで、欲しいものをただただ買い続けた結果がいまのバイヤーという仕事に繋がり、買うという行為を通して知識を獲得してきたと思うので。とはいえ、いまの古着業界に新しい 何かを提案したいとか、そんな大それた思いはぼく自身にはない。ただ一方で、お店としてはそうあるべきだとも考えています。若い世代にとって、彼らが知らない古いものであれば、それは’90sでもれっきとしたヴィンテージなワケですから」
Vintage Buyers File 02_Yuki Akamibne(OKINAWAN PICKERS)
自身のショップを持つことなく、卸しと予約制のショールーム、セレクトショップなどでのポップアップショップのみというスタイルを貫きながら、数多くのヒットを飛ばしているバイヤーがいる、そんな古着好きからの情報を頼りに、「オキナワンピッカーズ」こと赤嶺さんの知る人ぞ知るヒミツの部屋にお邪魔しました。
ミリタリーは自分が最も得意とするカテゴリーにして、強い相棒。
「オキナワンピッカーズ」の屋号でも知られる赤嶺さんは、沖縄県出身の30歳。高校時代に基地周辺の米軍払い下げ品を中心に古着を買い漁り、特にUSミリタリーにかけては強いこだわりがあるという。
「20歳ぐらいからアパレル業界に関わってきたのですが、そのころは新品だけを扱っていて。ただ、もともと沖縄出身ですし、僕が学生のころには、まだ米軍払い下げ品を扱う店もかなりの数あって、その時分のぼくにとっては古着の方が価格的にも取っつきやすかったんですね。なかでも「L2-B」が5000円で出てきたりと、ミリタリー系がとにかく安くて。ようは古着の入り口自体がUSミリタリーだったんです」
赤嶺さんはあえて自身の店舗を持たず、卸しと完全予約制のショールームを構えるスタイルながら、その確かな選球眼で独立後わずか数年でヒットアイテムを連発。テストサンプル段階でドロップしてしまった通称“Tパターン”と呼ばれる市街地用デジタル迷彩をブレイクさせたのも、じつは赤嶺さんだったと言われています。
「ぼくのなかでは30歳を区切りとして、独立というひとつの目標がありました。とはいえ、独立して何ができるとか考えたら、古着ぐらいしか勝負できる強みがなかったんです(笑)。古着は新品と違い、年代やディテールの変遷など、確定要素が多いじゃないですか。言い換えるなら理論武装しやすいカテゴリーなんです。とはいえ諸先輩方と同じ土俵でピックしても敵わないのは当然ですし、何よりそれ自体が 行儀の悪い行為だと思うので、ぼくならではの視点で新しいアイテムをピックするよう心掛けた結果のひとつが、“Tパターン”だったんだと思います」
ヴィンテージ=出自の見える古着、そんな古着好きには当たり前過ぎるロジックが一切通用しない世代との交流もまた、赤嶺さんにとってはバイイングを続けるひとつの原動力になっているという。
「単なるデザインのひとつとして認知し、スペックやウンチクが通用しない世代。彼らにとっては’40年代のものであろうと、いわゆるレギュラーと呼ばれる’90年代のものであろうと、大差がないことを年を重ねるごとに痛感しています。ですから、もちろんヴィンテージやミリタリーはぼくにとって大切な要素であることは変わりないのですが、より俯瞰から市場全体を見る必要があるといまは考えています」
さらに古着という媒介を通しながら、古参のマニアから新参までもフォローするには「提案性」が不可欠であると赤嶺さんは続ける。
「もう諸先輩方が全て堀り尽くしてしまっていますから、王道のヴィンテージで焼き直しではなく、新たな提案をすることは、無理とは言わないまでもかなり難しいことだと思うのです。ただ一方で、提案性はこの商売をするにあたって不可欠であるとも考えているので、そのさじ加減が難しい。そんな中にあってミリタリーは1つのモデルを数多く集めることが可能ですし、提案しやすいカテゴリーでもあると。自分が最も得意とするカテゴリーにして、強い相棒みたいな感覚で向き合っていますね。お客さんの声はもちろん大切ですが、自分が好きなもので勝負しないと僕自身が面白くないですから」
いくらミリタリーという強みがあるとはいえ、誰よりも早くまだ見ぬレアモデルに出会えるとは限らない。さらに長らく業界に身を置いていたにしても、独立後すぐに自分だけのルートやディーラーを見つけることが至難の業であることは想像に難くない。だが、赤嶺さんは誰に弟子入りするでもなく、言わば丸腰でこの世界に飛び込んだ。
「やっぱり若かったたんだといまにして思います。当時乗っていたハーレーをはじめ、ロレックスや私物のヴィンテージ古着などお金になりそうなものは全部手放して、リスクを背負うかたちでこの世界に飛び込み、一応は食べていけるようになったのは、運が良かったとしか言いようがないですね(笑)。知識や経験ももちろんですが、バイイングに関しても何より運がものを言うとぼくは考えています。出るときは出る、出ないときは全く出てこない。結局は運なんですよ(笑)」
いま現在は西部や東部などエリアを限定することなく、アメリカ全土を年の3分の1ほどかけて丁寧に掘り下げる赤嶺さん。今後は「より視野を広げるべく、ヨーロッパ買い付けにもトライしたい」と語ってくれました。