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FEATURE|ラコステはなぜ、唯一無二のポロシャツがつくれたのか。

LACOSTE in Troyes, FranceLACOSTE in Troyes, France

LACOSTE in Troyes, France

ラコステはなぜ、唯一無二のポロシャツがつくれたのか。

フランスを代表するテニスプレイヤーで発明家でもある、ルネ・ラコステが生んだポロシャツの代名詞的ブランド〈ラコステ(LACOSTE)〉。そのシャツはいまも創業の地、フランスのトロワでつくられています。実際のところを確かめるべく、燃料増税への抗議で紛糾し、パリのシャンゼリゼ通りでデモ隊と警察隊が衝突した翌日、取材班はシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちました。

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繊維の街、トロワ。

無数のマスターピースが誕生した服飾史にあって、太字で記載されるポロシャツ「L.12.12」。無味乾燥な数字の羅列に創業者、ルネ・ラコステの深い思いがあったのをご存じでしょうか。

〈ラコステ〉にとって “1” 番に大切なプチ・ピケ(鹿の子編み)、そして “2” 番目に大切な半袖のデザイン、これを完成させるために重ねた試作 “12” 回。そこに〈ラコステ〉の頭文字の “L”
を加えたのが「L.12.12」というわけです。

では、エンブレムにワニを採用した理由は? ご承知のとおり現役時代のプレイスタイルがワニのように一度食らいついたら離さないところに由来しているのですが、正確にはこうです。強豪、オーストラリアとの対戦を前にフランスチームのキャプテンがルネにいいました。「勝ったらワニ皮のスーツケースをくれてやろう」。残念ながらその一戦は負けてしまうのですが、事の顛末を知った新聞記者が「ご褒美のワニはもらい損ねたものの、ルネはワニさながら粘り強く戦った」と書きたてたのです。

ルネは四大大会で7度もの優勝を飾り、かつてフランスの四銃士のひとりに数えられたテニスプレイヤーでした(ちなみに全仏オープンの舞台、ローラン・ギャロスは四銃士がアメリカを破って優勝したのを記念して建てられたものです)。

そのような男がなぜ、アパレル業界に進出したのか。

ルネは25歳という若さで引退するのですが、原因は結核だったといわれています。その兆しは現役時代からあって、しょっちゅう風邪をひいていたそうです。ルネはそれをプレイするにはまったく適していない、汗をかけばまとわりつくように重くなる、分厚い長袖シャツのせいだと考えた。そうして引退から4年後の1933年、トロワを代表するニットウェアメーカーを経営していたアンドレ・ジリエとともに創業したのが〈ラコステ〉でした。

これまた有名な話ですが、ポロプレイヤーのウェアからインスパイアされたというそのポロシャツは創業以来、トロワ・メイドのレシピを守り続けています。

少々長くなりましたが、前置きはこれくらいにして、ルネ・ラコステの思いを継ぐ職人のものづくりをじっくりと紹介したいと思います。

斜陽する街でひとり気を吐くラコステ。

街並みが途切れると、車窓にはどんよりとした空とその空に溶け込んでしまいそうな褪せた草原が延々と映し出されました。パリから北東へ電車で1時間30分。降り立った駅はどこかうらさみしい印象がありました。歴史保存地区に指定されている中心部には、16世紀に建てられたカラフルな木骨組みの家が肩を寄せあうように佇んでいます。

「ストッキング、ソックス、アンダーガーメント…。かつてトロワは繊維の街として栄えました。きっかけは、イングランド王国のヘンリー二世。彼がトロワでつくられたストッキングを穿いて一気に広まったのです。1851年のロンドン万国博覧会、1867年のパリ万国博覧会ではともに金メダルを獲得しました。20世紀初頭には300を超えるニットウェア工場がしのぎを削っていました。当時はトロワに住む女性の四分の三がニット産業に従事していたといわれるほど。しかしいま、世界的に名の通ったブランドは〈ラコステ〉と子ども服の〈プチバトー〉くらいなものでしょう」(The Lacoste Conservatory館長)

ほとんどその体をなしていないトロワのニットウェア産業にあって、いまなお世界に冠たるポジションをキープする〈ラコステ〉のものづくりはなにが秀でているのでしょうか。

紡績からの一貫態勢。

「〈ラコステ〉のポロシャツは紡績から出荷まで、すべてをここで完結させています」

最初に訪れたニッティングのフロアは巨大なマシンがどこまでも連なっていて、距離感がわからなくなるほど広大でした。マシンの数はなんと80台にのぼるという。およそ100人の職人が二交代の24時間態勢で職務にあたっているそうです。

〈ラコステ〉が採用している原材料はスーピマ綿。35ミリ以上の繊維長を持つ綿をいうそのコットンはしなやかでシルクのような光沢があります。スーピマは “SUPERIOR PIMA” から採った造語で、文字通りコットンの王様です。アメリカの先住民、ピマ族の伝統産業として産声をあげ、現在は主にアリゾナなどで栽培されています。スーピマ綿が世界に流通するコットンに占める割合はたったの1パーセントといわれています。

このファブリックのポテンシャルを最大限生かすテクニックが、他社ではまずお目にかかることのできない、甘撚りの綿糸を2本引き揃えて編む、という贅沢なものです。

撚りを甘くすれば綿糸本来の弾力性が保たれます。〈ラコステ〉はのみならず、かさ高が増す引き揃え(複数の糸を撚らずにそのまま並べて編むこと)を採ることで、さらに軽やかに仕上げることに成功しました。

そして編み地。あまり知られていませんが、ポロシャツ定番の鹿の子編みは〈ラコステ〉が考案したもの。アメリカではオリジンに敬意を評し、その編み方を〈ラコステ〉と呼んでいます。

〈ラコステ〉の鹿の子編みの特徴は編み機の針の懐が深く、カーブが強いところにあります。これにより、生地表面にくっきりとした凹凸が現れるのです。肌への接触が減ることで、炎天下も涼しく過ごすことができます。

ルネがこのシャツを着てプレイしていたら結核にならずに済んだかも知れず、しかしそうすると〈ラコステ〉は存在しなかったわけで、運命とはつくづく皮肉なものです。

繊維は生き物です。

100キロ単位でまとめてマシンにつっこみ、9時間かけて色を入れていく──〈ラコステ〉の染色工程は桁違いの生産量もさることながら、全パーツを同時に染め上げるメソッドも見逃せません。身頃と袖を別に染めれば個体差が生じるのは避けられないからです。同じレシピでも仕上がりに差が出るのが天然素材を扱うこの仕事の難しいところといいます。

その染料は、日本でもポピュラーな反応染料にスレンと呼ばれる染料を掛け合わせています。反応染料は発色には優れるが、堅牢度に劣る。これを補うのがスレン染料というわけです。ただし、スレン染料は技術的に複雑、かつコストもかかる。この染料を採用しているのはニットウェア業界では〈ラコステ〉のみといわれています(凹凸のあるニットに定着させるのはとくに難しいため)。そして、フォームライザー加工。形態を安定させるこの加工もまた、〈ラコステ〉のこだわりです。

フランスで名の知れたブランドの多くは一貫生産が多い。〈パラブーツ〉しかり、〈エーグル〉しかり。いずれもブランドの顔となるマテリアルであるラバーを自社で製造しています。

一般に第二次産業は労働集約型産業です。画期的な工場が現れれば、あとを追うように周辺材料をつくる工場が生まれます。こうして、複雑に入り組んだ産地とそこで働く人々の街ができあがるのです。

フランスはいち早く産地移転を進めた国であり、斜陽化する産業では他社の影響を受けない一貫生産が強い、ということなのでしょう。取引会社が少なければ、連鎖倒産などの憂き目にあう危険も回避できます。

ともあれ、一貫生産の態勢を築いた〈ラコステ〉は心置きなくみずからの持ち味を研ぎ澄ましていきました。

美しい前立ての秘密。

続いて訪れたのは裁断、縫製のフロア。紡績のフロアに負けず劣らず広々としており、聞けばこちらも100人ものスタッフが働いているそうです。

〈ラコステ〉を愛用する人々がこぞって賞賛するのはいつまでもへたらず、色褪せないファブリックともうひとつ、立体的なシルエットをキープする前立てにあります。

その秘密は、表地に比べて2ミリ大きい裏地をあて、土台をしっかりさせているところにあります(下から顔をのぞかせる裏地を職人はのぞき、といいます)。この前立てがしっかりしているから、フォルムが崩れないのです。ペラペラのテープではない、その名の通りチューブ状に編んだ筒編みのパーツによる縫合もまた、襟まわりを美しく保つべく編み出した工夫です(これらは並べて観察すれば一目瞭然です。夏物はいまクローゼットの奥底でしょうから、衣替えのときにでも他のブランドと比べてみてください)。

これまた着比べればたちどころにその違いがわかりますが、〈ラコステ〉のポロシャツはごろつきをほとんど感じません。それは細く仕上げた縫い代構造の賜物です。ただ、その構造は通常に比べて耐久性に難がある。この不利を解消すべく、〈ラコステ〉は縫製糸にデニムでおなじみのコアヤーン糸を採用しています。ポリエステル糸に綿糸を巻きつけたもので、一般的なポリエステル・スパン糸に比べて抜群の強度があります。

〈ラコステ〉のデザインといえばモデル名の “2” を指すちょうちん袖を外して語ることはできません。二の腕にぴたりとフィット、バタつきを防ぎ、汗止めの効果もそなえるその構造は、サイドに入れたスリットとともにテニスプレイヤーのために生まれたものです。スリットはいうまでもなく、下半身の動きを妨げない工夫。

工場の奥へと進んだ取材班は、これまで見てきた生産ラインとは異なる空間が広がっていることに気づきました。数十人は座れるテーブルとチェアがあり、熱心にミシンをかける女性たちの作業を年配の女性が見てまわっています。

「ラコステといえど働き手の確保は容易なことではありません。我々は、我々が培った技術を後世に残すためにマニファクチャリングアカデミーという教育機関を立ち上げました。職安などに募集をかけておよそ100人を採用、2年かけてラコステのものづくりを学んでいただきます。指導にあたるのは定年退職した職人たちです」

近代的なオペレーションと職人仕事の融合。

新たな取り組みとして取り上げておきたいのはカスタムオーダーのポロシャツ。

定番モデル「L.12.12」をベースに、身頃、襟、袖、袖リブを12色から、ワニのエンブレムを5種類から、ボタンを2種類からお好みのものが選べるというもので、日本はもとよりヨーロッパでも人気のサービスです。

この部署に配属されたスタッフは総勢5名前後ながら、日産で平均200着、多いときで400着が縫い上がるというから驚きです。〈ラコステ〉は膨大な仕掛かりをストック、これをコンピューターで厳密に管理することで効率的なオペレーションを可能としているのです。

もちろん、そのミッションを忠実にこなすことのできる熟練の職人がいて初めて可能となるものです。

6万7000点のアーカイブが眠る資料室。

〈ラコステ〉の工場を訪れて印象的だったのは、工場のエントランスに設けられたウィンドーとそこから続くショールームでした。ウィンドーは週替わりでパリの店と同じ新作が飾られ、ショールームにはこれまでのアーカイブが展示されています。それはひとえに〈ラコステ〉で働くモチベーションをあげるための方便にほかなりません。

アーカイブといえば、2008年につくられたリファレンスルームは特筆に値します。そこには収蔵点数6万7000点に及ぶという1933年からのアーカイブが所狭しと並んでいました。〈ラコステ〉のデザイナーなら、この貴重なアーカイブをいつでも閲覧することができます。

1932年12月29日にアンドレ・ジレエへ宛てた発注書、そして初期のポロシャツ。ずらりと額装されたVIPのポートレートや80周年記念で同郷の〈エルメス〉〈ブシュロン〉〈ゴヤール〉といったブランドとコラボレーションしたコレクションの数々も素通りできません。時間を忘れて食い入るようにみつめる取材班がとりわけ目を奪われたのは、ポロシャツのリファレンスルームとしては一見不釣り合いなプロダクトの数々でした。

ファンならご存じの練習用のボールマシーン(我々が目にしたのはレプリカで、本物はローランギャロスに飾られているという)、現在のラケットの雛形となる世界初のスティール製ラケット、ラケットに取り付ける振動吸収のパーツ、飛距離を求めて設計された凹凸のあるボール…。そう、ルネが創造したのはポロシャツだけではなかったのです(なんと、グリップにテーピングを巻き始めたのもルネだったとか)。職業を問われれば「ぼくは発明家だ」と答えていたのももっともな展示品にしばし息を呑みました。

それにしても、職人もデザイナーもアーカイブに囲まれて仕事ができるこの環境はただただ素晴らしい。繊維の街、トロワの灯台守を自認する〈ラコステ〉は、伝統こそが灯台の火を燃え上がらせるなによりの燃料であることをわかっているのでしょう。

INFORMATION

ラコステお客様センター

電話:0120-37-0202
www.lacoste.jp
※現在、カスタムポロは日本での取り扱いを休止中

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