二人の関係性を語るうえでどうしても無視できないのが、山本康一郎さん*と相澤さんとの出会いについて。どのようにして東京コレクションを共に手がけるようになり、この靴を生み出すに至ったか。それは相澤さんが23歳の頃にまで遡ります。
「〈ジュンヤマン〉* のアシスタントをやっていた時に、スタイリストの(野口)強さんや吉田カバンの先輩との会話の中で、『康一郎さん』って名前がたまに出てくるんですよ。当時はスタイリストが表に出てくる時代の中で康一郎さんって人は全然雑誌に載ってないし、名前だけが一人歩きしてるような都市伝説的なスタイリストで。しかも先輩方が、さん付けで呼ぶなんて、どんな人なんだって思ったのが最初」。
「それから雑誌『HUgE』で、当時僕が働いていた〈ジュンヤマン〉の特集をしてもらったことがあって。当時はロックテイストなファッションの全盛期、スタイリッシュなスタイリングページが続くんだけど、なぜか〈ジュンヤマン〉の服は相撲部屋に掛かっていて。着てねえじゃんって思いつつも、それがかなり印象的だったんですよ。それまでは服を着せるのがスタイリストの仕事だと思ってたんですけど、そうじゃなくてページをつくったり、エディトリアルも含めて手がけるのがスタイリストの仕事なんだって。ファッションはストーリーなんだってことに気づかされました。それが先輩たちの話していた『康一郎さん』の仕事だってことに後々気づくわけなんですけど」。
異質ともいえるページを手がけた康一郎さんは、〈ジュンヤワタナベ・マン〉について「可愛げがあった」と述懐します。「どこかチャーミングで、ふんどしっていうリアルなアイテムと合わせても、それに負けない圧みたいなものがデザインの中にあったんだよ。お互いを近づけたら起爆するような。きっとそれは層の厚いチームだからこそ、生まれるエネルギーだと思うんだよね。〈ジルサンダー〉とか、いまでいうと〈ルメール〉みたいな強固な結束力を当時の〈ジュンヤマン〉に感じたんだと思う」。
そんな二人が足並みを揃えて仕上げた靴は、康一郎さんがルームシューズとして愛用していた〈アグ〉のKENTONがベースになっています。スエードやヌバック、表革など、異なるレザーを使ってクレイジーパターンで作成し、それゆえに一言で“ブラック”と片付けらないような表情の豊かさを感じさせます。
またソールは通常の1.5cmから1cmに変更することで、室内でも履きやすい設計に。さらに内側のボアもインラインより薄くし、スタイリッシュなフォルムが形成されています。これらの4面とも違うレザーなどは、康一郎さんからのオーダーではなく、相澤さんのアイデアだったそうです。
「康一郎さんの自宅と事務所が木床と石床なのを知っていたので、ソールを薄くして段差でつまづかないようにしたり、細かい部分は聞く必要がないというか、付き合いも長いし、着てる服もわかるからすごくイメージしやすかったんですよね。きっとこれまで〈スタイリスト私物〉をやってきたデザイナーもしっかりとした打ち合わせなんかせず、康一郎さんのことを思い浮かべてつくってたんじゃないかな」。
まるで贈り物を選ぶような感覚で、多くの言葉を交わすことなく、阿吽の呼吸でカタチづくる。それは決して容易なことではなく、2010年春夏から13年秋冬まで、東京コレクションのランウェイを共に手がけていたからに他ならないでしょう。〈ホワイトマウンテニアリング〉の船出となる初ランウェイのスタイリストは「康一郎さんしかいなかった」と振り返ります。
「自分がデザイナーとして初めてやるショーだったから、何か特別な意味を持たせたかったんです。そういうインパクトという意味で言えば、一番印象に残ってたのが相撲部屋のやつで。だから迷わず、康一郎さんに会いに行ったんです」。そうして行われた10年の春夏コレクション。華々しいキャットウォークの裏側では、康一郎さんが招集した錚々たるスタイリストたちがモデルのフィッティングを務めていたそう。
「正確な位置で服を着てもらう。簡単そうに思えるけど、着る人それぞれ違っていて、肩を抜いたり、少しはだけさせたり、はたまた腰位置を変えたりすることで、人によって似合う位置っていうのが変わってくるんだよ。パーソナルな部分が覗くと、服はより良く見えるもので。だから最初のショーはフィッターをスタイリストにお願いした。興味があるってことは、仕事としてすごく確かなんだよね。人に服を着せることに興味ないフィッターでもショーの何日か前に服を見てもらう、そうするとそれなりに咀嚼する時間があって、ちゃんと興味を持ってくれる。興味を持った途端、断然良くなる。興味を寝かす時間っていうのかな」。
そもそも〈スタイリスト私物〉とは、康一郎さんにとってどんな存在なんだろうか。ブランドとも違うし、別注レーベルというのも的を得ていないような気がしてならない。今回の「アグとホワイトマウンテニアリングとスタイリスト私物」という冠もそうなのだけれど、ブランド名を繋いでいるのは、いつも「×」ではなく「と」。これも何か意味があるのだろうか。
「昔、カバーコードの取材でも応えたことがあるんだけど、常連客のわがままなオーダーってあるじゃん、〈スタイリスト私物〉はあれなんだよね。ちょっと目玉焼き乗っけて、みたいな。だけど、牛丼で言ったら、つゆだくが嫌いで。コラボってどうしてもつゆだく気味になる。だから個人的には、つゆ抜きくらいにしたくて。『×』にしちゃうと増えちゃうから『と』なんですよ」。
仕上がったサンプルを数週間から数ヶ月にわたって使い、履き込み、自身の生活に馴染み、その名の通り“私物”になってから、〈スタイリスト私物〉は出来上がる。今回の靴も同じように、半年間しっかり履きこんだうえでようやく完成したのです。
そういえば、これまでの〈スタイリスト私物〉のアイテムには、“同色反転右胸刺繍 Tシャツ”だったり、“バイカラー 3Pリブソックス”だったり、何かしらのアイテム名が付いていた。
インタビューが終わり、「モデル名は何にしましょう」と訪ねた時、二人は「なくていいんじゃない?」と声を揃えます。それは書き手として言えば少し困る返答でした。だけど、二人からすれば、きっとこの一足は“あの靴”で伝わるものなんでしょう。
見慣れたリビングでも。いつものコンビニにも。見知らぬ土地へも。そして、会いたい人の家も往復できる名もなき靴。コミュニケーションのきっかけになったり、思い出のそばに寄り添ったり、大切な誰かとの昔話の中に“あの靴”として登場するような、そんな存在になるんだろうか。そう思ったのは、ここだけの話。
〈アグ〉のKENTONをベースに、フロントはスエード、インサイドにヌバック、アウトサイドには毛足の長いスエード、そしてヒールには表革など、ブラックで統一しながら表情の異なるレザーを使ってクレイジーパターンに。ソールの厚さは通常1.5cmのところ、1cmに変更することで、タウンユースのみならずルームシューズとしても快適に履けるよう設計。また、かかとを折りたたんでバックレススリッポンとしても使用できる。