
口数も少なくて中性的な性格の子供だった。
ー早速ですが、DAICHI YAMAMOTO(以下、DAICHI)くんのこれまでの活動を振り返りつつ、その特異なキャリアや経歴についてお聞きしたいのですが、まずご出身が京都ということですが、幼少期はどんな時間を過ごしてきたのでしょうか?
DAICHI:ラッパーという生業上、どうしてもイメージ的にゴリゴリのブラックミュージックを聴いて育ったみたいな印象を持たれることが多いんですけど、幼い時はセーラームーンのアニメを観ていたりして、ドラゴンボール派の兄にバカにされているような子供でした(笑)。今も変わらないですけど、口数も少なくて中性的な性格の子供だったと思います。
ー 意外ですね。ちなみにお父さんは京都で30年近い歴史を持つ老舗クラブ「メトロ」のオーナーである山本ニックさんだそうですね。やはり音楽やその周辺のカルチャーに関しても受ける影響は大きかったですか?
DAICHI:父親が音楽関係の仕事をしている人ではあったんですが、音楽に関する直接的な影響ってあまりなかったと思います。なんとなく記憶にあるのは、「メトロ」でのハロウィンイベントに仮装して連れて行ってもらったり、父がもう一軒経営していたレゲエバーに連れて行ってもらったりはありましたけど。当時は自分の父親が特別すごい人だとも思っていなかったですし、それが当たり前だと思っていましたから。あとは6歳の時にジャマイカで一年くらい暮らしていたんですが、その時の経験が潜在的に僕の音楽に少なからず影響を与えているのかなと。
ー なるほど。音楽に目覚めたきっかけは何だったのでしょう?
DAICHI:音楽に目覚めた時期ってあまりはっきりは覚えていないんですけど、最近になって気付いたのは、お父さんが僕や兄と話している、いわゆる家族の会話をよくテープレコーダーに録音していて。その中での言葉や歌を歌っている音声を改めて聴いた時に、とても楽しそうに話していたり、歌っていたりしていたんです。おそらくその時は無意識なんでしょうけど、なんとなく音楽に興味を持ち始めていたのかなと今になって思いますね。
ー テープレコーダーで録音していたというのは面白いですね。ちなみにDAICHIくんは2012年にロンドンのアート専門の大学へと進み、インタラクティブアートを専攻していますよね。音楽以外の分野を選んだ理由は何だったのでしょうか?
DAICHI:高校生の頃には人並みに音楽に触れる機会もあって、それこそヒップホップを聴いたり、その流れでグラフティにも興味を持っていたんですけど、ある時担任の先生にグラフィティが好きならこの映画を観てみろって勧められたのが、バスキアのドキュメンタリームービーの『DOWNTOWN 81』だったんです。その作品を見た時の衝撃がすごくて、アートってこんなにカッコいいんだって。それからドレッドヘアーにするようになったんですよね(笑)。それからなんとなく美術の道を進路の可能性として秘めつつ、もし一般学部の志望校に落ちたら、海外のアート系の大学に行こうって決めていたんです。そんな生半可な気持ちで挑んでいたから案の定その受験に失敗してしまった、というのがきっかけですね(笑)。でもこれをきっかけに気持ちを切り替えてアートを本格的に学びつつ、英語力も今まで以上に身につけるいいチャンスだなと思って、留学を決意しました。
