CLOSE
monessay ─令和のTシャツ

monessay ─令和のTシャツ

フイナム発行人、フイナム・アンプラグド編集長である蔡 俊行による連載企画「モネッセイ(monessay)」。モノを通したエッセイだから「モネッセイ」、ひねりもなんにもないですが、ウンチクでもないのです。某誌でずいぶん長いこと連載していたコラムが休載し、フイナムにて装いも新たにスタートです。今回は〈アーカイブ&スタイル フォー ビオトープ(Archive & Style FOR BIOTOP)〉のTシャツ。

  • Text_Toshiyuki Sai
  • Photo_Kengo Shimizu
  • Edit_Ryo Komuta
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

第二十六回 令和のTシャツ

成最後の更新。

あこの「平成最後の~」という言葉は、もうあちこちで使われすぎて手垢感満載ですね。でもそれのおかげでこの先かつてない10連休が始まるわけだ。まわりに聞くとこの10連休、あまり評判は芳しくない。どこへ行っても混んでるし、高い。そもそも国民全体が一斉に休むというのがおかしい。分散させた方がすべてにおいていいと思うので、政府はどうぞそちらの方にエネルギーを注入してください。

て、この10連休が終わるといわゆる5月病の話題がメディアを賑わせるようになる。特に今年のように長い休みが明けると、会社行きたくない、学校やだーとかの声多数で、体調を崩す若者が増える。一種の現代病である。

もそもバカなのか、なにも考えていないのか、ぼくにはこうした経験はまったくない。新しい環境に統合していくためにはそれなりの労力は必要だけど、それはやらなくてはならないことなので粛々と日々をこなしながら今日まで来た。だから調子が上がらない皆さんも、あまり深く考えず、今日の次が明日で、その次が明後日というくらいな気持ちでやるといつの間にか夏休み、ハロウィーンイェーイ、メリークリスマスがやってくるのだ。君が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった明日だ的な話はひとまず置いとこう。

くが東京に初めて出てきたのは、まあちょっとした学生生活を送るためである。もちろん地方都市出身のかっぺ丸出しの自分は、東京に住むいわゆるシティボーイよりも雑誌などで東京のことをよく知っていた。ファッションに関してはいまほどお店も情報も少ないながら、『ポパイ』などの雑誌を見て、知識を蓄えていたのだ。

時はDCブランドの揺籃期で、アメカジブーム。ジーンズは501が当たり前で、Tシャツは3枚パックのヘインズが定番とされていた。とにかくカジュアルウェアの原点はここから始まるとされていた。同時代人でこの組み合わせを持っていない人はひとりもいなかったと思う。

かしこのヘインズ3枚パック。当時確か3000円くらいで売られていたのだが、とにかく生地が薄く、襟がすぐによれよれになる。でもそのよれよれ感がいいんだよというのはある種の布教のようなものであり、でろーんと伸びた襟ぐり、黄ばんだペラペラのボディのまま、当時のぼくらは嬉々として着ていたものだ。下着を目的として作られたものを外着Tシャツとして着るというのは、いま思い返してみても少し無理がある。

ちにヘビーウェイトTを目にしたときには、『アべンジャーズ』じゃないけど、「日本よ、これがTシャツだ」と言われているような気がしたものだ。

かしね、もうこの歳になってブルージーンズに白Tなんてコーディネートはこっぱずかしくてできないわけですよ。それこそ令和の時代になってもまだ昭和を引きずっているというか、アメリカへの憧憬から一ミリも動けていないというか。なんで普段白Tは、眩しすぎて着ないのである。

れが今回のTシャツですよ。

人でもある坂田くん渾身の一枚。ヴィンテージショップのオーナーだけあって、昔のもののいいとこどりをして、さらにはアメリカまで行ってつくったもの。リブもしっかりしてるし、ボディもヘビーウェイトの丸胴。90年代の中頃によく着ていたTシャツみたい。

ケットから覗くミルスペック風なネームのアクセントが効いているのでまあ小っ恥ずかしさはあまりないかな。さすがにジーンズには合わせないけど。

¥6,000+TAX

蔡 俊行

フイナム発行人/フイナム・アンプラグド編集長。マガジンハウス・ポパイのフリー編集者を経て、スタイリストらのマネージメントを行う傍ら、編集/制作を行うプロダクション会社を立ち上げる。2006年、株式会社ライノに社名変更。

ジュンカスタマーセンター

電話:0120-298-133

TAG
#ARCHIVE&STYLE
#biotop
#monessay
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
Page Top