思い通りにいかない、それがニューヨーク。
ー まずは、おふたりの出会いから聞かせてもらえますか?
本間:アメリカで店を作ろうとしても、アメリカでライセンスを持っているアーキテクト(建築家)じゃないと工事申請できないんですよ。だから、日本でお願いしていたデザイナーに頼めなかったんです。そこで鈴木大器さん(〈エンジニアド ガーメンツ〉のデザイナー)に相談したところ、「若くていいのがいるよ」と。それで紹介してもらったのがタイチくんだったんです。
クマ:鈴木さんから「本間さんがニューヨークに来てるから連絡してほしい」と、朝7時くらいにテキストメッセージをいただいて。その日の夜、ホテルのロビーで初めてお会いしました。
ー そのときはどんなお話を?
本間:まずは我々の会社やブランドのことを理解してもらおうと、15周年のときに作ったアーカイブ本なんかを見てもらいました。当時は、ちょうど代官山にある本社1階のお店をコンセプトチェンジしてリオープンする直前だったので、そのときのドローイングなんかもお見せして。
クマ:お話を聞いてすぐに、やらせてくださいとお返事しました。でも、なかなかスムーズにはいかなかったんですよね。
本間:そう。じつは当初のオープン日が2019年の秋ごろだったんです。でも、思い通りにならないのがニューヨークの街で。
ー そのときはまだ、コロナ禍でもない時期ですよね。
本間:全然前ですね。例えば、ニューヨークって店舗をどういう風にするかというアイデアに対して、大家さんの承認が必要なんです。それが長引いてしまった。ようやく承認が下りたと思ったら、今度は大家さんが変わってしまって契約書の直しが必要になって…。とにかく、そうした法律がらみのことが遅れに遅れてしまったんです。
ー そして、ロックダウンになってしまったと。
本間:はい。3月20日にニューヨークはロックダウンになりました。当然、進めていた工事も止まってしまって。
ー クマさんはロックダウン直前に、ニューヨークから日本に戻ってきたそうですね。
クマ:そうなんです。そもそもニューヨークからパリに拠点を移そうと思っていたタイミングで、3月にひとまず日本に戻ってきていまして。
ー ニューヨークのロックダウンの徹底ぶりは、日本でも感じていました。
クマ:いまは随分緩和されましたけどね。でも当時、工事を進めようにも病院、ソーシャルハウジング、インフラの3つ以外は強制的にストップがかかっていたんです。こういう店舗の工事なんかは一切できずで。