ジョージ・ナカシマ 年表
1905年 アメリカ生まれ。幼い頃からボーイスカウトに所属し、豊かな自然に囲まれて育つ。
1923年 ワシントン大学入学。林学専攻後、建築学に転向。
1933年 世界一周の旅に。ロンドン、パリに滞在し、その後インド・中国経由で日本へ。
1934年 東京のアントニン・レーモンド建築事務所に入所。同僚は、日本のモダニズム建築家として世に知られる、前川國男や吉村順三。
1937年 レイモンド建築事務所現場管理者として、インドに向かい、現地でインドの精神世界から大きな影響を受ける。
1940年 アメリカに戻る。
1941年 フランク・ロイド・ライトの仕事に失望し、自身が最初から最後まですべてを統合できるものとして、家具の世界へ。
1942年 太平洋戦争が始まり、日系人強制収容所へと入所することに。そこで知り合った日系の大工との交流から、木工技術と木についての知識を深める。
1944年 ペンシルベニア州ニューホープ近郊で家のガレージを工房として、デザインから製作まで一貫した家具作りを始める。
1968年 東京新宿の小田急ハルクで日本初の個展を開催。以降、1988年まで6回開催される。
1973年 アメリカ副大統領も務めたネルソン・ロックフェラー邸を吉村順三が設計。邸内に配置する、220点以上の家具をナカシマが製作。
1983年 ジョージ・ナカシマ『木のこころ 木匠回想記』(SD選書)を出版。
1990年 ペンシルベニア州ニューホープにて没。
モダニズムに背を向けて。
建築家にして木匠。デザイナーと呼ばれることを嫌った日系のジョージ・ナカシマ。日本でも「小田急ハルク」で個展が開催されたりと、その名は知られているかもしれない。しかし、その家具をまざまざとイメージできる人は少ないはずだ。
「海外に目を向けると知名度のある方で、〈ジョージ・ナカシマ〉の家具を好きな方が多いんです。アパレルでは、ラフ・シモンズ、〈ロエベ〉のJ・W・アンダーソンとか」(水澗)

錚々たる目利きの名前が出てくる。そのお眼鏡にかなう〈ジョージ・ナカシマ〉の家具は、〈ヤエカ〉の服部さんの目にはどんな風に映るのだろう。服部さんといえば、〈ヤエカ〉のショップでもアンティーク家具を販売するなど、古今東西数多の家具を目にしてきた人だ。
「作品が素晴らしいのはもちろん、今回改めて著書『木のこころ』をしっかりと読むと、背景の考え方や作り上げる心の部分みたいなものがやっぱりすごいと感じました。平たく言うと、量をほどほどにしてしっかりと作るとか、時代を超えていくとか、これはこれからの時代に必要なもの作りの考え方かもしれません。そういうところは、もの作りに携わる人間として魅かれます」(服部)


グラスシートチェア 柔らかな座面は手編みのい草で、材はウォルナットを使用。背板の丸みを帯びた曲木と四角い座面が対比をなしている。い草、材ともに経年変化が楽しめる。当時の高水準の加工技術が体現された一脚。
同じ時代には、〈ハーマンミラー(Herman Miller)〉のように大量生産するモダニズムの流れもあった。機能主義、合理主義を標榜するモダニズムは〈ジョージ・ナカシマ〉とは相性が悪い。なぜなら地域の風土や風習という固有の文化を重要視しないのがモダニズムである一方、ナカシマは、木の声を聞くように、木の板一枚一枚を見て、どう生かすといい家具になるのかを常々考えていた人だからだ。
「今でこそ言われ始めたSDGsのようなことを、70年も前からやり続けた人はなかなかいないでしょうし、作品数もけっこうあります。素材としての木に第二の人生を与えるという哲学や感性から生まれた作品には研ぎ澄まされた美しさとほどよく緊張感があるんです」(水澗)


ミラ・チェア その名の通り、娘のミラのために作られた椅子。
