ピトンは信頼できるが、岩を傷つけてしまう。
登山やスキーといったメジャーなスポーツに比べると、競技人口が少ないクライミング。なぜなら、道具の扱いが難しく、専門知識も必要になり、かつ体力も必要になってくるから。怪我のリスクも高い。
一方でクライミングの文化には、恋焦がれる人が多いです。〈パタゴニア〉が憧憬の眼差しをもって見られるのも、創業者であるイヴォンの環境に対するアプローチはもとより、彼が根っからのエクストリームな人であり、本気のクライマーだったからにほかならない。
そんなイヴォンは1953年、14歳のときにクライミングをはじめ、その魅力に傾倒し、1966年に〈パタゴニア〉の前身となるブランド〈シュイナード・イクイップメント〉を設立しました。そこで、それまでヨーロッパで主流であった軟鉄製のピトンを改良をし、アメリカの岩質にマッチし、かつ回収も可能なオリジナルのピトンを開発します。これが評判に評判を呼び、1970年にはアメリカ最大のクライミングギアメーカーへと成長。ただ、そのピトンは一級品だったものの、ピトンというもの自体、岩に深刻なダメージを与えてしまうもの。
当時は、登頂するためであれば手段を選ばないような時代でした。ハンマーやノミを使って、前進するために岩を削ったり、岩に人工物を埋め込むのも当たり前。だからピトンだって、多くの人に受け入れられていたわけです。ただ、あるときイヴォンは、ピトンによってボロボロになった岩肌を目の当たりにし、ピトンの使用をやめるよう呼びかけたのです。そこから、ありのままを登りありのままで返す、という「クリーンクライミング」の考え方が生まれました。
その考えを提唱しはじめてから、今年で50年。その思いを忘れることなく、次世代へと繋いでいくために、クリーンクライミングのカプセルコレクションが発売されます。アイテムについては後述するとして、ここからは日本が誇るロッククライマー倉上慶大さんの話を通して、クライミングのこと、そしてクリーンクライミングのことをお勉強。
シンプルなスタイルで巨岩・巨壁を登る。
PROFILE
1985年、群馬県生まれ。〈パタゴニア〉のロッククライミング・アンバサダーを務める。シンプルなスタイルのクライミングを追求し、自由と多様さの表現を試みる。これまでも難関ルートをいくつも登攀し、国内外に自身が名付けたルート名が多数。プロクライマーとして活動する傍ら、日本の伝統楽器・尺八の修行にも励む。
Instagram:@keitakurakami
衝撃映像を見せてくれながら「何度も落ちてます。落ちるとわかったらすぐに諦めて、着地姿勢に入るんです」と飄々と話してくれたのは〈パタゴニア〉でロッククライミングのアンバサダーを務める倉上さん。高校生で初めて岩に登り、そこからおよそ20年近く岩を登り続ける、プロのロッククライマーです。
「たぶん、多くの方がボルダリングとかクライミングとか、いろいろ混在しちゃってるんですよね」と倉上さんが言う通り、たしかにロッククライミングも、ボルダリングも、その違いは曖昧。まずはそこから。
そもそもクライミングとは、英語のクライム(climb)が語源です。「登る」という意味。なので、言ってしまえば登山もクライミングだし、岩を登るのもクライミング、木を登るのもクライミングです。そこから細分化されて、岩を登るのがロッククライミングということになり、ロッククライミングという分野のなかにボルダリングというカテゴリーがあるのです。
ボルダリングというのは、英語のボルダー(boulder)が語源。その意味は巨石です。だからボルダリングとは、4〜5mくらいの巨石を登ることを指します。それ以上になるとハイボルダーと呼ばれるジャンルに(もっと細分化されますが、詳しくは検索を)。
そうして3月某日、そんな倉上さんと向かったのは、関東のボルダリングのメッカである御岳ボルダー。
約20分、川沿いを歩いた先にあるのが、御岳ボルダーの象徴的な岩である日影石。高さは約7メートル。この日、倉上さんが登ってくれた岩です。そもそも、なぜ倉上さんは岩に登るんですか?
「誰も登ったことのない所を登るのが好きなんです。それを“開拓”っていうんですけど、そうなると登り方は誰にも分からないし、登れるかどうかも分からない。だけど、登れるかもしれないと思ってトライしていく。結果として登頂できなかったとしても経験は自分の中に残る。そのプロセスがとてもいい時間なんです」
実際に巨石と間近で対峙して、下から岩を見上げるだけでは、どこに指がかかり、どこに足がかかるかなんてわからない。誰かがすでに登ったことのある岩であれば、チョーク(滑り止め)が目印になるけれど、未登のラインはそうはいかない。引っかかりがあると思った場所へ手を伸ばしたら、そこには何もなかった、なんてことにもなりかねない。
「正直、恐いです(笑)。実際に途中まで行って『これやばい』って思うこともあったりするんです。どこにも引っかからないとか、逆にもう降りられる状況じゃなくて登るしか選択肢がなかったり。そのジャッジは難しいんですけど、肉体・精神ともに自身を鍛え上げることで、その恐さを克服する過程は楽しいんです」
この日、倉上さんは下にマットを敷くこともなければ、命綱の類は一切なし。安全の確証がない状況で、見ているこちらがヒヤヒヤするほどのスピードで登っていく。
「〈パタゴニア〉のクリーンクライミングの考え方は、自然のありのままを受け入れて、自分もありのままで登り、元の状態でお返しするっていうものです。普段は登る環境や対象によってマットを敷いたり敷かなかったりすんですけど、今回、マットを敷かずに登ったのは、シンプルに登ることの1つのかたちをお見せしたくて。滑り止めのチョークとシューズ以外、人工物を一切介入しないわけですね。だから、登るときのリスクや岩を細部まで観察する目がより必要となるんです」
一方で、クライミングの歴史を振り返ると、様々な岩壁や山で、無理矢理に人が手を加えてきた過去があります。
「ひとつ有名な話が、それこそ〈パタゴニア〉のロゴにもなっている南米のパタゴニアにあります。“コンプレッサールート”と呼ばれるルートなんですが、その昔、あるクライマーが初登頂をするためにコンプレッサーをわざわざ山の岩壁まで運んでいって、ボルトを乱打したんです。ひどい話なんですけど、2012年に〈パタゴニア〉のクライマーが、そのボルトを使わずに登ったのちに、ライン上の大半のボルトを撤去したんです。それはすごいセンセーショナルでしたね」
とはいえ、巨大な壁面を登るとなったら、そこには道具の介入が必要になってくる。ハーネスもつけなくてはいけないしロープも必要で、カラビナなんかも駆使しなくちゃいけない。だけど、自然を傷つけてはいけない。
これらはすべて、岩場のクラック(割れ目)に差し込み、命綱であるロープを引っ掛けるためのもの。一番右側に映るピトンは、先述した〈シュイナード・イクイップメント〉が作ったもので、これはハンマーを使って強引に打ち込むため岩にかなりのダメージを与えてしまう。その点、ナッツとカムは、岩を傷つけることがない。
「こうして、クラックにねじ込んでいれてあげるんです。空間が広いところからいれてあげて、引っかかる場所があるので、そこでガシッときかせてあげる。すると全体重をかけても抜けません。たまに抜けちゃうときもありますけど(笑)」
取り外しも簡単で、今度は逆に、空間が広い側に、ずらしてあげるだけ。いまのクライマーたちにとっては欠かせない道具になっている。
「クライミングって、しなやかに生きることを学べるんですよね。その状況に抗うこともできるし、受け入れたり、ある種の諦めもときには必要。圧倒的な自然という存在のなかにいると、一瞬一瞬でそれが求められて、そうした中で、どう振る舞うのが大事かってことを学ばせてもらってるんです。そしてクリーンクライミングは、その感覚が最も研ぎ澄まされる考え方であり、方法なんです」
「命知らず」という言葉が正しいかはわからないけれど、ロッククライマーは常に危険と隣合わせなのはたしか。日々、そんな環境に身を置く人たちは、動じず、優しく、クリエイティビティに溢れてる。それは倉上さんもそうだし、〈パタゴニア〉も例外じゃない。やっぱりクライミングって、かっこいい。
クリーンクライミング50周年を祝う、特別なコレクション。
「クリーンクライミングは自我に直面してそれを抑制し、自然に直面してそれに謙虚になり、世界を征服するのではなく、自己を克服するために努力することを意味しています。こうした考えは私たちをかき立て、地球を救うという大きな挑戦に直面する私たちに必要な興奮です」(イヴォン・シュイナード)
当時のクライミングスタイルを彷彿させるカプセルコレクションが、3月17日(木)から発売開始となりました。最後に、そのコレクションの一部をご紹介。