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FEATURE
8人の識者の目に映った、 映画『Summer of 85』の残像。
I remember the summer you were in.

8人の識者の目に映った、
映画『Summer of 85』の残像。

世界三大映画祭の常連にして、いまなお時代を牽引する巨匠フランソワ・オゾン監督の最新作が届きました。舞台はフランス、1985年の夏。16歳と18歳の少年が出会い、惹かれ合い、そして永遠の別れが訪れるまでの、狂おしくも切ない6週間の青春を描いています。少年たちのわずかな感情の揺らぎが静かに、しかし痛いほど画面に写っていて、これまでのオゾン監督作品にはない、純度の高い作品に仕上がっています。余白が多いからこそ、捉え方は千差万別。8名の映画識者の目にはどう写ったのか、映画『Summer of 85』の残像をここに記します。

MEMBER LIST
柴田聡子
荘子it
宇垣美里
八木沢博幸
井戸沼紀美(肌蹴る光線)
宮里祐人
小川紗良
森岡龍
  • 柴田聡子
  • 荘子it
  • 宇垣美里
  • 八木沢博幸
  • 井戸沼紀美(肌蹴る光線)
  • 宮里祐人
  • 小川紗良
  • 森岡龍

Story

セーリングを楽しもうとヨットで一人沖に出た16歳のアレックスは、突然の嵐に見舞われ転覆してしまう。そんな彼に手を差し伸べたのは、ヨットで近くを通りかかった18歳のダヴィド。運命の出会いを果たした二人は、急速に惹かれ合い、友情を超えやがて恋愛感情で結ばれる。だが、その6週間後に、ダヴィドは交通事故で命を落としてしまう。悲しみと絶望に暮れ、生きる希望を失ったアレックスを突き動かしたのは、ダヴィドとある夜に交わした「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」というとんでもない誓いだった。

01 85年を舞台にした、現代の映画。

PROFILE

柴田聡子

1986年、札幌市生まれ。シンガー・ソングライター。恩師の助言により2010年から音楽活動を開始。最新作『がんばれ!メロディー』まで、5枚のオリジナルアルバムをリリースしている。遊ぶようなメロディーとポップでウィットに富んだ歌詞で、幅広い層に人気を集めている。初のBlu-ray作品となる「柴田聡子のひとりぼっち’20 in 大手町三井ホール」を10月にリリース予定。執筆業でも活躍しており、雑誌『文學界』でコラムを連載中。
公式Twitter:sbttttt

ー 鑑賞後の率直な感想を教えてください。

すっかり大人になった自分のなかにはもうほとんど無いだろう、と思ってしまうような心の動きや状態が眩しく、目を細めて観ていました。そして、ところどころ怖いシーンがあり、一筋縄じゃないんだなと感じ、充実感がありました。そして、映画としての1本の流れが滑らかで、やっぱりすごいなあ、と感じました。

ー こちらが恥ずかしくなるほどの眩しさと、得体の知れない怖さが同居してましたね。具体的に好きなシーンなどはありましたか?

アレックスとその母親のやりとりが、この映画のなかに散らばっている輝きからすると、日常的で、少しすすけたような印象があったのですが、そのやりとりのなかにアレックスのたしかな諦めにも似た安堵みたいなものが見られたような気がして、グッときました。

ー 今作は音楽にも力を入れているそうで、ぜひミュージシャンの柴田さんの感想をお伺いしたいです。

70年代や80年代の曲がキャッチーに鳴っているので、たまに怖い低音がずっと鳴っていたりなど、現代的なつくりの音がより映えていました。そういう音がかかっているときに、映像がちゃんと現代的なアングルだったりして、舞台は85年だけれど、これは現代の映画なんだと感じる瞬間が多くあって、よかったです。幸せだったり楽しくて仕方のないだろう場面でこそ音が湿っぽく、目の前の幸福に対する心の動きってそうだよなあともたくさん感じました。

ー 心の動きと音がリンクされてるということですが、柴田さんはできごとと音楽が結びついて記憶されていることはありますか?

たくさんあるのですが、デヴィッド・ボウイが亡くなった次の日くらいに、飛行機で移動しながら “Ziggy Stardust” を聴いていて、ああ、悲しいなあ、死んじゃったんだなあと行き場のない気持ちを抱えながら、 “Starman” が流れたときに、ああ、でも地球の人じゃなかったのかなあ、それなら仕方がないなあ、と飛行機の窓から外を見ながら、自然とそう思って納得したという思い出があります。その窓の外の景色は、記憶に色濃いです。

ー 地球人じゃなかった…悲しい気持ちの落としどころが、ちょっとおもしろいですね(笑)。 デヴィッド・ボウイを同時代に聴いてらっしゃるということは、今作の1985年という時代はわりと馴染みがありますか?

自分は1986年生まれなので、1985年はかなり身近な年に感じます。1985年にも世界を席巻するような大きな出来事がたくさんあったと思いますが、そういう大きな出来事の影響をダイレクトに描いているというよりは、その大きな出来事の結果として街々に漂っていた空気を、その時代の若者が肌で感じ、じんわり表出している表現を中心に1985年のエッセンスが含まれているような気がして、つくっている方の丁寧で誠実な姿勢を感じました。

ー まさにフランソワ・オゾン監督の力量といったところでしょうか。彼の過去作はご覧になったことがありますか?

大学入りたての頃に観た『海を見る』という作品が、若かったからかもしれないですが、感じたことのない不思議さがあって、映画への感覚が変わった一作だったので妙に心に残りました。そこから監督作を観はじめていったんですが、先の作品がいちばん好きかもしれません。

すべてに共通しているのは、人間同士のやりとりのすごい細かい部分の描写?表現?のすごさだと思うのですが、いつも新作はどれとも似ていない印象で、今作を含め、ひと作品ごとにちゃんと更新していっているのを感じていました。

ー 最後に、この映画をまっさきにおすすめするとしたら、どなたでしょう?

いまもいっしょに映画を観にいく大学時代の友人におすすめしてみたいですあの頃、オゾンがオゾンがと一方的におすすめしていて、あちらは興味もないながら真面目に観てくれていたので、もう一度おすすめして感想を聞きたいです。

02 完璧な選曲に彩られた最高傑作。

PROFILE

荘子it

1993年生まれ、東京都出身。2015年に中学生時代の友人であるTaiTanと没と共にDos Monosを結成。2018年にアメリカのレーベル・Deathbomb Arcと契約を結ぶ。2019年3月に1stアルバム「Dos City」を発表、2020年7月に「Dos Siki」、翌2021年の同日に「Dos Siki 2nd Season」をリリース。Dos Monosとしての活動と並行して、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も行なっている。
公式Instagram:ZoZhit

ー 鑑賞後の率直な感想を教えてください。

クラシカルな原作(『おれの墓で踊れ』, エイダン・チェンバーズ)ということもあり、とてもシンプルな今作ですが、フランソワ・オゾン監督の過去作のさまざまなモチーフ、たとえば、ひとりの人間の “死” を中心とした周囲の人々の群像、文学教師と教え子の関係、少年/青年期の性体験etc…、などを想起しました。それらが、過去作と比較すると、どれよりもピュアでストレートな形に転じた印象を持ちました。これまで、比較的複雑な構造を持つミステリアス/サスペンスフルな作品を好んでつくってきた監督ですが、そのベースにこの原作があったということは重要だと思いました。オゾンのフィルモグラフィーのなかで言うと『彼は秘密の女ともだち』などに近い前向きな後味でした。

ー 彼の映画製作の根底にこの原作があることを知ったうえで、過去作を見返したくなりますね。印象に残っている描写はありますか?

単純な連想ですが、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』を想起させる部分が多いように感じます。どちらも英語の小説が原作のフランス映画、若い男二人の(『太陽がいっぱい』では抑圧されているものの)同性愛、夏の海とボート、といった類似点があります。

そのぶん、対照的な部分も際立ちます。たとえば、『太陽がいっぱい』の冒頭部の夜のシーンでは、盲人から大金で白杖を取り上げ、盲人のフリをして助けてくれた女性をひっかけるという些か不謹慎なシーンが印象的でした。ここでは財力や障害が、現にある“格差”として、まざまざと描かれています。他方、今作のアレックスとダヴィドが夜道を歩くシーンでは、ダヴィドが道端の見知らぬ酔っぱらいをなんの衒いもなく助けます。酔っぱらいは “自己責任” だと言うアレックスに対し、ダヴィドは、それならボートで溺れていた君も “自己責任” だと言います。

むろんこれはいちキャラクターの性格造形に過ぎない些細な差異ですが、自然と、能力主義の格差が自己責任ではない( “格差” である)という昨今の議論にリンクしました。困っているひとを内発的になんの衒いもなく助けてしまえるダヴィドの行動も、決して特別なわけではなく、そうしないアレックス(や多くのひとと)の違いは、その育ちで形成された傾向/思想性に由来し、しかも、その “贈与” 的な振る舞いが、 “被贈与” 的な境遇にない(父親を亡くした)ダヴィドからなされるということは、物語上ゆくゆくは必然的な“死”に至らざるを得ないということにまで繋がるように思いました。

ー 音楽を生業にされている荘子itさんの目に、今作の劇伴がどう映ったのかお伺いしたいです。

シーンに寄り添う、抑制のきいたオリジナルの劇伴とコントラストをなす、二つの有名な既存曲、「ザ・キュアー」 “In Between Days” と、「ロッド・スチュアート」 “Sailing” が、それぞれ二回ずつ効果的に流れます。

“In Between Days” は、冒頭のシークエンスでアレックスが観客に向かって「これはあなたの物語じゃない」と挑戦的な眼差しで言い放った直後、一転して、爽快感のある海辺のシーンへ移行するときと、エンドロールで、今作の最初と最後を彩るように配置されています。

歌詞も、アレックスとダヴィドどちらの視点からも意味を持ち、作品の年代ともマッチした(“Summer of 85”のタイトル自体も本曲の発表年の85年にちなむ)今作を象徴する曲ですが、より素晴らしいと思ったのが、 “Sailing” の使い方です。

一度目に流れるシークエンスの構成が素晴らしく、まずはクラブのシーンで、ダヴィドがアレックスに被らせるヘッドホンから流れ出し、享楽的なシーンに一転してパーソナルな情緒を持たせ(一度目の変化)、それがそのまま夜のキャンプシーンに繋がり、その場の生演奏のギターが被さり多幸感をもたらし(二度目の変化)、最後は、ラジカセのような音で流れているところをぶっきらぼうに切られることで、やがて訪れる物語の転換点をうっすらと暗示します(三度目の変化)。

このように、ひとつの曲を流す一連のシークエンスで、三度もの大きな変化を生む使い方はとても巧みですし、その後、作中二度目に同曲が流れるクライマックスシーン(墓の上で踊るシーン)では、失われた日々の想い出を呼び覚ます/鎮魂する効果を持ちます。

ー 同じ曲でもシーンが変われば意味や機能が変わって、あらためて音楽がどれだけ鑑賞者の心情を裏で動かしているのか、作品の舵をとっているか(あるいはとっていないか)、ということを考えました。

ー 挙げてくださった二曲は、聴けば今作を思い出しそうなほどインパクトがありましたが、荘子itさんはなにかできごとと音楽をセットで記憶しているということはありますか?

ぼくはサンプリングで曲をつくるので、その元ネタの記憶が、自分の曲と重ねあわされてるのをおもしろく感じています。昔の恋人の家のトイレで、セロニアス・モンクを流しながら、このネタ(フレーズ)使えるなぁ、と思ったこととかを、鮮明におぼえています(笑)

ー 最後に、言い残したことがあればどうぞ。

いい意味でフランソワ・オゾンのイメージが塗り替えられました。大学時代に劇場で観た、『危険なプロット』などが個人的にいちばんのお気に入りでしたが、今作がいちばんになりました。

男性同性愛がテーマではありますが、むしろ、オゾンの『17歳』とかに強く共感する女性に、おすすめしたいですね。これはまさにオゾン的世界観の裏表なので、セットで観た方がいいと思います。

03 忘れられない夏を思い起こさせる。

PROFILE

宇垣美里

1991年、兵庫県生まれ。同志社大学を卒業後、’14年にTBSに入社しアナウンサーとして活躍。’19年3月に退社した後は、オスカープロモーションに所属し、テレビやCM出演のほか、執筆業も行うなど幅広く活躍している。週刊SPA! で映画にまつわるコラムを連載中。
公式Instagram:ugakimisato.mg

ー 鑑賞後の率直な感想をお聞かせください。

初恋の喜び、全能感と喪失の痛みをアレックスとともに駆け抜けたようで、ひりひりと胸が苦しくなりました。好きだったのは、互いを消毒しあうシーン。初めて自分の気持ちに気付いた瞬間だから。クラブで2人で踊るシーンも、相手が世界の中心! と溺れてるようで、とてもキュートでした。

ー たしかに、恋心が透けているシーンがたくさんありました。物語については、どのようなところが印象に残っていますか

現在と過去を行き来しながら、アレックスが初恋をどう受け止めるかを丁寧に描いているところです。あと、初恋の淡い美しさ、ラブロマンスのみではなくその先を描いていたのも印象に残っています。

ー だれもが経験したことのある感情を、今作なりに描いていたのがよかったですね。宇垣さんは映画鑑賞の際に、登場人物と自身を重ね合わせたりすることはありますか?

あります。アレックスの若さ故の盲目さや、求めても求めても足りないような業欲な衝動は覚えがあります。一方で、ダヴィドの刹那的な生き方も、父の死という背景も含め共感しました。

ー 劇中の音楽表現が、作品をより豊かなものにしています。その点いかがでしょうか?

懐かしくエモーショナルで、画もフィルムのノスタルジックな質感だからこそ、観たひとそれぞれの忘れられない夏を思い起こさせると思います。

ー 音楽がトリガーとなって、記憶がよみがえるみたいな。宇垣さんはそういった音楽とできごとがセットで思い出されることはありますか?

就活中や社会人になってからも、心が折れてしまいそうになると、「P.T.P.(Pay money To my Pain)」の曲を聴いて「私はロックなんだ」って自分に言い聞かせていました。

04 ロッド・スチュアートのコンサートを思い出す。

PROFILE

八木沢博幸

1956年、東京生まれ。原宿の地で44年にわたり営業しているセレクトショップ「原宿キャシディ」の仕入れ販売担当。日本のトラッドファッション史を牽引してきた存在。いまでも店頭に立ち接客を行い、業界人からも絶対的な信頼を誇る。

ー 鑑賞後の率直な感想を教えてください。

アレックスの母親ロビン夫人の、小花柄のワンピースが上品で質素で、チャーミングです。劇中の音楽を含め、65歳のおじいちゃんの自分には、時代感が懐かしい。

ー ダヴィドの母親とタイプも違っていて、その対比もファッションに現れていましたね。今作は1985年を舞台にしていて、八木沢さんが20代のときのフランスを描いているそうなんですが、何か感じるものはありましたか?

フランスでもスケートボードやローラースケートような、アメリカのユースカルチャーが流行っていることを、この映画観て感じました。

ー 主人公以外の登場人物にそれを託していましたね。ほか、なにか印象的だったシーンはありましたか?

ノルマンデイの切り立った岩、そして海岸も砂浜ではなく石なんだと印象に残りました。あと、アレックスの両親のやさしさと、社会福祉士の誠意ある対応と言葉です。

ー 海に目が行きがちですが、言われてみれば岩や石が多かったような…熟練者の視点ですね。最後に何かあればどうぞ。

この映画を観て思い出したのが、ラスベガスに出張に行かせてもらったときのロッド・スチュアートのコンサート。ステージからサッカーボールを客席に向かって蹴ってプレゼントしてくれるのですが、途中で足がつってしまったのがちょっとおかしかったのと、ロッドの上手なボールさばきに驚きました。もう20年以上前の話です。

05 横並びのジェットコースターとは訳が違う。

PROFILE

井戸沼紀美(肌蹴る光線)

福島県生まれ、都内在住。明治学院大学卒。上映機会の少ない傑作映画を発掘し、広めることを目的とした上映会「肌蹴る光線」を企画・運営。映画にまつわるエッセイの執筆も行う。
公式Twitter:hadakeru_kosen

ー 鑑賞後の率直な感想を教えてください。

初恋はバイクなんだと思いました。猛スピードで駆けて、そのまま未来へ行けそうで、この体温を知っているのは自分だけだと確信があるのに、相手の表情が見えない。安全バーで守られた横並びのジェットコースターとは訳が違うのだと、淡々と説かれた気分でした。

また、全編を通して、主人公の一人・アレックスの髪の描写が好きでした。心情を豊かに表現する、絶妙な長さと束感! 観ていて飽きなかったです。

ー 髪の毛に心情を見るとは、井戸沼さんならではの細かな視点ですね。ダヴィドも金髪でしたが、たしかにアレックスのほうが饒舌な?髪だったような気がします。ストーリーはどうでしょう?

必要以上の余韻を残さない、削ぎ落とされたストーリー展開が印象的でした。冒頭、アレックスがカメラ目線で「君の物語じゃない」と観客に宣言するシーンから最終盤まで、「あなたの期待には簡単に乗りませんよ」と常に一定距離を保たれている気がしました。

ー 冒頭からただごとではない空気があったのは、あのセリフゆえですね。音楽もその空気を醸す要素になっていました。

音楽のジャン=ブノワ・ダンケルが映像を一切見ずに作曲したというテーマは、この映画の根底に流れる暗さや痛みと、完結を迎えることのない刹那的な日々を見事なバランスで表現していると感じます。そして「ザ・キュアー」は常に最高です。

ー テーマを耳にするたびに、彼らの日々を思い出してしまいそうですね。井戸沼さんのなかで、音楽がトリガーとなって思い出してしまうできごとはありますか?

ふと思い浮かんだのは、前回の『山形国際ドキュメンタリー映画祭』のことです。台風で電車もバスも止まってしまい、友人のイノウエさんが運転するレンタカーで急遽、山形から東京へと帰宅することに。思い切り飛ばす深夜の高速で、沢田研二やシューベルトにまざって「ベル・アンド・セバスチャン」の“Lazy Line Painter Jane”が流れ、『NASTY FILM』という最高のZINEをつくるrikoちゃんが「ウチら雲より速いよ!」と笑っていたとき、私はビジネスの世界からいちばん遠くに行けた気がしました。

ー タイトルにもありますが、今作は1985年という年をピンポイントで描いています。どのようにご覧になりましたか?

小説をタイプライターで書くシーンが観られるのは、この年代までの映画の特権なのではないかと感じました(はっきりと区別することは難しいですが、1990年代以降はコンピューターが主流になったように思います)。タイプライターは初め、盲目の人たちが紙にまっすぐ文字を書けるようにと開発された補助具だったそうです。今作におけるタイプライターも、アレックスが「まっすぐ」でいるための補助具のように機能していることがおもしろいと思いました。

ー タイプライターは年代を表現しているとともに、原作者・監督からアレックスへの祈りみたいなものに見えてきました。フランソワ・オゾン監督の作品はご覧になったことがありますか?

過去作をいくつか観て、印象的だったのは『ぼくを葬る』です。劇中に「これで健康のまま死ねる」というような台詞があるのですが、満開になったとたんに摘まれる花のように、もっともエネルギーが満ちた状態で終わりを迎えたいという憧れが描かれているように感じました。

そして私はいつからか、フランソワ・オゾンに対して「やたらと乳首を映す監督」というイメージを持っていたのですが、今作を拝見し、それは偏見だったのかもしれないと感じました……!

ー 今作を含め、ここ数年で同性の恋愛を題材にした映画が注目されるようになりました。井戸沼さんは、映画に関わる活動をしていらっしゃるなかで、どのようにお考えでしょうか?

仕事で関わった記事のなかで、日本の映画とテレビドラマにおけるLGBTQ+表象を振り返った展示『Inside/Out』を企画された久保豊さんと、上映団体ノーマルスクリーンの秋田祥さんが「性的マイノリティを描く作品の量が増えることが、そのまま『前進』につながるわけではない」とお話されていたのが印象的でした。同性愛を流行りのように扱うのではなく、きちんとリスペクトを込めた上で映画がその人生を描けているのかということを、いち観客として問いながら、勉強をつづけたいと思っています。

従来のハリウッド映画のイメージに飲み込まれることなく、マイクに拾われてこなかった声やキャメラに映されてこなかった存在を自分の立場から常に想像し、欲望や美意識と誠実に向き合った映画が生まれつづけたのなら、「恋愛は男と女がするもの」/「女らしさ・男らしさ」といった決めつけの価値観は、大きく揺さぶられていくのではないでしょうか。

ー 流行りだと囃し立てているのは鑑賞者かもしれない、わたしもその一端を担っていて歪んだ見方をしているかもしれない、とハッさせられました。最後に、なにか言い残したことがあればどうぞ。

『Summer of 85』で描かれるダヴィドの死は、あらすじでは「不慮の事故」と書かれていますが、本当にそうなのかと考えていました。いろいろなひとの感想を聞いてみたいです。

06 “書く” ことで死者を想起し、ともに生きる。

PROFILE

宮里祐人

1989年生まれ。大学院でメディア社会学を学んだ後、新卒で出版社へ。映画系出版社、語学系出版社にて、6年間書店営業の経験を積む。2021年、東京・代田橋に三畳半の書店・バックパックブックスを開業。趣味は登山。
公式Twitter:BackPackBooks29

ー 鑑賞後の率直な感想を教えてください。

とても良かったです。ダヴィドに受け止められた時間にアレックスが感じた幸せも、彼を心に宿したまま生きていくと決めるまでの煩悶も衝動も、瑞々しく真っ直ぐ迫ってくる映画でした。

ー アレックスの心情が痛いほど画面に写っていましたね。

ラストシーンでアレックスがどことなくダヴィドを思わせる振る舞いをしていて、死を乗り越えることよりも、心の中で彼を感じたまま生きていくという選択をしたように見えたのが印象的でした。そしてそこに至る過程が、 “書く” という行為によって成されていく点が印象的でした。

ー “書く” 行為が、万年筆でもなくパソコンでもなく、タイプライターで行われていたのも、なにかアレックスの強い意志のようにも感じられますね。

ー 好きなシーンやセリフ、描写はありましたか?

ナイトクラブでダヴィドがアレックスの耳にヘッドホンを付けるシーンが好きでした。皆が同じ曲で踊っているあの空間で、ただひとりダヴィドが選んだ曲を聴けるというのはアレックスにとって何よりも幸せなことだったと想像しました。

けれどそこで選ばれる曲がバラードであることは、始まりではなくて終わりを予感させて、この短い時間が2人の儚い最高の瞬間になることを印象付けているし、ここで流れる「ロッド・スチュワート」の “Sailing” の歌詞には「I am dying」と死を予感させるフレーズもあって、とても美しくて残酷なシーンだと感じました。

ー 音楽が先の未来を予感させていたとは…鋭い考察ですね。

個人的な感想ですが、曲の「Can you hear me?」 というフレーズが、ナイトクラブのシーンではアレックスのダヴィドを見る眼差しやその後のモノローグからも、アレックスがダヴィドに対して「ぼくの気持ちが分かってる?」と言っているように響くのに対して、最後のお墓の前で同じ曲を聴いて踊るシーンでは、死んでしまったダヴィドからアレックスだけが聞くことのできる声で「僕の声が聞こえてる?」と言っているように響きました。そして、「I am sailing」というフレーズが曲の最後に「We are sailing」となるのも、母やケイトがダヴィドの死を受け入れられなかったり忘れようとしているのに対して、アレックスは心の中でダヴィドを感じつづけるという選択をするので、結末と合致していていると思いました。

ー 同じ歌詞が場面によって、聞こえ方が異なるというのもおもしろいですね。みなさんに聞いているんですが、宮里さんはできごとと音楽をセットで記憶していることはありますか?

学生時代の終盤、先輩の車で「ザ・ブルーハーツ」の “夜の盗賊団” を聴かせてもらったときのことはよく覚えています。ガラガラの田舎道、ずっと遠くまでつづく田んぼの真っ暗闇、歌詞も車の中からの風景と青春の終わりを歌っていて、忘れられない記憶です。

ー フランソワ・オゾン監督の作品はいくつかご覧になったことがあるとのことでしたが、宮里さんのなかでの印象を教えてください。

登場人物の行動や感情や結末がいろいろな読み方ができたり、言葉にはできないけれどそうしてしまうかもしれないということが多く描かれた映画という印象です。

今作は、過去作に比べるとシーンやセリフの意味を多様に読むことはしづらい一直線な映画だと感じました。原作があることが大きいのかなと思いました。

ー 最後に、言い残したことがあれば。

最後は本屋らしく本を紹介したいと思います(笑)。 “書く” という行為によって死者を想起し、死者とともに生きることを選ぶという営みはラッパーがリリックに死者を綴ることでやってきたことと似ている部分があります。もし興味があれば、そんな内容を多角的に扱っている『ヒップホップ•アナムネーシス』(山下壮起•二木信=編/新教出版社)がオススメです。

07 言葉にしてくれる他者と出会えるか。

PROFILE

小川紗良

1996年、東京都生まれ。早稲田大学在学時に映画サークルに所属し、映画製作を行う。卒業後は、役者としてNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』などに出演する。2021年6月には監督作4作目となる『海辺の金魚』が公開された。執筆業では小説版『海辺の金魚』が発売中のほか、webマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』で連載をもつ。
公式Twitter:iam_ogawasara

ー 鑑賞後の率直な感想を教えてください。

「ぼくが死んだら墓で踊る?」とダヴィドが訪ねた瞬間から、彼はどんなふうに死に至り、そしてアレックスはどんなふうに踊るのだろうと想像していました。その死のあっけなさと、踊りの荒々しさ、そしてつづいていく夏の情景が、美しくも残酷にも思えました。

ー あのひとことに、いろいろな心情が含まれているようですよね。具体的に、小川さんが惹かれたシーンはありましたか?

アレックスがダヴィドに「待つ必要なんてない、人生は短い」と促すシーン。ダヴィドの行く末を示唆するとともに、背後で夕日の沈む海が人生の儚さを物語るようにキラキラと輝いていて、印象的でした。

ー ご自身で脚本も書かれる小川さんならではの視点ですね。映画のなかに流れていた音楽も印象的でしたが、どのように感じましたか?

「85」とタイトルについている通り、時代を感じるような音楽でありながら、全く色あせた印象はなく、夏らしい彩度の高さが音楽からもジリジリと感じられました。特にクラブシーンの音楽とそれに揺られる2人の姿がよかったです。

ー ちなみに、ほかに時代が色濃く写っている要素はありましたか?

ファッションが印象的で、特に中盤で恋のライバルとして現れるケイトの姿が魅力的でした。バンダナやサロペットやジージャン姿に、跳ね上げたアイラインと真っ赤なリップ。一見奇抜なのに、自然と着こなしている感じがかっこよかったです。

ー 今作を含め、昨今は同性の恋愛を題材にした映画が注目されるようになってきました。それについてどう思いますか? また、そういった映画だからこそできる表現などはあるのでしょうか?

もはや、同性の恋愛を描いた映画は普通になりつつあり、それは良いことだと思います。同性の恋愛を描いた映画だからといって過剰にセンセーショナルな扱いをするのではなく、人と人とのドラマとしてあたりまえに広がっていくようになればもっと良いと思います。

ー 小川さんは映画をご覧になる際に、登場人物と自身を重ね合わせたりすることはありますか? 今作でそういった人物がいれば、教えてください。

アレックスが進路指導の先生に文章を褒められるシーンで、私もかつて国語の先生に作文を褒められて書くことが好きなったことを思い返しました。だれしも得意不得意はあると思いますが、それを言葉にしてくれる他者と出会えるかというのはけっこう大きなことで、アレックスにとっては先生と語らう時間が大きな救いになったのだろうなと思いました。

ー アレックスにとっての救いみたいな存在でしたね。今作の監督、フランソワ・オゾンの作品はご覧になったことがありますか?

『17歳』をだいぶ前に観ていました。今作もそうですが終始不穏な空気が流れていて、「若いことの危うさ」や「限りある時間の儚さ」というものに強い関心がある監督なんだろうなという印象を受けました。大きな違いは、少女か少年かというところ。後者の方が監督の本質に近い感じがしたというか、少年を撮る方が好きそうだなと思いました。

08 「人を愛すること」は普遍的なテーマ。

PROFILE

森岡龍

1988年、東京都出身。映画『茶の味』(2004年)でデビュー以降、映画、ドラマ、舞台に出演する傍ら、監督も務める。主な出演作にドラマ『あまちゃん』、『許さないという暴力について考えろ』(NHK)、映画『五億円のじんせい』、『東京の恋人』、舞台『名人長二』『後家安とその妹』などがある。
公式Instagram:ryu_morioka

ー 鑑賞後の率直な感想を教えてください。

映画ってこんなにシンプルで良いのだっけ? と思うほど、シンプルな映画だと思いました。それと、ダヴィド役の尖った顎に惹かれました。あの顎がなければ、成立しなかったのでは?と思うほど、セクシーだと思いました。あと、馬鹿みたいな感想ですが、海が綺麗だなぁと。

ー 顔の造形に視点がいくとは! たしかに魅力的でした。海は日本とは違う美しさがありましたね。

あと登場人物たちが普段から「船に乗る」習慣があるのが、新鮮で面白いと思いました。船だけでなく、バイク、ジェットコースター、ゴーカート、さまざまな乗り物にふたりで乗っているのが、印象に残っています。とりわけ、バイクでの疾走感が良かったです。ちゃんと走っている感というか “スピード” を感じました。

ー 今作のストーリーに関して、どのようなところが印象に残っていますか?

ダヴィドとの出会いから煌めきが溢れだす前半、遺された者たちの再生が描かれる後半、テンションが前後半で変わるところが印象的でした。

ー きれいな言葉で言えば「ひと夏の青春」ですが、あらゆる心情の揺らぎがありましたね。

だれにとっても、「青年時代の夏」というのは、挑戦や冒険、煌めきや挫折など、新しい扉が開くものだと思います。また、苦しさを乗り越えるための指導者、よき理解者である「大人」が居ることの大切さを実感しました。

ー 森岡さんが生まれた80年代が題材でしたが、どのように感じましたか?

衣装、美術など、80年代のものが溢れていて、全体的に懐かしいムードが漂っている気がしました。同時に、今作を「現代で再構築するなら?」ということを観ながら考えていました。どうしても「あの頃」の話になると、ノスタルジーで終わってしまうことが多く、いま、目の前にある問題と距離ができてしまう気もしました。

ー 日本でも、昨今は同性の恋愛を題材にした作品が増えてきたように感じます。

そういうテーマに注目が集まること自体は意義のあることだと思いますが、注目されているうちは、まだまだ偏見があるからだと思います。性別関係なく「人を愛すること」の喜びや困難は、あくまで普遍的なテーマだと思います。

ただ、今作における「墓の上で踊る」という約束は、同性同士でしか成立しない「友情」なのかな、という印象を持ちました。

ー 鑑賞する映画を選ぶ際に、基準にしているものはありますか?

ビジュアルや予告編、仲間内での評判が基準になりますが、映画との出会いも、縁かな、と最近では思います。今作は、新しくできた気になるお店、というよりは、行き慣れた安心したお店、を選びたい時に観ると良いのではないでしょうか?

ー 最後に、言い残したことがあれば。

夏が終わるたびに、また今年も映画を撮りそびれた、と思います。

INFORMATION

『Summer of 85』

監督・脚本:フランソワ・オゾン
出演:フェリックス・ルフェーヴル、バンジャマン・ヴォワザン、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、メルヴィル・プポー
配給:フラッグ、クロックワークス
原題:Ete 85/英題:Summer of 85
【PG-12】
© 2020-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-France 2 CINÉMA–PLAYTIME PRODUCTION-SCOPE PICTURES

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