本間章郎氏 /「INSTANT」代表
東京都世田谷区出身。80年代に若者を中心に巻き起こった第二次スケートボードブームと共にスケートボードを開始。その後1995年、浦安に「インスタント スケートボードショップ」を設立。1996年から全日本スケートボード協会の競技委員としてコンテストMCも担当。翌年には、ストリートファッション月刊誌「WARP magazine」誌上にて6年間スケートボードハウツーを連載。2011年、吉祥寺に「インスタント スケートボードショップ」2号店をオープン。2015年には千葉と3号店、お台場に4号店をそれぞれオープンさせる。
instants.co.jp/
Instagram:@instant_skateboard_shop
小島秀彌氏 /「FABRIC」オーナー
東京都中央区生まれ。スケート歴30年以上のキャリアを持ち、2005年に自身がオーナーを務めるスケートショップ「FABRIC」を地元でもある横浜にオープン。”スケーターのスケーターによるスケーターのためのスケートショップ”をモットーにローカルから愛されるショップの在り方を日々追求。また特定非営利活動法人横浜スケートボード協会の代表も務める。
www.fabric045.com
Instagram:fabric045
萩原明則氏 /「FAT BROS」代表
2019年に25周年を迎えるローカルスケートショップ「FAT BROS」の代表。中野を拠点にスケートカルチャーの魅力を発信し続け、子供達を対象に無料で不定期開催している「中野区スケートボード教室」やHeavy Sick ZEROにて毎月第一木曜日に開催している「Midnight Express」など、地域に根ざしたスケートボードにまつわる活動も行なう。
fatbros.net/
Instagram:fatbros_hag
金井信太郎氏 /「Prime Skateboard」代表
代官山の老舗スケートボード店で店長として勤務した後、2015年に東京・神田に高感度のスケート&セレクトショップ「Prime Skateboard」をスタートさせる。画期的なネットオーダー・システム『BUILDER』を採用するなど新時代のスケートショップとして注目を浴びる。また今年、ショップのオリジナルとなるアパレルブランド〈clumsy. Pictures〉を始動。
prime-skateboard.com/
Instagram:prime_tokyo
左から「FAT BROS」の萩原さん、「INSTANT」の本間さん、小澤さん、平野さん、「FABRIC」の小島さん。
平野太呂(以下、平野) 今日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。今回から正式にスタートするスケートカルチャーを基軸にした、この講義イベントなんですが、突発的に開催することになったわけではなく、実は色々なきっかけが重なって実現することになったんですよね。そのひとつとして挙げられるのは、やっぱり2020年の東京オリンピック。スケーター界隈ではすでに賛否両論が巻き起こっていたり、なにかと話題になっているんですけど。その中で僕らにできることってなんだろうって考えたときに、ただ誰が金メダルを獲ったとか、日本のスケーターがどんな活躍をしたかということに注目するだけじゃなく、スケートボードのカルチャーがどんなものなのかってことを少しでもこの企画に携わる人たちで補い、穴埋めをするような役割が担えたらいいなと思い、始まりました。その1回目のテーマにスケートショップを選んだのは、やっぱりスケートカルチャーと切っても切れない存在というか、改めてスケートショップって大切だなと感じたからなんですよね。最初に僕の話をさせてもらうと、中学生の頃に本格的にスケートボードを始めたんですが、やっぱりスケートショップに行くのがドキドキするんですよね。当時はスケートボードのカルチャーって知らない世界だったし、勝手なイメージもあってどこか怖い部分もあったんですが、お店に入った瞬間のかっこいいグラフィックが描かれたデッキがズラッと並んだ光景、そしてショップによって異なる独特な匂いがとてもワクワクさせてくれる。「STORMY ※1 」はガラムの匂いだったよね、確か。そんなおっかなびっくり通ったあの頃のスケートショップの話から最近のスケートショップ事情、通販では得られない魅力なんかを語れたらなと思っております。
※1 1977年創業のスケート&スノーボードショップ。80年代の東京スケートシーンを支え、現〈Hombre Nino〉デザイナーのYOPPI氏など錚々たる面子を揃え、90年代後半まで人気絶頂を誇る。また当時はタバコの銘柄であるガラムの香りが漂っていたことで、スケーター間でガラムが人気に。今なおあの香りを嗅ぐと「STORMY」を思い出す人も少なくはないはず。
小澤千一朗(以下、小澤) 僕も太呂くんと同じですね。
小澤 (笑)。普段「Sb」なんかでは個別にお話を聞く機会もあるんですけど、こうした機会をきっかけにみんなでお店の人たちの声を聞けるっていうのは貴重なんじゃないかな。僕自身も改めて勉強になることもあると思うし。ちなみに太呂が一番初めに行ったスケートショップってどこだったんだろう?
平野 僕の場合は、今も多分あると思うんですけど、幡ヶ谷にある「サーカス・サーカス ※2 」だね。そこはスケートショップじゃなく、BMXやミニ四駆が置いてあるお店だったんです。当時は映画「E.T. ※3 」の影響で周りの友達はみんな〈KUWAHARA〉に乗っていたんですよね。そしてそこになぜか〈POWELL PERALTA ※4 〉やゴンズのデッキ、スケートの雑誌なんかが置いてあったんです。それで試しに「THRASHER ※5 」を見ていたら巻末あたりにあった海外のスケートショップの広告ページが目にとまったんです。当時はまだそんなに数も多くないスケートデッキがずらっと店内に並んでいて、そのビジュアルがとても印象的で、かっこよかったんです。BMXのプロダクトにはそうしたグラフィックがなかったので、とにかくスケートデッキに描かれたグラフィックに惹かれてしまったんです。そのなかで〈VISION STREET WEAR ※6 〉のサイコスティックっていう、いかにも’80sなグラフィックが施されたギザギザなシェイプのデッキがあって。ただ「サーカス・サーカス」にはなかったので、都内のスケートショップを色々と調べてみたら、どうやら原宿の「STORMY」にあるみたいだと。そこで初めてスケートデッキを買ったんですよね。そこからはスケートにのめり込んでいって、下北沢の「VIOLENT GRIND ※7 」や上野の「MAX MOTION ※8 」を知るようになるんですね。特に「VIOLENT GRIND」は当時住んでいた家からも近くて、「THRASHER」が一番早く入荷していたので、よく通っていました。当時はスケーターのスタッフもみんな怖くてね、僕が〈POWELL PERALTA〉やランス・マウンテン ※9 の板を持って行ったりすると、「チェッ」って顔するんですよね(笑)。
※2 80年代から幡ヶ谷エリアに構える老舗サイクルショップ。当時はスケートグッズや雑誌なども少量ながら仕入れており、当時の平野氏を始め多くの少年たちをワクワクさせた、地域密着型のお店。
※3 スティーブン・スピルバーグの代表作でもある、1982年公開の国民的SFムービー。主人公のエリオットがフロントのカゴにE.T.を乗せ、月に向かって自転車を漕いで行くあまりに有名な映像。その自転車のモデルとなったのが当時爆発的な人気を博した〈KUWAHARA〉の「KZ-01」である。
※4 博士号を持つジョージ・パウエルとプロスケーターのステイシー・ペラルタによって1976年に結成されたスケートブランド。The Ripperと呼ばれる通称“ノゾキボーンズ”のグラフィックは、スケートアート界の巨匠であるヴァーノン・コートランド・ジョンソンによるもの。
※5 1981年にサンフランシスコで創刊した、泣く子も黙るアメリカを代表するスケートボード専門誌。スケーターならば、誰しもが憧れる。雑誌だけなくアパレルラインも人気。
※6 ノーハンドオーリーの生みの親としても知られるアラン・ゲルファンドが1976年に設立させたスケートブランド。
※7 1987年に下北沢に誕生した老舗スケートショップ。パンクロックとスケートをテーマに当時の不良的なスケーターの在り方を確立。実店舗なき今も人気は衰えることなく、昨年には設立30周年を祝したアニバーサーパーティを開催。ショップのグラフィックは鬼才・パスヘッドが手掛けたことでも知られる。
※8 日本初のプロスケーターとして著名なアキ秋山氏が1984年にオープンさせた上野のスケートショップ。当時、数少ない日本人スケーターを被写体に写したADビジュアルの制作やスケートコンテストの開催など、スケートショップとしてセンセーショナルな取り組みを数多く行った。
※9 現在はアーティストとしての活動でも有名な、かつてのカリスマスケートチーム「BONES BRIGADE」の看板ライダー。圧巻のプールライディングは多くのスケーターを魅了し、本企画ホストの平野氏にとっても唯一無二なスケートヒーローでもある。
平野 店長だったクロさんもそうだし、ライダースを着た当時のスタッフはみんなだね(笑)。
小澤 もしかしたらその「チェッ」ってやった中に後から登壇してくれる、当時大学生だった「INSTANT」の本間さんもいたかもね(笑)。
平野 当時はストリートカルチャーに精通した色んな濃いメンツがあのお店には入り浸っていたんだよね。こんなスカルだらけのおっかない場所に自分の子供が入り浸っているって聞いたら、今だったら注意するかもしれないですよね(笑)。でも当時は、そうした今まで出会うことのなかった先輩たちに囲まれながら、時にからかわれたりもしてね。なけなしのお小遣いを叩いて、ステッカーやピンバッチを買ったりしていたのは良い思い出ですね。年末には、今では考えられないような貴重なスケートのアイテムが当たるくじ引きができたりね。都会的なスケートカルチャーの側面を持った駄菓子屋のようなお店だったんですよね。あと僕のスケートショップの思い出として印象に残っているのは、中学二年生の時に初めてアメリカへ行った時。初めてのアメリカということで不安はありつつも、頭の中はスケートのことでいっぱいで、サクラメントという街にステイしていたんですけど、真っ先に現地のスケートショップを探して、たどり着いたのが「GO SKATE! ※10 」というお店だったんです。今だったら情報も溢れてて、海外のアイテムも通販などで簡単に手に入る時代ですけど、やっぱり実店舗に足を運ぶっていうのはワクワクするんですよね。単なるショッピングだけじゃない、そこのお店でしか感じられない雰囲気だったり、スタッフとの会話だったり。そういったものを得られるのはやっぱりお店なんですよね。
※10 80年代にカリフォルニア州・サクラメントに存在したローカルスケートショップ。平野氏にとって思い入れの深いお店のひとつ。
小澤 そう考えると僕はスケートボードを始めたいっていう友人を連れていくお店を選ぶ時なんかは、その人にあったお店を紹介することもあったね。スケートのことを全く知らない友人には、あえて親切な接客をしてくれるお店より、買ったデッキをお客さんに組ませることで興味を持たせるってやり方をしていた「TAZ TOKYO ※11 」だな、とか、あるいはしっかりとしたアドバイスが必要だなってやつには「INSTANT」の吉祥寺店を紹介してみたり。それぞれのスケートショップには個性や色があるから、自分にあったお店を探すっていうのも魅力のひとつなんだよね。
※11 東京は練馬区光が丘のスケートシーンを長らく牽引してきた、まさにおらが街のスケートショップ。現在はオンラインのみで運営。本企画ホストの小澤氏が一際厚い信頼を置くショップ。
平野 そうだね。それで今回お声掛けしたスケートショップは、すべて個人店にしているんだよね。それはオーナーというか店主の持つ個性がそのままショップにも反映されるから。ローカルに根付いたお店や「Supreme ※12 」のようにブティック化しているお店もあるし。昔に比べて随分と多様化しているなと思うんですよね。
※12 ストリートファッションにおける絶対的な地位を確立したブランド。昨年〈Louis Vuitton〉と世紀のコラボレーションが大きな話題に。ジェイソン・ディルを中心にNYのクールなユーススケーターたちを数多くライダーとしてサポート。今年ブランドとしては「cherry」以来となる映像作品を発表予定。
スクリーンに映し出されたのは、「SKATE SUPPLY」オーナーのInstagramからの一コマ
ビジネス街のど真ん中に僕らみたいなインディペンデントなスケートショップがあったら面白いかなと思って。(金井)
小澤 それこそこの間仕事で行ったポートランドでは、オリジナルデッキしか置かない! なんてお店もあったね。
平野 おー、それもまた面白いね。僕も最近行ったハワイで面白いスケートショップを見つけたんだよね。そこは「SKATE SUPPLY ※13 」という名前のお店で、実店舗を構えているわけではなく、バンで色んなパークやスポットに移動しながらやっているんですよね。
※13 ハワイにある様々なローカルスポットをバン一台で旅しながら巡り、その行く先々で移動型ショップを展開する異端なスケートショップ。今年、平野氏が仕事で訪れたハワイで出会った気になるお店。
平野 じゃあそろそろ各ショップのオーナーさんにも登壇してもらいましょうか。
(ここで「INSTANT」本間さん、「FATBROS」萩原さん、「FABRIC」小島さん、「prime skateboradshop」金井さんがご登壇)
平野 バラエティに富んだメンバーが揃ったんじゃないですかね。早速僕から質問なんですけど、まず本間さんがスケートショップを始めようと思ったきっかけはなんだったんですか?
本間章郎(以下、本間) 全部ここで話してしまうとかなり長くなってしまうので、少し端折ると、やるべくしてやることであったからっていうことですね。
本間 話すと本当に長くなっちゃうからさ(笑)。元々僕は大学を卒業してサラリーマンをやっていたんですけど、そんな会社員生活が嫌になってすぐに会社を辞めてしまうんですよね。その後、フラフラしながらかつてのスケーター仲間と出会って、彼の地元だった千葉県の浦安という田舎町というか当時は漁師町でよく遊ぶようになるんです。そんななにもない街だけど、いつか自分たちが好きなスケートのショップをやれたらいいね、と話しているうちに気がついたらその彼が相棒となってお店をやるようになっていたんですね。もう24年も前の出来事ですね。
平野 なるほど、そうだったんですね。ちょっとこんな感じでみなさんにもお話を聞いていきたいのですが、小島さんの場合はどうだったんですか?
小島秀彌(以下、小島) 僕も本間さん同様、スケートは元々好きだったのですが、全く関係のない建築系の会社に就職したんです。それで全国を飛び回るような仕事だったので、出向く先々にある地方のスケートショップなんかを見ているうちに、自分はやっぱりスケートが好きだし、いつかはスケートショップをやってみたいなって胸の内でずっと思っていたんですよね。それからしばらくしてそんな僕にも転機が訪れまして、地元にあるスケート関連の代理店に友人が就職したことをきっかけに色々と話を聞いたり、少し仕事を手伝ったりするようになるんです。それからその代理店が横浜にお店を出すという話になって、そこのスタッフに任命されたのが僕と現「5NUTS」のオーナーである中村久史 ※14 だったんです。そこで久史と一緒にお店を切り盛りしながら、色んなノウハウを学び、5年後、同じ横浜に「FABRIC」という念願だった自分のお店をオープンさせることになったんです。
※14 国内屈指のスポットシーカーとして知られるプロスケーター。彼が勤めるスケートショップの「5NUTS」は、「FABRIC」とも人気を二分する、横浜を代表するローカルスケートショップ。小島氏とは旧知の友人でもある。
平野 ありがとうございます。次は萩原さん、お願いできますか?
萩原明則(以下、萩原) そうですね、僕はお店をやる前にサンフランシスコやLAなんかによく行っていて、現地のお店を見ながら、こんな雰囲気のお店を日本でもやりたいなって思っていたんです。それで日本に帰ってきてから、たまたま知り合いが中野でお店を営んでいたので、そこを手伝うようになるんですが、しばらくして「萩ちゃんの好きなようにしていいよ」って言われて、だったらスケートショップをやろうって思い、「FAT BROS」を始めました。
萩原 1994年なので、25年近く前ですね。僕は元々浅草の方が地元なんですが、その頃はすっかり中野に馴染んでしまって、後々「FESN」などを主宰する森田 ※15 も入って、随分と賑やかになりました。その頃には今のようなお店のスタイルがほぼ確立されていましたね。
※15 日本スケートシーンを語る上では欠かせない稀代のプロスケーターにして、映像作家。「FAT BROS」ファミリーでありながら、昨年同じ中野エリアにクルーザーの専門店「FESN laboratory」をオープン。また今年は現代アーティストとしての活動も開始。
小澤 そしたらこの面子の中だと最若手になる金井さんはどうですか?
金井信太郎(以下、金井) 年齢は意外とおっさんなんですけどね(笑)。僕の場合は、皆さんとはまた違った経歴で、今までスケートボード業界以外で働いたことがないんですよね。前職が代官山に今もある「CALIFORNIA STREET ※16 」というお店だったんですけど、20歳から約10年くらい勤務していました。ここは他のお店と違って、あまりローカル感のないお店で初心者のお客さんが多かったんです。そうした傾向もあって全国に向けてWEBなどを強化しながら展開していたんですが、その方法であれば自分でもやれるなと思い立って、今のお店を作りました。前職のお店から引き継いでいる意志としては、スケートボードのアイテムを買いやすくすることがテーマということですかね。
※16 1988年の創業時から代官山を拠点に構える老舗スケートボードショップ。常時3000点以上のスケートアイテムが並び、東京のみならず日本各地にファンを持つ。
平野 お店の場所を神田に選んだ理由はなにかあるんですか?
金井 一番の理由は渋谷に疲れたということですね(笑)。それと僕が元々千代田区出身で、昔から東京駅だったり、有楽町だったり、大手町などでスケートをしていたので、そうした所縁もあって選びました。あとこっちの方って今までは大手のスケートショップとかスポーツショップしかなかったので、ビジネス街のど真ん中に僕らみたいなインディペンデントなスケートショップがあったら面白いかなと思って。日々チャレンジというか挑戦していますね。
右端でマイクを持つのは「prime skateborad」の金井さん
ショップだけあってもカルチャーは根付かない。(本間)
平野 うんうん。やっぱりスケートショップをやる上で街って大事なんですよね。原宿や代官山だとローカル感が出ないというのは、なんだか今日のキーワードになりそうですね。僕の中では大都会で始まったショップっていうよりも、おらが街のお店っていう方が響きもなんだかスケートショップっぽくていいんですよね。
小澤 そうなると、本間さんの場合はローカルショップをいくつも展開している認識なんですかね?
本間 そうですね。いずれのお店も必ずローカルのスポットとローカルライダーがセットになるようにお店作りをしています。ショップだけあってもそこにカルチャーは根付かないんです。スケートをする若者がいて、彼らがストリートなり、パークなりをローカルスポットにしていくことで、人が沢山集まるようになり、最終的にショップのお客さんとなっていくんです。それってスケートショップの理想的な形なんですよね。
平野 最近でもそうした昔ながらのスケートショップの風景は残っているんですか?
本間 昔はそれが広範囲だったのが、最近はいたるところで散見できますね。スケーターの人口が増える分、エリアがどんどん狭くなっていき、お店も必然的に増えていく。
本間 だから昔ってよくスケートショップってどこにあるんだろう? って探したじゃない? 今はもうどこかしらにあるんだよね。少なくとも東京なら。
平野 うまいスケーターも増えているから、それこそショップだけじゃなく、チームとかも増えていますもんね。
本間 そうそう。さっきの「VIOLENT GRIND」じゃないけど、パンクスタイルのお店だったり、HIPHOPスタイルのチームだったり、それぞれにスタイルがでてくるのも面白い。それは僕がやっている「INSTANT」も一緒。「INSTANT」が何店舗もあるのではなくて、それぞれが独立したローカルショップなんです。そうじゃないと、ただ物を売るだけのセレクトショップに成り下がってしまうんです。
平野 「INSTANT」が新しいお店を出すみたい、というニュースを聞くたびに「あ、そこに出すんだ」っていう驚きとワクワクが毎回あるんですよね。「FAT BROS」の場合は、萩原さんや森田を筆頭にして、中野のローカルスケーターが集まってくるわけですもんね。
萩原 まぁそうですね。やっぱりみんなサンプラザ ※17 とかで一緒に滑ってますからね。なんならスケーターだけじゃなくて、この前はサンプラザの警備員とも一緒に飲んだりしましたよ。
※17 ローカルであればご存知、中野を代表するスケートスポット。
萩原 お互い何十年も中野にいるからよく知っているんですよね。他にもスケーターがやっている「彦バル」って居酒屋があって、そこもお客は全員友達だったりするんですよね。中野はそんな感じでスケーター以外もみんなローカルの仲間として繋がっているんですよね。
平野 「PADDLERS COFFEE」の松島くん ※18 も中野が地元で、「FAT BROS」には引き込まれたって話してたね。
※18 幡ヶ谷と代々木上原の間にある西原商店街の外れに構える「PADDLERS COFFEE」の共同代表。中野区出身の自身も生粋のスケーター。行きつけは「FAT BROS」。
萩原 あぁ、まっちゃんね。引き込まれたっていうか自分で入ってきたんだけどね(笑)。
スケートカルチャー自体がスタイルウォーズなわけだからお店もやっぱりスタイルがないとね(小島)
平野 強烈な印象を放っていたんだろうね。それくらい街に名物となるお店があるって良いことですよね。素晴らしい。となると気になるのは神田だよね。金井さんどうですか?
金井 まぁ神田というか千代田区自体がそんなに人が住んでいないので、ローカルは徐々には増えていますけど、数的にはまだまだって感じですかね。あとは近辺の江東区、墨田区のスケーターなんかはよくお店にも来ますよ。
金井 そうですね。っていうのもあって今のお店もWEBを中心に日本各地に向けて展開していることもあって、ローカルショップとはまた違った見え方になるのかもしれませんね。とはいえ個性のあるショップにはしたいと思っていて、それが「prime skateborad」では、まずスタイリッシュさだったり、最新のWEBシステムの導入 ※19 だったりを追求していくことなのかなと。
※19 ユーザーファーストを掲げる同店の魅力でもある、WEB上でコンプリートデッキが組めてしまう画期的なシステム「Builder」。気になる方は一度HPよりお試しを。prime-skateboard.com/builder/
小澤 現代的な感じがするね、いいですね。小島さんなんかは真逆でしょ?(笑)。
小澤 やっぱり(笑)。なんだったらスタイリッシュどころか、お客さんに向かって「お前帰れよ!」って言ったことあるでしょ?(笑)。
小島 それは…ありますね(笑)。近くに某大手のスケートショップさんができたんで、「おまえはあっちに行った方がいいよ」って。
小澤 それは散々話した挙句に、「こいつ分かってないな」ってなって匙をなげる感じなの?
小島 それもありますし、会った瞬間に感じることもあります。〈NINJA〉ベアリング ※20 について延々と説明してあげたら、「ありがとうございます! それじゃ今から渋谷にあるお店で買ってきます」って。おまえは一体何しにきたんだよって!(笑)。そんなのが頻繁にあると、「おまえはあっちのお店に行った方がいいよ」ってなっちゃうんですよね。
小澤 なるほど、なるほど(笑)。ちなみに本間さんのお店は基本的には小島さんの「FABRIC」みたいに、みっちり接客していこうって感じなんですか?
※20 国内シェアNo.1、日本が世界に誇るベアリングブランド。ベアリングだけでも、デッキや自身のスタイルに合わせて豊富なラインナップが揃う。定番はコストパフォーマンスに優れる「ABEC7」シリーズ。
本間 うちの場合はWEBも力を入れているし、小島くんみたいに一人のお客さんと何時間も話し込んだりっていうのもあるんですよね。なのでどちらも分かりますね。ただ最終的にはやっぱりお客さんが選ぶわけなので、自分たちのスタイルを貫くことが大切かなと。沢山アイテムを揃えて、親切・丁寧な接客をするよ! ってお店もあれば俺についてこい! みたいなお店もあっていいわけですから。話しながら色々思い出してきますけどやっぱり最初のデッキ買う時とかってみんな誰でも緊張するし、不安もあるんですよね。だからこそどこのお店で買うかは重要。その後のスケートライフも大きく変わっていくからね。
小島そうなんですよね。スケートカルチャー自体がスタイルウォーズなわけだからお店もやっぱりスタイルがないとね。だから僕もお店をやるのってスケートをやっている延長なんですよ。
小澤 スタイルの出し方も大事だけど、そのお店でなにが一番売れているかっていうのもある意味そのお店の色だったりするよね。そういった意味で僕は各ショップで過去一番売れたデッキが知りたいな。
平野 パスヘッドによれば、「VIOLENT GRIND」のクロさんは〈ZORLAC ※21 〉のデッキを世界で一番売ったっていう逸話もあるからね。気になるね。
※21 1978年アメリカテキサスで誕生したハードコアマインドなスケートブランド。ブランドを象徴する様々なグラフィックを担当したのは、ご存知パスヘッド。
萩原 うちは完全に〈MAGENTA SKATEBOARDS ※22 〉だね。
※22 2010年にフランスで生まれたスケートブランド。設立者はソイ・パンディーとヴィヴィアン・フェイルの二人。パリのストリートを舞台にあくまでもオリジナルにこだわった独創的なスケートスタイルや圧倒的な映像クオリティが人気の秘訣。2012年には旧知の友である森田貴宏のゲストパートとボードをリリース。
萩原 〈MAGENTA SKATEBOARDS〉はジャパンツアーでアテンドをして以来、来日するたびに一緒に滑りに行ったり、遊びに行ったり、時には僕の家に泊まったり。ブランドとショップっていう垣根を越えて気の合うスケーター同士という感覚で良いお付き合いをさせてもらっていますね。
平野 普通はディストリュビューターが代理店の役割として海外から来たスケートチームやブランドのアテンドやら来日時のお世話をすることが多いんだけど、そうしたローカルショップを目指してやってくるっていうのも面白いですね。
小澤 中野ではフランスのデッキが一番売れているっていうのも面白いよね。
平野 「INSTANT」での売れ線デッキはなんなんでしょうか?
本間 今ずっと考えていたんですけど、ECや各店舗の数字が常に頭に入っているわけではないので、細かい部分はわからないんですけど、個人的な感覚としては「INSTANT」っていうショップネームが入ったショップボードって言われるやつですかね。
平野 プライベートブランドのショップボードが一番売れているなんて、いいことじゃないですか。
本間 ショップボードは基本的に海外で作っているんですけど、生産がいつも間に合わなくて、オーダーをもらってもなかなか出来上がらないデッキで有名なんです(笑)。
小澤 最近は〈CHOCOLATE ※23 〉とともコラボしてましたよね。
※23 〈GIRL〉の姉妹ブランドとして1994年にスタート。アートディレクターには“CHUNK”ロゴの生みの親、エバン・ヒーコックスが就任。看板ライダーはテクニカルなトリックに定評のある、日系スケーターのケニー・アンダーソン。
教室や塾とは言いながらテクニカルなことは教えない。(萩原)
平野 色々やってるんですね。「FABRIC」はどうですか?
小島 僕も色々考えていたんですけど、ブランドというよりもぶっちぎりに売れたのは、〈5BORO〉からリリースされた石沢彰のシグネチャーモデル ※24 ですね。これはイーサンを知っている横浜ローカルのスケーターはみんな買って行きましたね。
※24 2017年の9月に47歳の若さで永眠した横浜ローカルのプロスケーター。“イーサン”の愛称で多くのスケーターから愛され、サポートを受けていた〈5BORO〉からは追悼も込められたシグネイチャーデッキがリリース。
平野 ローカルヒーローですよね。やっぱり影響力が大きかったんですね。「prime skateborad」はどうですか?
金井 うちも「INSTANT」と一緒でショップボードですね。あと最近、動きが活発なのはマイキー・テイラーが手掛ける〈SOVRN ※25 〉。デザインがめちゃくちゃスタイリッシュで洗練されているんですよね。若い子にも人気ですね。
※25 元「ALIEN WORKSHOP」の看板ライダーであったマイキー・テイラーがLAでスタートさせたスケートカンパニー。他とは一線を画す無機質で清潔感溢れる世界観が人気。
小島 〈SOVRN〉って初めて聞きました。そんなブランドがあるんですね。
小島 うちじゃ売れないですよ! プラモ屋みたいな店なんで。
平野 昔ながらのスケートショップってことかな?(笑)。いいじゃないですか、そういったスタイルのお店もないとね。ちなみにみなさんはスケートショップとしての役割ってどう考えていらっしゃいますか?それこそこれからスケートを始めたいお客さんや若いスケーターに、スケートの魅力とか楽しさみたいなものを教えたりするんですか?
萩原 もちろんしますね。うちは小学生や小さい子供たちを対象にしたスケートボード教室を中野区の区役所前で定期的にやっていたり、あとは毎月第一木曜日に「Heavy Sick ZERO ※26 」というクラブに小さなスケートランプを設置して、スケボー塾を模したスケーターのためのイベントも開催しています。ただし、教室や塾とは言いながらテクニカルなことは教えない。あくまでもスタイルのあるスケーターになって欲しいなっていう願いを込めながら接していますね。
※26 2002年に誕生して以来、中野エリアのクラブシーンを牽引するミュージックラウンジ。これまでに様々な伝説的なライブが行われ、現在はオープン時から所縁の深い「FAT BROS」による毎月レギュラーとなる「Midnight Express」という名のスケートイベントが開催中。
平野 スケートショップってローカルスケーターを育てる場所にもなっているんですね。そういう役割もあるんだなって実感しましたね。小島さんのところもお子さんとか多そうですけど、どうですか?
小島 いなくはないんですけど、「おじちゃん、ELEMENTのデッキないの?」とか言われるので、「だったらあっちのお店に行きなよ、あっちなら売ってるよ」って言ってますね。
小島 っていうのは半分冗談で、子供とはいえお店に入った瞬間の空気感とか雰囲気でなんとなく分かるんですよね。この子はうちのお店をローカルにしてくれそうだなとか、いいスケーターになりそうだなとか。そういった目線で見てしまうことも多いので、自分が育てたいなって子に出会えたらがっつり教育しますね。
平野 小島さんらしいですね。本間さんのところはいかがですか?
本間 例えば「INSTANT」のお台場店なら家族連れが多いんですね。なので孫を連れたおじいちゃんなんて組み合わせも少なくなくて、お孫さんが安全に楽しくスケートができるように適切なアドバイスとアイテムを提供できるように心掛けてます。逆に吉祥寺店の場合は、ある程度自分たちの好みやスタイルが理解できている子達が集まってくるんです。だからアドバイスっていうよりは彼らの食指を動かすような情報を教えてあげたり、新製品を常にストックするようにしています。
平野 お台場では親世代に、吉祥寺でも子供に、っていう形で顧客層も変わるんですね、面白い。神田は子供がいなそうですよね。
金井 子供いなくはないんですけど、中年層がすごいですね。昼時だと来客する人はみんなスーツ着ていたり。とにかくサラリーマンが多いんですよ。
小澤 オーナーが自分なりの正解を持っていたら、それが自然とお店の色になっていくわけだもんね。
平野 最後に会場の皆さんから質問をもらおうかなと思ったんですけど、こういう時ってあるんだけどなかなか言いづらかったりするので、今回だけ僕の方で用意した質問を投げかけたいと思います。まぁ今回のこのイベントのテーマとも関連している、オリンピック競技種目にスケートボードが加わるというトピック。これをうけて各ショップはオリンピックに向けてどんな取り組みを行っていくのか。あるいはお店として今後どんな展望を持っているのかっていうところを聞いていけたらと。
本間 僕は日本スケートボード協会でのコンテンストのMCなどもしているので、もちろんオリンピックについての話はよく耳にするんですけど、賛否や良し悪しっていうのは全く考えていなくて。正直なところ日々、明日のことを考えながらスケートをしたり、ショップをやっているから、その姿勢は変わらないかなと。ただ大事なのは、僕らおじさん達はどんどん年を取っていくわけなんですけど、コアなスケーターの年齢ってずっと変わらないんですよ。いつだってスケートカルチャーはユース達のものなんですね。もしかしたら幅は広がっているのかもしれないけどね。そうした一番応援しなければいけないスケーター達と刻一刻と変わっていくスケートボードの環境の変化を睨みつつ、僕らができること、すべきことを考えていきたいですよね。
萩原 僕はローカルを大切にしたい主義なので、中野にパークを作りたいという夢があるので、いつかその夢を叶えたいですね。賛否両論あるオリンピックですけど、僕の場合は良い意味で利用するというか、オリンピックとともに中野のスケートシーンも盛り上げていきたいという想いが一番ですね。
小島 僕は、いちファンとしてオリンピックは観に行きたいですね。どんな光景なのか目撃したいじゃないですか。あとはオリンピックの影響で今いろんな場所で同時多発的にパークが作られているんですけど、それは全スケーターにとって良いことだなって思いますね。とはいえ盛り上がりすぎて、どこのパークもスケーターでいっぱいっていうのは滑れなくなるのでそれはそれでつらいんですけどね(笑)。
小澤 「FABRIC」の野望については話しておかなくて大丈夫ですか?
小島 まぁうちはネットとかは諦めているんで、コツコツ頑張りつつも、いつかパークは作ってみたいなって思いますね。そこから道場とか協会とかね。いろんなスケートボードに関連する活動に繋げていけるのかなって。
平野 道場、協会か。新しい発想でいいですね。金井さんはいかがですか?
金井 僕はオリンピックとは無縁なところにいるので、あまり意識はしていなんですけど、スケーターの人口やスケートカルチャーが様々なメディアで露出していくなかで、スケートボードの側面というか、スケート以外のカルチャーや魅力なんかを伝えていきたいなって思いますね。
平野 スケーターからすると、あんなに沢山のスケートボードに囲まれて働けるなんて羨ましい! って思えてしまうスケートショップ。ワクワクだったり、ちょっと怖い気持ちも抱いたりはするけど何歩か歩み寄ったり、色んなお店を見てみると、個性豊かなそれぞれに魅力のあるお店ばっかりだっていうことに気がつくんですよね。僕もその昔そうであったように、いつの時代も変わらず少年たちがドキドキ、ワクワクするような体験ができるスケートショップがずっとあり続けて欲しい。そんな想いに改めてさせてくれたイベントでした。ありがとうございました。
小澤 それぞれに色のあるスケートショップ、素敵だね。そして次回は9月13日(木)の20時から。場所は同じVACANTさんの1Fスペースで行います。それでは、皆さんまた会いましょう〜。
「prime skateborad」の出店ブース。壁にかかったTシャツはショップのオリジナルでもある話題の〈Clumsy〉の新作。
「FABRIC」の出店ブース。ずらりと並ぶデッキはオーナーの小島さんがハンドシェイプしたもの。右端のブルーのデッキは過去「FABRIC」で最も売れたという〈5BORO〉による石沢彰モデル。
右側に映るのが「INSTANT」の出店ブース。デッキやアパレル類のみならず、トラックやウィール、ビスなどのギア関係も充実。さすがの品揃え。
さらに当日はイベントの聴講生として参加していた、〈Wooden Toy〉の大場さんによる、デッキのカスタムサービスも。自らデッキテープを貼り、組み立ててくれるなんてまさに贅沢の極み。こうした偶然の産物もスケートイベントならでは!
そして我らが「HOUYHNHNM SKATEBOARD CLUB」のオリジナルグッズもイベント開催時限定で販売中。VACANT監修によるブートレグなデザインが目を引くラインナップ。気になる方はイベント開催時にお近くのスタッフまでお声掛けしてくださいね。
また当日はスケーターイベントのお供ともいえるフリービアとして、本国ではスケーターにもよく知られた存在であるシカゴを代表するクラフトビール、GOOSE ISLANDが振る舞われた! 味わいの異なる3種の銘柄がセットされ、来場者も普段あまり見ないクラフトビールに終始笑顔!