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ごちそうさまに生きる人びと。ザ・ブラインド・ドンキー ジェローム・ワーグ  シェ・パニース

ごちそうさまに生きる人びと。ザ・ブラインド・ドンキー ジェローム・ワーグ シェ・パニース

世界でも有数の食の国・日本を支えているのはどんな人たちか? おいしい食事はただ味わえればいいという考えもあるけれど、映画や音楽と同じく、その食事に込められた想いやつくるひとのストーリーを知ることは、その一品をより味わい深くしてくれる。二回目に登場するのは、原川慎一郎さんとともに神田の「ザ・ブラインド・ドンキー」で腕を振るうジェローム・ワーグさん。アリス・ウォータースのオーガニックレストラン「シェ・パニース」で長年ヘッドシェフを務めた後、日本に渡り原川さんとレストランを開きました。世界が注目するシェフでありながら、根っからのボヘミアン精神をもったジェロームさんの生き方は、ユニークそのもの。飄々としながら、真摯に自分と向き合うジェロームさんの働き方、考え方に触れることは、飲食業界問わず、自由な生き方のひとつのサンプルになるはず。

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ジェローム・ワーグ / 「ザ・ブラインド・ドンキー」シェフ

フランスのパリ出身。アメリカ、カリフォルニア州のバークレーにある、アリス・ウォータースのオーガニックレストラン「シェ・パニーズ」のヘッドシェフを長年にわたり務める。日本に渡り、2017年原川慎一郎さんとともにRichSoil & Co.を立ち上げ、神田でレストラン「ザ・ブラインド・ドンキー」をオープン。

バークレーが育むオーガニックレストラン。

アリス(・ウォータース)のお店「シェ・パニーズ」では25年ほどシェフをしていました。もともと私はフランス生まれで、高校でもう勉強はいいかなと、ドロップアウトして、インドへ1年間旅したりとかしました。それから、母とアリスが昔から友達という縁もあって、アリスのいるバークレーを訪れました。小さな食堂を切り盛りしていた母の影響で、料理をつくることは昔から好きでしたね。

当時も今もバークレーは、アリスという人間を形成している一部分だと言ってもいいくらい重要な場所ですが、非常にリベラルなところなんです。1960年代には、フリースピーチムーブメントが花開いたり、常に政治的意識が高いのに、オープンな雰囲気が漂っていて、ボヘミアンたちもいるような場所でした。アリスも体制側ではなく、常にオルタナティブなカルチャーのひとなんです。

フランスから移り住んで、すぐにバークレーが好きになりました。エネルギーにあふれ、自由な雰囲気で、住心地もよかった。結局、「シェ・パニース」では、最初の4年間は試用期間で、カフェで料理をつくっていました。アリスのお店は、2つ空間があって、カフェが上の階、レストランが下の階にあります。カフェの後には、下のレストランで働くようになりました。そちらは、もっとフォーマルで、メニューも毎日変わる。ルーティンではないので、より自由でクリエイティブな分だけ、一皿一皿に対して責任を持たなくてはなりません。でも、その自由と責任が私には性に合っていたし、好きだったんです。

パートタイムのヘッドシェフ!?

その後、しばらくフルタイムで働いていたんですが、料理以外のことを通じて自分をもっと磨きたい、アート活動をしたいと考えるようになりました。だから、今までと同じワークライフバランスでは無理だと考えて、レストランで週3日間だけ働くシフトに変えて、残りはアート活動をしたいんだとアリスに相談したら、OKしてくれました。アリスはそんなところも、自由で寛大なんです。

アートを本格的に勉強したことはなかったのですが、本をつくったり、絵を描いたり、物事をゆっくりと深く考えたりして日々過ごしました。アート用にアトリエを借りていましたが、当時は家賃も安かったから必要なお金もそんなに高くなかった。アート活動をしつつ、ここ20年くらいは、パートタイムでヘッドシェフをやっていたということになりますね(笑)、もうひとりのシェフと半年交代ではあるますけど。

お店を休んで、禅センターに。

アート活動以外にも、1999年から2年間ほど、お店を離れて、カリフォルニアの禅センターの修道院に入っていました。サンフランシスコから4時間くらいのところで、畑があって土をいじったり、野菜を育てたり。外の喧騒とは距離を置いて、考えを深めるにはいい環境でしたね。どうして入ろうかと思ったかと言えば、自分を自分でもう一度解体して、作り直したかったんです。私自身は、自分の送りたい人生をちゃんと選ぶことを大切にしています。ヒトというのは、親、学校、社会などさまざまなものから構成されていますよね? それは与えられるもので選ぶことはできない。だから、一旦リセットして、再構築するために禅センターに入ったというわけです。

最近は、カリフォルニアにテック産業とか、大きな資本が参入してきて、住みづらくなりました。カリフォルニアの家賃も数段高くなってきたし、原川さんとの縁もあって日本に来て、新しいことに挑戦することを選びました。フランスで母に連れられて日本映画を観に行ったり、日本の映画監督が好きだったりと、日本は小さい頃から気になる国だったんです。

「ブランド・ドンキー」では、旬な食材、自然に近い食材を使うことがコンセプトです。日本には『わら一本の革命』という名著がありますが、いまは経済優先で、化学肥料を使いすぎなんじゃないでしょうか。食というのは、人や自然とのつながりがあってこそのもの。この先もおいしいものを食べ続けられるように、一皿一皿を楽しんでもらいながら、そんなことを伝えられたらといいなと思います。

the Blind Donkey

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#ごちそうさまに生きる人
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