カナーディケ、バウストゥン、ヌーゥヨオーク。
それぞれの州の人たちが自分の州や街を呼ぶときに使うアクセントをなるべく日本語表記に近づけて書こうとするとこうなる。
最初、カナーディケと聞いた時はカナダ? なんてボケをかましたけど、後で聞いてああなるほどと。もうわかったと思うけどこれコネチカット州のことですね。あとはまあわかりますよね。
アメリカではこれらの州とボストンのあるマサチューセッツ、ロードアイランド、メイン、ニューハンプシャー、バーモントを合わせてニューイングランド地方と呼ぶ。あ、ニューヨークは含まれてないや。
地理上ではアメリカ合衆国の右上。全部合わせてもカリフォルニア州よりも小さい。
歴史はアメリカで最も古く、メイフラワー号に乗った清教徒102人が初めて降り立ったのが、この地方のニュー・プリマス(いまのマサチューセッツ州プリマス)。
入植直後の生活は苦しく、数年後には人口は半数に減ったのだが、ネイティブアメリカンに食料を助けられ、それが後の感謝祭になったという話は、アメリカ人なら誰でも知ってる話。
時代は下り、茶会事件でイギリスと悶着を起こし、その後のアメリカ独立戦争へとコマを進めることになるのもボストン。
そのニュー・イングランド地方の中心であるボストンに、20代のころ半年くらい住んでたことがある。いわゆる語学留学的なものであった。
ボストンの春は寒い。何も考えずに薄着で着いたときには持ってきた服間違えたと後悔した。アパートはまだスチームがガンガン炊かれている。つまり5月でも真冬。
野球が春にシーズンインした直後のフェンウェイパークの試合はみんな厚着で冬仕様。そんな光景を見たことあると思う。
学生なので基本的には時間はあまりある。
ちょうどその時期は、〈ラルフローレン〉のアウトレットものが日本で流行っていて「ラブラドール・リトリーバー」もオープンしたばかり。「メイドインワールド」もビッグチノとかビッグポロとかいっぱい買って帰っていた。
とりあえずそういうアイテムを買って帰れば日本で商売ができた時代。
なので日本からバイヤーがボストンにいっぱいやってきた。
メイン州のフリーポートという街に〈L.L.ビーン〉の本社があるのだけれど、このあたりは自然が豊かでアウトドアアクティビティが盛んな地。〈L.L.ビーン〉が発祥するというのもうなずけるロケーション。
ということは多くのツーリストが訪れるということで、大きなアウトレットモールがあった。
日本からきたみんなはそこが目的なのだけれど、交通アクセスの問題で一度ボストンにタッチダウンして、レンタカーで2時間かけてそこへ行くというのがパターン。もちろん〈L.L.ビーン〉も直営ショップがあり、〈ラルフローレン〉の品揃えも近隣州に比較して豊富である。
バイヤーにもよるけど仲の良かった先輩は、ここからナイアガラ方面まで、ニューハンプシャー、バーモントを横断して行ってたなあ。すごいガッツ。
この時期、ぼくも滞在費を稼ぐために彼らを手伝ったり、自分で宝物を探すためにレンタカーし、この地方を走り回ったもんである。
そしてコネチカットのニューロンドンのボーリング場の2階にある倉庫でビンテージジーンズを束で見つけて、それを日本に送った。
ジョーダンのファーストモデルの赤×黒のデッドを4足ゲットしたのもこのニューロンドン。ドライブ中にロッド・スチュアートがカバーしたアイズレーブラザーズの「ディス・オールド・ハート・オブ・マイン」がかかるとレアアイテムをゲットできるという法則まで発見した。
そしてそのころ、いちばんよく行ったのがボストンかクルマで30分ほどで行けるローレンスという街。そこに〈ニューバランス〉の本社があって、ビルの1階がアウトレット。他にも小さい規模だけど〈ラルフローレン〉やらちょっとしたアウトレットショップが集まってた。
この〈ニューバランス〉のショップではまったく面白いものに出会わなかった。ここにはハイエンドラインはほとんどなくて、量販店で売っているようなシューズしかなかった。
その後、日本に戻り編集者としてその後この本社に二度ほど行った。アウトレットは相変わらずのまま。
いまではたぶん本社、場所うつったんじゃないかな。
一昨年、ニューヨークからクルマでボストンに行く途中、インターステイツの90号線の右側に大きな看板にニューバランスって書いてあるのを見つけたから。あれが新本社なんだろうと勝手に思ってる。
¥28,000+TAX
〈ニューバランス〉の大定番「990」の5代目モデル。“1000点満点で990点に到達した” という履き心地を示した広告で有名。