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アートもビジネスも旬は短い。村上美術の10年とこれから。
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アートもビジネスも旬は短い。
村上美術の10年とこれから。

中目黒にあるショップ「ブリック&モルタル」、デザイン性の強いプロダクトを作る〈アマブロ〉、アーティスト村上周。どれもが今回お話を聞いた村上美術(株)にまつわる一面です。グラフィックデザインという得意分野を古今東西のものと組み合わせ、モノを作り、売り、育てているこの会社が、創設から10周年という節目を迎えました。村上周さんのアート活動とその哲学、村上美術(株)が手がけるビジネスの裏側について、会社の中核を担う3人に話を伺いました。

アパレルの速いサイクルからの離脱。

ー では次に、会社のことを伺いたいのですが、どうやって村上美術(株)が始まったのか、原点から聞かせてください。

周: まず僕は学生時代から、アーティスト活動のかたわら、フリーランスでグラフィックのお仕事をやってました。

敦志: 僕は最初、インテリアメーカーで。そこで営業というか、流通について学びましたね。

周: 学生の頃からグラフィックの仕事、中でも服飾雑貨のグラフィックがメインでした。そのあと〈リーバイス〉とか「パルコ」の広告とか。『カーサ ブルータス』の表紙をやったこともありましたね。関西出身なんですが、ああ、こういうのって東京っぽいなと当時は調子に乗ってたかもしれない(笑)。

で、人手も足りなかったんで、スタッフがほしいなと。当時、事務所があった雑居ビルで面接したら、スーツをちゃんと着た子が来たんです。それが優哉ですね。

当時メインで関わっていたアパレルの仕事は、サイクルが早くて、半年後には製品としての寿命が来てしまう。半年周期で新しいことをやらなきゃいけなかったところに、アーティスト気質みたいなところもあって、普遍的なことをちゃんとやりたいと思いました。それで、いよいよプロダクトの開発をしようと動き始めたわけです。

鈴木優哉(以下、優哉): 普遍的なことで、かつビジネスとしてちゃんと回せるものってなんだろうと考えたら、インテリア関連のものじゃないのかなと。家具とかは長く愛されて、ものによっては博物館にも所蔵されたりするじゃないですか。それで、ものづくりというものを探っていきたくて、プロダクト開発を始めました。それで、ものづくりの道へと…。

ー 思い入れのある製品はありますか?

周: 最初は、赤ちゃんのよだれかけを作りました。

敦志: 当時、出産のお祝いものは、セレクトショップが求めていた分野でした。でもショップにあるのは、大人目線で生活に即したものばかり。僕らの作ったよだれかけ「BAB(バブ)」(今でもシリーズ継続中)は、ユニークなところを評価してもらって、とがったセレクトショップにはまったんです。

周: よだれかけはギフトだから、おしゃれな箱にしました。

敦志: 運もよかったのか、これで取引先がわっと広がりました。小売店と直接話ができたというのもいい経験でしたね。それがあったからこそ、「Giving Store」というベビーギフトのセレクトショップを運営するにも至ってます。

敦志さんが着ているロンTは周さんが制作した1着。

周: 次に多治見で絵皿を作りました。海外はお皿を壁に飾ってたりするじゃないですか。だから、お皿をキャンバスに見立てて、自分のアートを落とし込んで、プロダクト化したんです。そこで、陶磁器デザイナーの阿部薫太郎さんという人が興味を持ってくれまして、九州にきて陶器を見ませんか?とお誘いをもらいました。

優哉: そこで陶器の生産をいちから見て、グラフィックとは違う特性として、素材の向き不向きとかいろいろなものを知りました。そこでものの見方が変わりましたね。

周: 有田や波佐見とかは400年もの歴史があって、そこにどう向き合うということも重要でした。何も考えずに何かを作ることは、できなかったですね。たとえば有田焼はいまじゃ無地のものもあるんですが、それが主流になってしまうと、有田の染付の仕事がなくなってしまう。伝統を残さなきゃいけないので、有田でやるなら、有田らしさを残しつつ、そこに自分のエッセンスを加える。

周: たとえば、〈アマブロ〉の蕎麦猪口にも描かれている、たこ唐草というものがあります。ベトナム、インド、メソポタミアにもそれぞれ唐草模様やそこから発展した模様があるんですが、日本でも唐草が発展してきました。で、これは自分が現代人だからなのか、アーティストだからかわからないんですけど、レイヤーでものごとを考えるんです。そこで、有田焼に描かれている伝統的な唐草模様の上にグラフィックを載せさせてほしいと、職人の方に相談したんですが、すごく緊張しましたね。でも、そのあと飲みにいってすぐに打ち解けたんですけど。

敦志: とはいえ、最初はすでに完成されたものに何かを付け加えるのはいかがなものか、と追い返されました。で、当時のセレクトショップに並んでいるのは洋食器がほとんど。そんな中で和食器のいいところを出すには、そのままじゃ難しくて、伝統的なものに、現代のアートやデザインを融合させてみようと。やってみたら、それが受け入れられて。

周: 有田に行ったときに、軒先で大皿の有田焼が雨ざらしになってました。どうしたん?と聞いたら、核家族化が進んで、大皿はいらないと。そんなこともあって、近代の負の遺産となってしまった大皿を、アートに転換したかったんですよ。お皿で語れる社会問題がそこにはあったんです。あとは、有田ってざっくり特徴を言うと、まず青色を載せて、そこに金や赤を載せていきます。まず青を入れてほったらかすんですが、それがとてもグラフィカルでいいんですよ。

敦志: あとは豆皿も印象深いですね。豆皿…当時はそんな言い方はせずに、小皿。あるとき焼き物の文献を見ていたら、手塩皿というものがあると知って。そして一部の地域では豆皿と呼ぶと。そこから豆皿ってかわいいなということで、これも蕎麦猪口と同じで、もともとの絵を生かしてグラフィックを載せていきました。そんな風にして豆皿を発売したら、豆皿ブームがわーっと広がっていきまして。

周: あれは会社にする前後くらいの、2010年頃の話だったかな。

ー 周さんのアーティスト作品も、グラフィックものやお皿を使ったものなど、その形態もいろいろとありますよね。

周: そうですね。うちの母の影響もあって、有田焼、益子焼ってのは子供のうちから教えてもらっていたような記憶があります。

ー アパレルとは違うタームやサイクルでやることで、きっとアパレルとはちがう面白さがあったんですね。

優哉: ずっと長く使ってもらえるというのは、大きいですよね。

INFORMATION

村上美術株式会社

www.murakamiart.jp

BRICK&MORTAR

東京都目黒区中目黒1-4-4
www.brickandmortar.jp

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