家の中を見回してみるとものが多い。あふれている。これはべつにうちに限った話ではない。家庭によってはテレビが複数台あったり、ラジオが何台もあったりするのは当たり前。スニーカーや靴は収納場所の許容量を超えて溢れているし、服もクロゼットにぎちぎちにかかっている。机の上や本棚もまるでカオス。いつか捨てよう整理しようと思ってもそれはいつも先送りにされ、年末の大掃除を生き抜いたそれらは次の年末が来るまで相変わらずひっそりとそこに鎮座したままである。
買って帰ったらひとつ処分する。これがなかなかできないのだ。
そう、新しく買うものってすでに持っているものの上乗せという場合が多い。
昔あるコンサルの人に「豊かさ」って何かと問われて答えられなかったことがある。ものに不自由しないってことかと思ったら、彼の定義ではものを複数持って、選択しながら使えることだという。
靴で例えると通勤する靴、運動する靴、お出かけに使う靴などを持つことが豊かということらしい。なるほどと思ったもんだ。
そういう意味ではいまの日本人は豊かすぎる。
同じジャンル、カテゴリーの製品は家にダブってゴロゴロ転がっている。
現代日本人にはやはり「捨てる技術」というものが必要なのかもしれない。そういうコンサルの人もいそうである。すでに同名の書籍はベストセラーだ。
そういうわけで、ちょっとやそっとのことでは我々消費者の財布のヒモは緩まない。もちろんぼく自身もそうだ。よほどのことがないと買い物をしようという気にならない。
いや、このトロリーケースを見るまでは。
この欄は主に小牟田フイナムWEB編集長から振られたブツを真ん中において、落語で言うところのお題話のようなコラムを書こうというつもりなので、あまりものを褒めるというのはこの欄の求めるところではないのだが、これはちょっと久々に心を打った。
家には30年くらい前に買ったリモアが複数、アンディアモ、パタゴニアなどのトロリーケースが様々なサイズである。ここ近年はこのパタゴニアが活躍していて、ほかはほとんど使ってない。つまりここでもものはダブって処分を待っているのである。
なのにやられてしまった。
実は昨年の今頃の展示会で発表されたときからいいなと思っていた。プレスプレゼンテーションが終わった会場でも、ひときわ人の輪ができていたのがこのトロリー。
正直、いらない。パタゴニアあるもん。でもやっぱり買うかな。そうなるとパタゴニア処分しなくちゃならないけど、こんな使い込んだものメルカリでも売れなそうだから捨てることになるのか。そうなるとちょっと考えもんだな、などと迷ってる。
迷う理由が金額なら買え、買う理由が値段なら買うな、なんて箴言もあるようだが、迷う理由も買う理由もそれじゃない場合どうすりゃいいんだ?
でも、ちょっと様子見で。
下手すると最近の海外出張は大判のリュックで行くことも多いしね。