あきらめ……という言葉が合っているかはわからない。

ー GOMAさんの体についてお伺いします。事故で脳に損傷が残り、事故前の記憶や覚えてる能力に関しては、現在どうなんでしょうか?
だいぶ復活はしてきました。体にできた切り傷とかは、細胞が再生してふさがるじゃないですか。でも、脳の傷は壊れた細胞が再生することはないんですよ。でも元通りにはならないんですけど、他の脳の機能がカバーしてくれるんです。人は死ぬまでに、脳の機能を10パーセントくらいしか使っていないんですが、残りの90パーセントは何をしているかというと、何かあった時に失った感覚を他の感覚がカバーしてくれるんです。例えば目が見えなくなった人が、空間を把握できたりとかもするんですよね。自分もだいぶ回復はしてきました。とはいえ、元を覚えてないんですよね。
ー そういうお話を聞いても、人体の底力の強さを感じますね。
誰しもが潜在能力はあるし、そういうポジティブな思いは、作品を通じて出していきたい。大地震やコロナが起きたりと、いつ何があるかわからないというのは誰しもが感じていることでしょう。いつ何が起こっても、なるべく後悔がない生き方をした方がいいなと。そのためには、自分がもっといい活動をしていかなきゃいけない、いいヴァイブスを膨らませていきたいと思いますね。

ー その発露が、絵であり、音楽であり…….。
その垣根は、なくなってきましたね。大きく表現活動という感覚です。例えば写真撮るのも、文字を書くのも、編集するのも、それぞれ自分を表現している。それぞれの人生で葛藤も戦いもあるだろうし。
ー 大きな事故を経ていまも表現活動を続けているGOMAさんが言うと、その重みも違いますね。
コロナよりも随分前の事故だったから、人より先に考えてきたかもしれないですね。ぼくのこの10年は、ずっと“再生”がテーマでした。事故前と同じ状態を取り戻そうとして、前のように戻りたい、フジロックのステージにもう一度立ちたいという思いで、リハビリをやってきた。ある程度の状態まで戻ってきて10年も経つと、何ができて、何ができないかということがはっきりしてきた。そしたら、あきらめ……、あきらめという言葉が合っているのかはわからないけど、前の自分に戻るよりも、いまの自分の体と脳でできることを新しく捜索することがエネルギーの正しい使い方なんじゃないかと。いまの環境に感謝して、純粋にいい作品を作りたいですね。


ー コロナ以前に戻ろうとしなくてもいいという話にも聞こえます。
かもしれません。不思議なことにそう考えるようになってから、体のいろいろな機能が回復したんですよ。それまでは、どちらかといえば悔しさやくっそーという怒りのようなものが原動力だったんですが、感謝に変わりました。できないことに目を向けるより、できていることを伸ばそうとか、今の環境に感謝しようとか。例えば、事故直後は体に麻痺も残っていて動かない体を無視するようにして、頑張っていたんですよね。でも、改めて自分の体に(酷使して)ごめんと謝ったら、そこから体が回復してきた。不思議ですよね。そこからいろんなことにありがとうと感謝するようにしています。
ー その境地までたどり着いたのは、すごいですね。
生死に関わるようなピンチの時にわかったのは、自分がやったことが全部返ってくるんですよね。自分も事故が公表されて、それまで周りにいた人がいなくなりましたからね。でもそこで残って、応援してくれた人は、それまでに自分が心を開いていた人なんですよね。だから、結局は自分次第なんです。

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