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『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノと濱口竜介 映画という言語で共鳴する同時代の監督。
Directors Session

『パラサイト 半地下の家族』ポン・ジュノと濱口竜介 映画という言語で共鳴する同時代の監督。

お互いがつくりあげたものを通じて、同時代的に刺激を与えあえるということは、クリエイターにとってこれ以上ない幸福であるはず。ポン・ジュノと濱口竜介というふたりの映画監督の、まるで終わらないような対話は、そのことを実感させてくれます。
全員が失業中、半地下の家に住むキム一家が、長男がIT企業社長一家の豪邸に家庭教師として入り込んだことをきっかけに“寄生”していく——第72回カンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得したポン・ジュノ監督の最新作『パラサイト 半地下の家族』の日本全国公開が目前に迫っています。濱口監督はかねてよりポン・ジュノ作品を敬愛し、一方のポン・ジュノ監督は『寝ても覚めても』を絶賛しているという間柄。初対面にして時間いっぱいまで話し込んだふたりの言葉と熱量は、映画のスクリーンを飛び出して、読む者の背中も押してくれることでしょう。

  • Photo_Yosuke Torii
  • Text_Fumihisa Miyata
  • Edit_Shinri Kobayashi

ポン・ジュノ監督は日本映画をどう見ているのか。

ー お話を伺っていて、映画のタッチも、制作の環境も異なるおふたりが、こんなに同時代的に刺激を受けていらっしゃるということに新鮮な驚きを覚えます。それはお二方にとって、どのような経験なのでしょうか。

濱口:ポン・ジュノ監督がやっていらっしゃることというのは、実は僕が映画をつくる上で、最初から諦めてしまっていたことでした。強靭なショットを撮り、しかもそのショットをストーリーテリングの中に何ら過不足なく埋め込んでいく素晴らしさ——こういうことをできている人は今、ほかにいないんじゃないだろうか、と思っています。

僕に、そういうショットを撮る能力がそもそもないということもあるのですが、そうした制作の体力が日本の映画界にはない。そのような映画づくりを最初から諦めてしまっていて、もうちょっと「弱い」ショットを連ねることでも望むようなステージに到達できないかと思ってやっているんです。

しかし『パラサイト』を観たときに、自分が諦めていただけだ、と痛感しました。もちろん日本と韓国で条件は違います。それでも、非常に近いところで、今、現代でこんなことを実現してしまう人がいるんだと、強く打ちのめされたんです。自分は単純に勇気がなかったのだ、怠惰であった、という気持ちになりました。

ポン:映画業界の「制作の体力」という言葉が印象的です。映画的な体力というものは、監督の個人の体力だけでなく、映画のインダストリー(産業)という全体の体力ともかかわってきます。昔の世代の、過去の日本映画——黒澤明や大島渚、今村昌平の時代の日本映画と今の日本映画には、インダストリーの面での違いがあるということは、外部者なので細かいことはわかりませんけれども、たしかに感じます。

それでも、私が好きな黒沢清監督や是枝裕和監督、そして濱口監督は、映画の外的なスケールや技術的な体力よりも、心の、感情のスペクタクル、繊細で執拗な心のスケールの強さというものを、依然として維持されていると思うのです。そしてこれが、今の日本映画の魅力である、と。

『寝ても覚めても』で驚いたのは、事件が激しく展開していくことはなく、とても落ち着いて、静かに流れていく男女のラブストーリーのように表面的には見えますけれども、その表面の下にある本当に大きな緊張感、巨大な不安感が伝わってくる、ということです。どうしてこんなことができるのか、その秘訣について伺いたいんです。ゆったりと遅く、落ち着いたテンポをなぜあれだけ維持できるのか。やはり、執拗な人にしかできないと思うんですよね(笑)。

濱口:自分で“秘訣”などと話すのは恥ずかしいのですけれども……基本的には俳優に頼っている、ということだと思います。とにかく、ひたすら本読みはします。自分が書いたテキストを俳優に、うんざりしないかと不安になるくらい、しかも感情的なニュアンスは一切抜いた上で何十回も読んでもらうんです。余計な表現というものを出てきづらくする。もちろん俳優たちに感情がないわけではなく、むしろ満ちています。ただ、それを余分な表現に変えない、ということを彼らが絶妙なバランスでしてくれているのだと感じています。

逆に伺いたのですが、先ほどのショットの話の一方で、ポン・ジュノ監督の作品は、素晴らしい俳優の映画である、とも強く思います。特に驚くのが、物語の前半と後半で俳優の顔がまったく違うということ。単純化されて提示された人物が、その単純さを打ち破って複雑な存在になる。それは演技の表現としてはどんどんシンプルに、力強くなっていくことでもあります。メイクアップの力などもあるのかもしれませんが、そこにはたしかに俳優の演技の力というものがあります。撮影はシーンの順番通りなのですか、それとも前後しているのですか。

ポン:撮影の順番は前後入り乱れています。ご存じのようにこの映画はほとんど、9割がたはセットで撮られていて、セットを立てた順番で撮っていきました。その中で俳優にかんしては、たとえば半地下家族の父親を演じたソン・ガンホさんは序盤、しまりがない感じの、軟体動物のような演技ですが、後半では人物の心の中にある、暗い心臓を取り出して見せるような演技をしています。シナリオの流れもあったわけですが、ソンさんはご自身が持つオーラと表現力で、軽々と演じられていました。

濱口:ソン・ガンホさんは今回も奇跡のように素晴らしいと思います。ポン・ジュノ監督は、何か自分が手助けした感覚はあるのでしょうか。

ポン:いや、既にキャスティングの段階、つまり僕が考え抜いた台詞を自分が選んだ俳優の皆さんが表現してくれている、その段階で既に半分以上はできあがっていると思います。ですから僕はリハーサルもあまり多くするほうではないですし、現場を中断して何かを長く話し合うようなこともありません。

あとはポスト・プロダクションで、その演技というものは完成されると思っています。どんなテイクを選ぶのか、あるいはADR(日本でいうアフレコ)や編集の過程を通じて——私の手先を経て、演技というものはさらに完成されていくと考えています。

濱口:今まさに編集中なので、本当に力強い言葉です(笑)。(終了時間が迫って)あと一個だけ質問したいんですが……。

ー では写真を撮りながらでもよいでしょうか。

濱口:では撮りながら……僕が伺いたいのはあるワンショットで、ソン・ガンホさんを上から捉えて、その影が映っているのは、偶然ですか、それとも狙ったものですか?(……とポン・ジュノ監督に問いながら、部屋の外の廊下へと消えていく)

INFORMATION

『パラサイト 半地下の家族』
ⓒ 2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED

2020年1月10日(金)より全国ロードショー!
TOHOシネマズ日比谷、TOHOシネマズ梅田にて特別先行公開中
www.parasite-mv.jp

出演:ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシク、パク・ソダム、イ・ジョンウン、チャン・ヘジン
監督:ポン・ジュノ(『殺人の追憶』『グエムル -漢江の怪物-』)
撮影:ホン・ギョンピョ 音楽:チョン・ジェイル

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