港区や千代田区にある立派なビルに入っている会社に打ち合わせに行くことがある。できたばかりでピカピカに磨かれたフロア。移動はエスカレーターかエレベーターで、見たことのないセキュリティシステムが施されていたりする。もちろんビルに入るには、入館用のカードとかもらって、まるで駅の自動改札のようなところを通る。
こんなところで働く人たちは、カジュアルなんだけどパリッとしていて、そして清潔。平均所得も高そうだ。いい教育を受けてきた人たちなんだろうなと想像する。
そんなとき、こんな職場と二子玉川や武蔵小杉の高級タワーマンションの行き来の生活では、決して見られないものがあるんだろうなと思う。
いわゆるゲットー的なエリアで生活している人たちのことである。
そこでは大学に進学するどころか、中学さえまともに卒業できるのかというようなヤングがいたりするゾーンだ。10代にして子を設けるママもいて、旦那がまともに仕事をすればいいのだが、ヒモのような生活を送り、しまいには母娘を捨てて出て行ってしまう。DVも珍しくない。
ヤンキー的とくくってしまう方がわかりやすいかもしれないが、令和になってもまだこういう話は少なくない。
何を隠そう自分もそんなエリアの出身である。たまに同窓生たちと会ったりするのだけど、何十年経っても時計は止まったままだ。
昭和の時代、このエリアの少年たちの最大の関心事はバイクとクルマであった。例に漏れず自分もね。中学時代から免許もないのに改造バイクや改造車に目を奪われ、その手の雑誌を友達の家で集まって読むというのが放課後の定番。
特にバイクでは昭和の名車がどんどんリリースされていた時代。ホンダ400F、カワサキKH400とか、スズキGS400とか。
免許もないのに先輩から借りたバイクを乗り回している同級生もいた。
16歳の誕生日になるやいなや、バイクの免許を取るというのが仲間内での常識であった。
当然自分もすぐに原付の免許を取ったのち、中型免許を取得した。
ただ、自分ではバイクを買う経済力はなかったので、友人たちが高校行かないで働いた金で買ったバイクを借りて乗っていたりした。彼らのバイク愛というものは、うちのスタッフMくんのオールデン愛に負けず劣らず。
でも高校も半ばになるとバイクの興味は残ってはいるものの、次にもうクルマに移るんですね。ケンメリのスカGを頂点として、セドリックやらセダンのシャコタン車。独立懸架だから後輪がハの字になるんだなんてのが会話の主流。
するとみんなの関心はバイクよりもクルマにシフトしていく。
でもぼくは個人的にクルマよりもバイク。これはもうずっとなのである。
以来ずっとバイクに乗っている。というか常に何台か持ち続けている。
一番台数を持っていたのは20代半ば。バイクのレースでサーキットを走るのに夢中になっているころで、レース用2台、普段の足用の原付と250ccのバイク、そしていまも乗り続けているバイク。
それはおよそ30年ほど前に手に入れたハーレーのXR1000というモデル。いわゆるホモロゲモデルで83年、84年の2年間だけの生産で2000台ほどのレアモデル。
バトル・オブ・ツインというレースに出るためにロスから個人輸入で手に入れた。
この30年間、いろいろ改造しながら楽しんでいる。
このバイク愛にあふれる自分であるが、数年前からサーフィンにもはまっている。毎週末、千葉の海へ。大きな波を一発食らうと、アドレナリンが沸き起こって、頭が真っ白になる。いいストレス解消法だ。
そんな折、知人が原宿にカフェを開いたというので行ってみたら、そこはまるでパラダイスであった。自分の中の男の子部分にまっすくビンビンに届くようなお店。
オーストラリア発祥のブランドであるが、コンセプトはバイクとサーフィン。
きっとオーナーの趣味が炸裂しているお店なんであろう。商品構成なんかみるとビジネスも上手。
わがゲットー地域もこんな風にセンス良く、趣味が進化していたらもしかすると世界をあっと驚かせるようなブランドができたかもしれないなんて思う。
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